第39話 彼女は立ち寄る①
大変お待たせしてすみません。
ご主人様に会いに行ったところ、彼女は今までのイメージからはなかなか想像しにくいご様子でいらっしゃいます。
昼食を終えてまもない、食休みの時間帯ということも影響しているのでしょうか?
ご主人様はカウチにごろりと仰向けに寝そべって、右手に持った書類の束を目を細めて眺めています。
左手にはペンが握られていて、時々読み終わった書類に何やら書き込んでいますよ。
そうなのです。
カウチに寝転んでいることもそうですが、ご主人様のモノと思わしき小さな宝石がちりばめられた細い小さな靴が二足一組、カウチの足の傍――絨毯の上にあり、脛の部分まで絹のストッキングに包まれた細い足をさらけ出しているという、淑女にはあるまじき醜態といっていい格好ですよ。
意外ですね。
私のイメージでは、ご主人様は普段からこういっただらしのない格好は絶対にしないと思い込んでましたよ。
今のように人払いをしてあっても、です。
ついでに今日訪ねたことで、ご主人様のルーシェリカさんに対する信頼加減が非常に高いということも分かりました。
寝転び出したの、ルーシェリカさんが来て人払いしてからですから。
私がこちらに訪問した当初、ご主人様はカウチに普通に座って書類を読んでいらっしゃいましたよ。
どうも、ルーシェリカさんにとっては見慣れた光景のようで、まったく驚いた様子が見られません。
そっと紅茶入りのカップを差しだしたり、本来書類仕事を行うべき場所である執務室から運んできたらしい台車に乗った書類の山を崩して直接手渡したり、読み終わった分を回収して運んだりと、メイド長という役職の名に恥じない様子で、ごくごくさりげなくご主人様の無言の要望に応えています。
入室後の挨拶をしてから、ルーシェリカさんからご主人様に語りかけるようなフシは今のところ無いです。
先日、9日分の報告したばかりだからでしょうか?
ご主人様の作業がひと段落するまではと通常業務に勤しみつつ、待機中なのかも?
今回、ルーシェリカさんが先触れを出していないからでしょうね。
ご主人様も緊急性がない訪問だと判断しているらしく、公務を優先しているようで話しかけてくる気配が全然感じられません。
「待たせたの、ルーシェリカ」
ご主人様がそう話しかけてきたのは、訪問してから1時間ほど経過した頃でした。
話をするからでしょう。
寝転がっていたカウチから起き上がり、真っ直ぐにルーシェリカさんへ顔を向けています。
「これから、姉上主催の茶会に呼ばれておる。あまり時間は割いてはやれぬ故、手短に申せ」
ご主人様はそうおっしゃると、肺いっぱいに吸い込んだ空気を全て絞り出したような、大きな大きな溜め息を吐かれました。
「……ただでさえ姉上の茶会に遅れることは出来ぬ故、今日はそこまで時間的な余裕がなかったものを。わらわの派閥の一因だと認めるのも忌々しい、第1王妃シンパの身の程知らずのド阿呆のしでかしおった愚行の後始末のせいで、今日の予定がだいぶずれ込んでおる。本当に、時間の余裕がないのじゃ。
ああ。腹だたしいのぅ。あのド阿呆めが。ミハにも借りを作ることになってしまったし」
寝転びながらとはいえ、実際に昼休みに当たる時間まで使って書類の山と格闘していたのです。
ご主人様のおっしゃる通り、予定外の仕事が急に入ってきていたのでしょう。
しかも、ご主人様の利になるようなものならばともかく、愚行と断言されるような不始末の後始末なのです。
なんとも気が向かない、実に遣り甲斐のない仕事だったもよう。
その可憐なかんばせに、くっきりと疲れの色が浮かんで見えますよ。
たかがお茶会。
されど、お茶会です。
他にどんなメンバーが参加するのかは分かりませんが、第2王女と言う立場に相応しい格好をしていく必要があるので、その準備時間は確保しなくてはいけません。
ごく内輪のモノだけで行うなら別ですが、ご主人様のニュアンス的に普段着のドレスで行けるようなお茶会ではなさそうですね。
もともと貴族の女性は日に何度も着替える習慣がありますが、政治的な情報も飛び交うこともあるお茶会ですから、普段よりも衣装に数倍気を使う分、時間が掛かるのでしょう。
そして、お茶会の主催者であるレディ・マクスリールは、王位継承権こそ現在所持しておられませんが第1王女の称号を持っているのです。
正当な理由があったとしても、ご主人様は遅刻して行くわけにはいきません。
それだけで第2王女は第1王女と不仲という噂が、翌日王城内を席巻しかねないですし。
それにしても。
一体、どんな愚行だったのでしょうね?
