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 飲み会は、山路も海野も明日仕事があるとのことで、一次会でお開きとなった。

 平木としては、久しぶりにふたりと飲み明かしたい気持ちだったが、無理に引き止めるほど、理性が働かないわけではない。

 翌日仕事が控えた日はなるべく早く家に帰りたいものだ。無職にはなったが、その気持ちはまだ忘れていない。

 それでもまだ少し飲み足りず、一人でどこか店に入ろうかと、繁華街の道すがら、財布を開く。

 しかし――

  

「くそう……、金が……、金がねぇ……!」


 さみしい財布の中身に、平木はがくりと肩を落とした。

 山路が平木の分をおごってくれるということになっていたのだが、海野がすかさず異を唱えた。


『こいつを甘やかすな。じゃないと、一生このままだぞ』


 海野に厳しく言われ少し怯んだ山路だったが、その時は珍しく食い下がった。

 そのため、互いに譲らず決着がつきそうになかった。

 本来、事の元凶である平木が自分も払うと言えばいいところなのだが、おごりを諦めきれず、『よしっ、じゃんけんで負けたやつがおごりな!』と酔った頭で提案したのだった。

 結果、平木の惨敗。

 これにはさすがにふたりとも同情し、結局、割り勘となった。

 もしふたりが割り勘を申し出てくれなかったと思うと、ぞっとする。

 改めていい友人を持ったものだと実感した。

 しかしそれはそれとして、金がないのは変わりない。


「こんなんじゃ酒も飲めねぇ、パチンコも風俗も行けねぇ……!」


 嘆き混じりの溜め息を漏らして、頭を抱える。


 ――現実を思い知ったか。サブでもイケメンでもないお前は、諦めて職を探せ。


 海野の厳しい正論が脳裏に蘇る。

 確かに、そろそろ再就職について真剣に考えなければならないだろう。

 自分のような凡人は、地道な労働で金を得て生きていくしか他にない。


(だけど……!)


 ぐっと拳を握り締める。


「働きたくねぇーーーーー!!」


 平木は夜空へ向かって、思い切り声を張り上げた。


「なんで働かないと生きてけないんだよ!? おかしいだろこの国! “働かざる者食うべからず”とかさ、働けないヤツもいるっつーの! 俺とか俺とか俺とか!!」


 酔っぱらいの雄叫びに、周囲は顔をしかめながら平木を遠巻きに見て通り過ぎていく。

 そんな中、


「……あれ? 平木さんじゃないですか?」


 振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。

 整った顔に冷めた目元。その顔には見覚えがあった。


「花崎、さん……?」


 花崎透――以前勤めていた会社の本社から一時的に支社へ来ていた男で、年下ながら役職は上だった。

 女子社員に人気で、自分とは住む世界が違うと感じていた存在だ。

 正直なところ、女子社員の注目をさらっておきながら、少しの愛想も見せないクールっぷりが、いけすかないとも思っていた。

 

「お久しぶりです」

「あ、どうも、お久しぶりです……」


 まっすぐこちらにやって来て話しかけてくる花崎に、平木は戸惑った。

 それは思いがけない人物との久々の再会ということもあったが、そもそも花崎が支社に来ていた期間、プライベートはもちろん仕事上でも特に深い関わりがなかったからだ。

 もちろん業務の関係で少しだけ会話を交わしたことくらいはあったが、それだけだ。

 あれから随分経つというのに、それだけ関わりの浅い人間の顔と名前を覚えているのが驚きだった。

 しかも、花崎のクールな性格を考えると、たとえ覚えていたとしても、街で見かけたからと言って、そのくらいの関係の人間に自ら声を掛けるとは、意外だった。

 困惑する平木をよそに、花崎は話を続ける。


「敬語、やめません? 平木さんの方が年上ですし」

「え、いや、でも……」

「会社辞められたんでしょう? それなら役職とか関係ないですし」


 花崎がさらりと言った言葉に、平木は驚きを隠せなかった。


「えっ、なんでそれ知って……?」

「支社に顔を出した時に、ちょっと耳にしまして」


 なるほど、と納得すると同時に、なぜ自分のような平社員の話が話題に上がったのだろうと疑問が湧いた。


(もしかして、使えない人間として記憶に残っていて『あの無能はどうした?』みたいな話の流れになったとか?)


