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幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(23)

 其 二十三


 姉に会いたい一心で、ようやく辨次郎という者を尋ね当て、姉のことを訊いてみたのだが、これもまた甲斐のない話であった。

 辨次郎は四十に近い小柄な男で、しかも面上(おもて)は骨張って見える貧相な憎らし()な奴。それが薄い唇を動かして、

「それじゃあ、テメエはお須磨の弟と言うんだな。これは好いものに出くわした。よく聞いて置いてくれ。大変なことだ。テメエの姉は平九郎が最初連れてきたのだが、扇面亭へ奉公させたのに剛情者で、主人(あるじ)の言うことを聞かず、奉公(ほうこう)不勤(ふづとめ)で、仕方無く、扇面亭が平九郎のところへ突っ返した。平九郎は前借金を返さなければならないので、困り抜いた挙句、俺のところへ話を持ち込んで来た。彼奴(あいつ)とは知らない間柄でもないので、まさか知らん顔も出来めえと俺がどこか世話をしてやる手はずにして、家に引き取って四、五日置いてやったのだが、恩も義理もまるで分からねえテメエの姉は、何を思ったのか、一昨日の朝、俺を出し抜いてどこかへ随徳寺(とんずら)。姿を隠してしまったので、後は大騒ぎだ。扇面亭が金を出したその代物(しろもの)を無くしては、平九郎は言うに及ばず、俺も平九郎に謝罪(あやま)ったとて、手ぶらでは話にならず、平九郎も俺も血眼になって、届けるところへは(とどけ)をする、心当たりへは人を出す、多分、テメエのところへも我家(うち)(でん)()という奴が突き止めがてら談判(かけあい)に行ったはず。平九が家に居ないのも大方そのために走り回っているのだ。テメエがもう少し歳でも()ってりゃ、ただでは帰らせないところ。俺が一ト理屈こねて、お須磨を今()ぐここへ出すか、さもなければ最初平九が出した金に雑費、利息を添えて今直ぐ渡せ、とか言おうところだが、テメエはまだ子ども、言っても埒が明かないから許してやる。その代わり、(うち)に帰って(おふくろ)によくこの事情を話すがいい。もしも又本人がそっちへ立ち回ったら、直ぐに平九なり、扇面亭なりへ知らせの手紙を寄越さなければ、そっちの義理が済まないぞとな、しっかり伝えておけ。俺はこれからそのためにどうするかをその筋の人に頼みに行くので、テメエには長く構ってはいられない」と、予想もしなかった返事に、あてにしていたことは(あだ)となっただけではなく、又新しく一つ憂鬱(うれい)が加わってしまった。失望、落胆極まって、茫然となり、涙も出ず、筋骨(すじぼね)()えて力も無くなり、何と返事をしたのやら、自分でも覚えておらず、元来た道を夢のようにぼんやりと幾町か辿っていると、

「こら! 耳も聞こえんのか、この小僧がっ!」と、車を曳いていく男に叱られて驚き、避ける拍子に、ハッと我に返れば何時か我が身はすでに千住(せんじゅ)の外れに来ていた。


 ()は早くも西に傾き、竿を使えば届くのではないかと思われるまで低く、高い樹の梢に百舌鳥(もず)の鳴き声が淋しく聞こえる。()き腹が急に痛むような感じがして、先刻(さっき)までは張り詰めていた一心で、飯を食うことも忘れ果てていたが、今はさして欲しくもないむすびを腰から取り出し、湯茶も無いが、無理矢理腹に(おさ)め、さて家に帰ったとして、どうすればいいのか、母に会って何と言おうか、勇造めへの返事はどうしようか、(ねえ)(さん)はどこにいるのだろうかなど、別にとらえどころはないけれど、すべて心に引っかかることばかりで、思いはあちこちに乱れ、我と我を忘れて、疲れた足を引き摺りながら歩いて行くと、()戸袋(どぶくろ)というところにさしかかった。日はすでに暮れたけれど、昨夜(ゆうべ)とは違って空は晴れているので、舎人(とねり)(*地名。現在の東京足立区の最北端)あたりから月が出て、その冷たい光を頼りに、心はただ何となく深い憂いに沈みながら、首を垂れてとぼとぼと歩いている。こんな様子を見れば、たとえ木仏(きぼとけ)でも憐れと思し召すのではないかと思われた。


次回、題名にもなっている「あがりがま」が出ます。それを契機として話は意外な方向へ展開していきます。

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