ご主人様の手を煩わせるほどのことで、どういう経緯かまったく不明ですけど王位を巡る対立陣営の1人であるミハイル王子に借りを作ったって、借りの内容と重要度合いにもよりますけど、相当なことですよ。
「では、ご主人様。手短に致します。
導師シュダァの出した条件を果たすことで許可を得て、モンスター討伐に直弟子のセルマ様との同行が可能になりました」
「――叔父上が許しを!?」
相当意外だったらしく。
ご主人様の顔から疲労の色が瞬く間に消え失せました。
大きな蒼い目をカッと見開き、マジマジとルーシェリカさんの目を見つめてきます。
そんなに意外ですか?
そういえば、シュダァ様の許可が出たと言ったらセルマも驚いてましたね。
「叔父上は基本的に穏和で茶目っ気がおありになる方じゃが、厳しいところは非常に手厳しい方。どんなものかは知らぬが出された条件を果たしたとはいえ、よう許されたのぅ」
あのシュダァ様がお茶目?
それって、それなりに親しい身内(姪)であるらしきご主人様に対してだけなんじゃないでしょうかね?
……もしかすると、コードレスバンジーがそれに該当するのかもしれませんけど。
「導師シュダァの条件は、幸いなことに私にとって達成しやすいものでしたから」
ところで気になったのですが。
ご主人様って、第1王妃様とは不仲なのでしょうか?
異母姉であるレディ・マクスリールと異母兄に当たるエドガー様のことは『姉上』と『兄上』で、数カ月違いの異母弟ミハイル王子のことは『ミハ』と愛称、シュダァ様のことも『叔父上』と呼んでいるのにもかかわらず、実母のことは称号呼び。
呼び方1つで他の血縁者と比べ、距離感があるように聞こえます。
今回、何やらしでかした人間が自分の派閥の一因だと認めるのも忌々しいとおっしゃっていましたし。
もしかすると、第1王妃関連でその娘である第2王女の陣営に属することを決めた人員の中で、過去にも暴走してご主人様の手を煩わせたことがあるのかもしれませんね。
「それは幸運だったのじゃな」
「はい。私も運に恵まれていたと思います――ところで、ご主人様。貴女の手を煩わせ、貴重な時間を無駄にさせた者はどうする心積もりであられます?」
その者に罰を与えるのを手伝えるようならば、私も。
ルーシェリカさんはごく自然に、するりと物騒なことを言い出しました。
「その件に関してはルーファスに任せておる」
さらっとルーシェリカさんの言葉を流し、ご主人様はそうおっしゃいます。
……そういえば、恒例の朝の職場行きですけど、今日の朝、ルーファスがいませんでしたね。
毎回3人揃っていたので、ちょっと不思議に思ったものです。
何かの仕事で忙しくしているのかもしれないなーと、そのまま私は流しましたが、このせいだったとは。
「ルーファスに任せてあるのでしたら、私の手伝いは無用ですね」
「そうじゃな。ルーファスは十全に仕事を果たす。あやつから求められぬ以上、手伝いはせずともよいぞ。おぬしには他にも重要な仕事を任せておるしな」
「そうですか……」
ルーシェリカさんはしゅんと肩を落としました。
何だか、すっごくがっかりしてますね。
そんなにご主人様に迷惑かけた人間にヤキ入れたかったんですか?
「おぬしのように、わらわの利となるため、わらわへの忠誠心から動くならば、まだルーファスに任せなかったがの。
わらわのためではなく、己の利のためだけに動き。
わらわを主として表向き遇しておきながら、わらわではない他の者の意のままに応えて動く。
そんな不心得者を飼っている余裕などはないわ。役に立たない木偶以下など、必要ないのじゃ。まして、ただ役に立たぬどころか、見当違いの愚行に巻き込まれて、わらわの身も危うくなるところであった。
ならば、せいぜい最期くらいは役立ってもらうしかなかろうて」
うわぁ……
ご主人様が言っている最期の意味って、やっぱりアレですか?
