幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(14)
其 十四
思わず放った一声に、自分自身驚いたおこの、我が子の手前もあり、はしたないと思い返して、じっと堪えに堪えたけれど、男児と違って女は情に脆く、遂に堪えかねて、たとえ話しても無益だとは分かっていても、心配顔の榮太郎に一部始終を語り出した。
榮太郎は最初から再三再四訊いてみても答えてくれなかったことなので、洩れなく聞いて、自分の力でどうにもならないことなら、どんなことかは分からないけれど、話を聞くことで母の憂いを少しでも除くことが出来ればと耳を澄ませば、憤に震えてか、恨に震えてか、母は声さえも打ち震わせて、
「ああ、聞かさなくてもいいことだと、忍耐はしたけれど、私だけが辛い目を受けて済むこともないので話を聞かせますが、絶対に亡くなられたお父様や、私を甲斐性の無い者だと恨んでおくれでない。今日、あの医者の宗安めが来て、例のように薬代の催促。お前も知っている通り、お父様が亡くなったのは、つまりが彼めがしたようなもの、ではあるけれど、薬代を払わないという訳にもいかない。しかし、こちらの手詰まりを知りながら無理無体のひどい催促。言い訳をしても聞いてくれず、困り果てたところに勇造めが急に現れて、親切そうに立て替えてくれたまではよかったが、その後で語る話を聞けば、お父様が一つの地所を勇造と茂平次殿と両方へ二重抵当に入れて置かれたとの言い分。いくらなんでも貧に逼られたとは言え、二重抵当は公儀の御法度。まさか、そんなことはされておられないと思うけれど、こちらに証拠はなし。勇造は親切らしくも、それについては浦和から法律とやらに明るい人が来たので、それを幸いに頼み込んで鯉屋に連れてきているので、相談するため、鯉屋へ来いと、私を急き立て急き立てして、連れて出たのだが、それは畜生めの罠。私は二重抵当と聞いて、何の考えも出ず、縋れるものなら勇造に縋れればと頼み込んで、何卒、亡位様にも汚名が付かないようにと思うばかりで、連れ立っていけば、鯉屋には別に待っている人もなく、不思議に思って訊ねれば、『今ちょっと外に出られと思うからしばらく待って』と言う傍ら、酒を取るやら肴を取るやら、胸に一杯苦労のある私を捉えて、飲めの、干せのと五月蠅く猪口を突きつける。少しはムッとして来たけれど、何かにつけて世話になり、又殊更これからも世話になる身だと思えば忍耐して厭々ながら相手になれば、増長してか、悠々と何時まで経っても酒事ばかり。折に触れての言葉の端には、私に向かってあるまじき悪ふざけをも言う始末。往時だったら赤恥かかせてやるところだけれど、侮られても腹を立てられない弱みもあるので、下手に出て優しく受けている内、酒が段々と廻って来るにつれ、聞くに聞かれないことを言い出したので、私も堪忍しかねて、厳しく一言言って退ければ、『えらく立派なことを言うの』と、気味の悪い言葉を前置きにして、露して来る狼同然の本性、『実は法律を知った人とはこの勇造のことだわい。我より他にテメエの亭主がしでかした不埒なことのその尻を収結めることが出来る者がいるものか。気の毒ながら榮吉の亡者にこの世の罪を被せて、テメエ等母子を泣かせようと、又テメエ等と助けようと、この我一人の胸にあるのだ。罪過はそっちでしでかしたこと、親切尽くめで言ってやったが、そっちがそういう立派な理屈で押してくるなら、こっちでも人情はない理屈で押そうぜ。出るところへ出て埒を明ける。だが、そうしては花も実もない。それ、魚心に水心、悪くはしない我の言う通りにするのがいい』と、恥ずかしくもこの私に向かって厭らしいことを言い掛ける憎さ。引き裂いてもやりたい程憎いけれど、こっちの弱点につけ込んで、慈悲と脅迫の両面責め。悔しいばかりで返事は出来ず、私は口を噤んだきり、一言も吐かず黙って終い、じっと考えを凝らしました」
つづく




