1「ステラ」
プリマステラ。
配信プラットフォーム「プラネタリア」が年に一度、デビュー1年以内の新人ステラだけに贈る称号。
等級も、再生数も、登録者数も、個人も企業も関係ない。
選考基準はただひとつ。
『あなたの推しに、1人1票』
その年、いちばん多くの人に「見つけられた」星が、それを獲る。
——満天の星の中から、あなただけの一番星を見つけて。
配信開始まで、あと60秒。
「むり。むりむりむり。やっぱりむりだよ、そら〜」
防音カーテンを閉め切った私の部屋で、ルミナが毛布にくるまっている。リングライトに照らされた、世界一かわいい芋虫。
「ルミナ。それ、60秒前に言う台詞じゃないよ」
「だって、だって……誰か来ちゃったらどうするの」
「そりゃあ、来てもらうために配信するんじゃない」
「でも……でも……来なかったらどうするの!?」
「どっちなのよ」
毛布の隙間から、涙目がこちらをのぞく。長い睫毛が湿って束になり、きらきらと光を反射する。こんな顔ですら絵になるんだから、本当にこの子は理不尽だ。
——だけど、その「理不尽さ」のせいで、ルミナはずっと一人だった。
母親譲りの、生まれつきの金髪。北欧の血が四分の一入った、作り物みたいに整った顔。小学校では「調子乗ってる」と女子に無視され、中学では身に覚えのない噂を流され、高校に入った今なんて、最初から誰も近づいてこない。本人は何ひとつ悪いことをしていないのに、その見た目だけで、ルミナの周りには勝手に壁ができていく。かわいいね、と言われるたびに孤独が深まるなんて、設計ミスにもほどがある。
だから私が、描き直す。今夜から。
「30秒前。ほら、毛布から出る。ミラージュの位置、最終調整するから」
「……そら、ひどい!」
「はいはい。私は世界一ひどい幼馴染ですよ。ほら、早く」
「そこまで言ってない!」
「だから、どっちなのよ」
毛布を剥ぐと、ルミナが観念して椅子に座り直した。私はタブレットを操作して、ルミナの上から光を重ねていく。
ミラージュ。
現実の姿にAR装飾を重ねる、次世代の配信技術だ。専用アプリを入れたタブレットひとつで、髪色も、衣装も、光の粒も、現実の上からまとわせることができる。
猫耳でも、天使の翼でも、別人レベルの顔変えでも。なりたい姿に、なんでも盛れる。
今や、配信といえばこれだった。
でも私がルミナに重ねたのは、ほんの少しだけ。星屑みたいな淡い光の粒と、髪のまわりにごく薄い光暈。顔はほぼそのまま。現実でまじまじと見れば、分かってしまう程度の装飾。
「ね、ねえ。もっと盛らなくていいの? みんなもっとキラキラじゃない? アルちゃんだって——」
「盛らない。ルミナは素材がいいから、隠すほうがもったいないの」
「〜〜〜〜っ、そういうこと真顔で言うのやめて……!」
茹で上がったルミナを眺めながら、私は手元の進行表を確認する。初回30分。自己紹介5分、雑談25分。
告知ゼロ、フォロワーゼロの初配信に視聴者は来ない。来ない前提で、一人で喋りきれる設計にしてある。詰まったら話題カードを出せばいい。BGMは自作。サムネは一番クリック率が高そうなやつ。
初めてにしては、我ながら手際がいい。
——なんてな。初めてじゃないから、当然だ。前世でも、こういう仕事をしていた。
人に曲を書いて、人を磨いて、人を送り出す側の人間。
——男として、だけど。
その記憶を持ったまま、女の子に生まれ直して16年。もはや前世も記憶の彼方。だけど、ルミナには、当然何も言っていない。
「……そら?」
「ん。なんでもない。10秒前」
「ひぃぃぃぃっ」
「大丈夫。ほら、深呼吸して」
私は画面の外、カメラに映らない位置にしゃがんで、ルミナと目線を合わせた。
「いい? 誰も来なくても成功。噛んでも成功。無言になったら私が話題カード出す。ルミナは今日、配信ボタンを押せた時点でもう偉い」
「……押すのはそらだよ?」
「じゃあ、そこに座ってる時点で偉い」
「基準ゆるゆるじゃん……」
笑った。よし。その顔なら大丈夫。
「3、2、1——」
配信開始。私の合図を見てルミナがしゃべりだす。
『はじまりました……えと、こんばんは。初配信の、朱野ルミナです。よろしくお願いします……』
ぺこり、と画面の中で頭を下げる。同接、0。
知ってたし、想定してた。完全な無風からのスタート。今日はショートの素材が取れればいいし、むしろルミナの練習にはちょうどいい。私はタブレット越しに、匿名の運営アカウントから一番乗りのコメントを打ち込んだ。
《こんばんは》
『わっ、こ、こんばんは! 来てくれてありがとうございます! えっと、えっと、今日は初めてなので、自己紹介を……じ、自己紹介します! 好きな食べ物は、グラタンです!』