そんな仄暗さ漂うご主人様のお言葉から程なくして。
何かを言いかけて口を開いたルーシェリカさんが、不意に扉の方向に目を向けました。
数秒もしないうちに、ノックの音が響き入室の許可を求める声が響きます。
「――ああ。もうそんな時間になりおったか。入りや」
「失礼致します」
ぞろぞろと連れだって入室してくるメイドさん達。
どうやら、着替えを始めなくてはならない時間になったようです。
ご主人様はやってきたメイド達に連れられて、内ドアで繋がっている衣装部屋と思わしき隣室に移動しました。
ルーシェリカさんは部下達の邪魔にならないためか、衣装の色を話し合っているご主人様に退出の許可を求めます。
受け入れられると、その場を後にしました。
そのまま自室に向かうのかと思いきや、ルーシェリカさんの足は違う方向に。
しばらくして。
見覚えのある通路に出ました。
おや? この方向にあるのは――
「――あら? お姉様。またいらっしゃったのですね。わたくしは今日二度もお目にかかれて嬉しいですけど、どうかなさったので?」
ドアを開けるなり、そう弾んだ声をかけてきたのはミレイ嬢です。
そう。
ミレイ嬢がいる――すなわち、職場ですよ。
愛らしい顔に満面の笑みを浮かべて、いそいそと近寄ってくるミレイを真っ直ぐ見詰めながら、ルーシェリカさんは口を開きます。
「確認したいことが出来て、知っていそうな貴女に会いに来たのよ。ミレイ、ルーファスがいない理由を知っている?」
「――はい、知っていますわ。ですが……お姉様、どこでそれを耳に?」
内緒話をするように、小さくひそめた低い声で問いかけてくるミレイ嬢の金色の眼がスッと細まります。
相変わらず、ルーシェリカさんに対して幸せそうな笑顔を向けたままなので、妙な迫力があって、ちょっと怖いですよ。
私とは違い、ルーシェリカさんはそんなミレイ嬢の変化にも慣れているのでしょう。
動じた様子無く、あっさりと白状しました。
「ご主人様に直接伺ったのよ。ご主人様の予定がだいぶ押していて、他の人間が来てしまったから詳しい内容までは聞けていないの。だから、知っていそうな貴女に聞こうと思って」
「まぁ。そうでしたの」
細めた眼を元に戻し、ふんわりと柔らかい声音でミレイは頷きました。
「ああ、よかった。それならば問題ありませんわね。
限られた人間しか知らない極秘情報のはずですのに、こんな短時間でもう情報が漏れているのかしらと思って、わたくし、驚いてしまいました」
私が考えるに。
多分、ミレイ嬢はメイド業務の傍ら、ご主人様陣営の情報機関を取り仕切っている立場にあるのだと思います。
いくら貴族の嗜みとはいえ、情報収集速度が子爵令嬢個人のものにしては異様に早過ぎます。
2週目の結末のことを考えると、王女の所持する情報機関の長に相応しいだけの能力を充分に持ち合わせていますからね。
そんな立場にある可能性が高いミレイ嬢からしてみると、情報漏れは見過ごせないことでしょう。
今回の場合、情報漏れがご主人様が借りを作ったというミハイル王子側であるのならば、まだマシですけど。
同陣営サイドから漏れたとなると、かなり深刻な事態です。
許可なくして決して他には漏らさないと判断されて知らされた幹部の中に内通者が居るってことですもの。
「それで、先に確認したいのですけど。お姉様は、どの程度のことまでナタリー王女殿下からお聞きになられました?」
「ほとんど伺ってはいないわ。ただ、ご主人様の手を煩わせて1日の予定を狂わせた揚句、ミハイル殿下に対して借りを作らせてしまった大馬鹿者がいて、ルーファスが処分を任されたと。それぐらいね」
『処分』って、ルーシェリカさん。
薄々、その人間がどうなるかは察してはいましてけど、身も蓋もない言い方ですね。
「そうですか……お姉様。本当に大雑把な概要程度のことしか、知っていらっしゃらないのですね」
ミレイ嬢の言葉に、ルーシェリカさんは大きく頷きます。
「分かりました。お姉様。わたくしがこの件に関して知っていること、お話いたしますね」