 だとしたら、こうして声をかけてきた意図がますます読めない。


「これから、時間あります?」


 腕時計を見ながら、花崎が訊く。


「えっと、あるけど……」

「じゃあ、飲みに行きませんか?」

「えっ!」


 思いがけず誘われ、平木は驚いた。


(え〜。こいつのこと全然知らないし、絶対盛り上がらねぇだろ。正直、気まずい……)


 リストラされた会社の本社の人間、しかもこれといって接点もなければ好感もない人間と一緒に酒を飲むなど、もはや罰ゲームに近い。

 無難に断ろうと、酔った頭で懸命に考えていたが、


「もちろん、俺の奢りです」

「行きます!」


 即答だった。

 無職がおごりの機会を逃すはずがなかった。

 



 そこから先の記憶は、酒と共に徐々に薄れている。


「平木さん自分で歩けないほど酔っていて、家も分からないので俺の家に連れて帰りました」

「なるほど……」


 そういえば、居酒屋を何軒も梯子し、最後は花崎に支えられながら歩いていた気がする。


「そうか……俺、酔ってて……それで……」


 妙に納得しかけた平木だったが、ふと自分の格好に目を落として、声を上げた。


「いやいやいや! だとしてもなんで俺パンイチなんだよ!」


 目尻を吊り上げ、問い詰める平木だったが、


「玄関で失禁したからです」

「……は?」


 返ってきた答えに、目をパチパチと瞬かせる。


「し、失禁?」

「ええ、『もう限界~』とか言って、盛大に。なので服を脱がせてシャワー浴びせて……支えてた俺も濡れたので、片付けてからさっき風呂入ったんです」


 何もかもが衝撃的すぎて、言葉が出なかった。


「――っ! ご、ごめん! 俺、すげぇ迷惑かけ――」


 土下座しようとしたその瞬間、足元の鎖がジャラリと音を立てた。


「……えっと、ちなみにこれは……?」


 鎖を指さして、恐る恐る問う。

 しかし、花崎は表情ひとつ変えず答えた。


「鎖ですよ。見ればわかるでしょう? 平木さん、まだ酔ってます?」

「いやっ、素面でも同じ質問するわ!!」


 まるでこちらがおかしいかのように、軽く小馬鹿にしながら言われ、失禁の後処理の恩も忘れて思わず声を荒げる。


「というか、なんで鎖!?」

「何を言ってるんです。鎖の使用目的なんてひとつしかないじゃないですか」


 呆れきった口調で言いながら、花崎がベッドの縁に軽く腰掛ける。

 そして、鎖を緩く指に絡ませながら持ち上げて、言った。


「これは“逃がさないため”のものです」


 そう言って、花崎は鎖にそっと口付けた。

 その場違いな甘やかな仕草と、淡々とした口調とは裏腹の不穏な熱を孕んだ声に、背中が粟立った。

 こちらに据えられたままの刺すような視線に、動きを封じられて体の自由が効かない。


「……に、ににに、逃がさないってどういう意味だよ!」


 怯えを追い払うように大きな声を出す。

 しかし、花崎は少しも動じない。


「だって先輩、俺に何も言わずに会社辞めたじゃないですか。しかもその後も、連絡なし」


 なぜか眼差しに険しさが増して、平木はたじろいだ。


「い、いや、俺だって好きで会社を去ったわけじゃないしっ。ていうか、俺たち、そんな仲じゃなかっただろ!? そもそも連絡先も知らないし……」

「本社に俺宛に電話をかければよかったじゃないですか」


 そんなことも思いつかなかったのか、と呆れ気味に花崎が言う。


「いや、連絡先も知らないくらいの関係の奴にわざわざクビになりましたって報告するか!?」

「どんな些細なことでも報告は大事ですよ」

「さ、些細!? 人のリストラを、些細って言ったか!?」

「報連相は社会人の基本です。そんなんだからリストラさせられたんですよ」

「う、うるせぇ!」


 とんだ言われようだ。

 いくら当人がリストラについてそこまで悲観していないといっても、多少は配慮するものだろう。

 

「事実を言ったまでです。それに社会と隔絶されたこの家の中でも報連相は厳守ですからね」

「えっ」


 不穏な単語が耳に入ってきて、平木は目を白黒させた。

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