コメントに全力でお辞儀して、勢いのまま進行表を2項目すっ飛ばす配信者がいた。打った本人の私が一番ダメージを受けている。何これ。かわいさで人が死ぬ。
10分が過ぎた。同接1。私だ。
ルミナは話題カード①「最近あった面白いこと」を始めてすぐ着地点を見失い、②「好きな季節の話」では春の話をしているうちに、なぜか泣きそうになっていた——『桜って、散るのに毎年咲くのすごくないですか』——。誰もいないコメント欄に向かって、それでも一生懸命に喋り続けている。
どこかの大手事務所に所属するステラなら、初配信から何百人も集まるんだろう。
だけど、無名の個人ステラのスタートなんて、みんなこんなものだ。誰も自分を見てくれない教室で、一人で話し続けるみたいな行為。
——それを、この子はずっと、本物の教室でやってきたんだけど。
20分が過ぎた。同接2。どこかの誰かが、迷い込んできたみたい。嬉しい想定外。
《なんかきれいな配信みつけた》
『き、きれい!? あ、ミラージュのことですか? これ、幼馴染がやってくれて……すごいんですよ、ほんとに。私はただ座ってるだけで』
私を出すなよ、と画面の外で頭を抱える。謙遜しすぎる癖、あとで矯正リストに入れておこう。
だけど私は、そのコメントを、たぶんルミナより先に何度も読み返していた。
みつけた、か。
『あの……来てくれて、ありがとうございます。今日、誰も来なかったらどうしようって、ずっと思ってて。昨日、眠れなくて』
ルミナがカメラを——その向こうの誰かを、まっすぐ見た。
『来てくれただけで、嬉しいです。ほんとに』
コメント欄が、止まった……と思ったら動いた。
《……応援するよ》
同接、3。
いつの間にか、もう1人増えていた。
たった3だ。世間から見れば、笑っちゃうような数字。前世の私が関わった現場なら、リハの見学者より少ない。
でも、画面の中のルミナは笑っていた。教室では一度も見たことのない、肩の力が抜けた、心底嬉しそうな笑顔で。
——ああ、と思う。
この笑顔を、何千人の前に連れて行く。あの教室で俯いていた女の子が、一番星と呼ばれるところまで。
それが、二度目の人生で私がやる仕事。
『じゃあ、最後に……また来てくれたら、嬉しいです。おやすみなさい!』
配信終了。総視聴者数、3人。最大同接、3人。
「そら!! 見た!? 3人も来た!! 3人だよ!?」
椅子ごと振り返ったルミナが、配信用の余所行きを全部脱ぎ捨てた顔で叫ぶ。
「見てた。ルミナ、最後のあれよかったよ。来てくれただけで嬉しい、ってやつ」
「え、へへ……ほんとに思ったから」
「うん。だから良かったの。その謙虚さは、ずっと持っときなさい」
「ケンキョ!」
謎のポーズをとりながらケンキョと繰り返すルミナ。可愛すぎるそのビジュアルを直視できず、私は目を逸らした。
「ね、ねえ、次はいつやる? 今日楽しかったから、私、もっと喋れる気がする! あ、でも調子に乗ってるかな、3人で……」
来た。この子はこういうとき、先回りして自分を殴る。誰かに殴られる前に、自分で殴っておけば痛くないと思っている。長い付き合いだから知っている。
だから私は、ログを指さした。
「乗っていいのよ、ルミナ。これ見て。——初配信、告知ゼロ。なのに3人も来て、コメントまでもらえた。見てる人がコメントまでくれる確率って、ほんとはすごく低いの。10人見てて1人書けば上等の世界。今日のは大成功。ゼロがイチになった夜。一番難しいところは、もう終わったんだよ」
ルミナはしばらく黙って、ログの文字をもう1回読んで、それからぐすっと鼻を鳴らした。
「……そらは、ずるい」
「何が?」
「そういうこと言うから、私、くじけられないじゃん」
それでいい。いつか、ルミナが一人で立てるように。そのために私はここにいる。
その夜、ルミナが帰ったあと。
私は一人で配信のアーカイブを最初から見直した。編集点の洗い出し、音量バランス、サムネのピックアップ。裏方の仕事は、配信が終わってから始まる。
画面の中でルミナが噛む。笑う。泣きそうになる。また笑う。
《なんかきれいな配信みつけた》
ログに残ったコメントを、私はもう一度だけ読んだ。
見つけたのは、あなたが最初じゃないよ。
誰にも届かない、厄介オタクみたいな自慢を胸の中だけでして、私は切り抜きポイントに印を付けていく。ひとまず3箇所くらいか。特に、コメントを返すときのあの笑顔——あれは、いける。
夜のうちに編集しよう。15秒の、流れ星みたいな動画を1本。
それが空のどこまで届くのかは、わからないけれど——祈りを込めて。




