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プロローグ

 私は深いため息をついた。

 また面倒なことになってしまった。ようやく、物事が順調に回り始めたというのに、このままでは、今までの苦労が水の泡だ。

 あの夫婦にはいつも手を焼かされる。私はこの何十年、二人のせいで何度ため息をついてきたことか。全部数えたら現在の世界人口に匹敵するかもしれない。

 しかし今更泣き事を言ってもしようがない。二人の仲違いは今に始まったことではないし、それに私たち三人で始めた組織【ワールド・パーティ】がここまで発展したのも、ひとえに代表であるあの二人のおかげなのだ。

 さて今回はどうやって決着させるか? 何十年もの間繰り返し考えてきたことについて、思考を巡らせる。

 しかし、今回の問題はこれまでと違って少々厄介だ。なにせ二十年以上も前の話を蒸し返され、その頃の記憶を鮮明に覚えている者はいない。「そんな大昔の話を今更言い争ってもしようがないから水に流してくれ」と、私は何度も双方に伝えたが、どちらも拒否した。この妙に頑固なところは昔から変わらない。

(昔の話か……)

 私はふと、あの二人とも一緒に過ごした高校時代を思い出す。

 当時は、彼らとの関係が本当にここまで続くとは半信半疑だった。人との縁は不思議なものだ。

 しばらくして、私はテーブルに置かれた受話器を手に取った。


 ※ ※ ※


 あたしが部屋に入ると、おじさんは窓から夕陽に赤く照らされた瓦礫の混じる街並みを見下ろしていた。その表情はとても疲れきっていたが、街を見る瞳だけは強い意志を持った炎のように輝いていた。

「こんにちは、おじさん」あたしはいつも通り元気よく、おじさんの背中に向かって声を掛けた。「どうしたの急に呼び出して? もしかしてお小遣いくれるの!」

「……違う」おじさんはあたしの方へ振り返って苦笑した。「美羽、君の両親の話だ」

(ああ、やっぱり)

 あたしの両親のせいで、【ワールド・パーティ】のみんなが頭を抱えている。両親の古くからの親友にして秘書であるおじさんの表情がいつも以上に苦しそうなのはそのせいだ。

「毎度毎度、あたしの両親が迷惑かけちゃって、ごめんねねおじさん」あたしは一通りの謝罪を口にした後、ニヤリと笑った。「でも、そこは今回もおじさんがなんとかしてくれるんでしょ」

 おじさんの表情が胃に穴が空いたかのように歪んだ。それから癖というにはあまりに回数の多いため息を一つついた後、「一応、案はある。今日はそれを美羽に話そうとしたんだ」

「さすがおじさん!」

 あたしは手を叩いた。なんだかんだ言いながら、いつも人のために働いてくれるおじさんをあたしは格好良いと思う。

「茶化すな」

 おじさんは顔をしかめたが、あたしは気にせず訊いた。

「で、どんな案なの?」

「実はな……」

 それからおじさんが話してくれた作戦には、さすがのあたしも驚いた。

「そ、そんなことできるの? 凄いねおじさん」

 おじさんは肩をすくめた。「凄いのは私じゃなくて、私の知り合いだよ。『そいつ』の実用化試験を進めていた、超科学研究所と、サンフランシスコの会社からも利用許可は貰ってある」

 社交的にはとても見えないおじさんだけど、案外顔も広くて信頼も厚い。おじさん本人は「代表の威を借りているだけだよ」と言ってはいるが、それだけじゃない、とあたしは思っている。

「それで問題は、『そいつ』を誰が……」

 おじさんが続きを言う前に、あたしは「はいっ!」と手を挙げた。

「それ、あたしがやる!」

 おじさんの目が大きく開いた。「……い、いいのか? 危険がないとは言えないぞ」

「大丈夫、あたしに任せて」あたしは胸元をポンッと景気良く叩いた。

 おじさんはしばらく黙ってあたしの顔をじっと見つめていたが、やがて頭を下げた。「……すまないな、よろしく頼む」

 あたしはプルプルと頭を振った。「やめてよ、悪いのはおじさんじゃないよ。お父さんとお母さんの問題なら、娘のあたしがなんとかしなきゃ」

 と、口にはしたが、本音は別にあった。一つはおじさんの案がとても面白くて純粋に試してみたい、と思った。それから、いつもあたしたちのために身を粉にしているおじさんの役に立ちたい、とも思った。そして……。

 おじさんが丁寧な口調で言った。「ありがとう美羽。詳しいことは後で話すから、出かける準備をしておいてくれ」

「わかった」

 あたしは胸を弾ませて、部屋から出ようとした。すると「あっ……そうだ、美羽」とおじさんが呼び止めてきた。

「何、おじさん?」

「小田を呼んできてくれないか。それから……」

 おじさんは何度か視線をあちこちに向けてためらうような仕草を見せていたが、やがてはっきりとした声で言った。

「帰ってきたら、私の答えを教えよう」

「答え?」あたしは首を傾げた。「あたし、おじさんに何か訊いてたっけ?」

 おじさんは噛み締めるようにゆっくりと答えた。「……ああ、ずっと昔に」


 ※ ※ ※


 週明けはいつも頭痛で目が醒める。

 それもそうだろう、昨日もいつもの連中と、日付が変わるまでカラオケボックスに居たのだから。

 いつまでも布団に包まっていたかったが、そういうわけにもいかない。弟を……慎二を小学校に送り出さないと。

 俺は鉛のように重たい体を布団から引きずり起こすと、床に散らかった衣類の山から高校の制服を引っ張り出し、大あくびしながら着替える。カッターシャツもその下に着るTシャツも皺だらけでズボンも汚れが目立つが、一々気にしていられない。

 着替え終わると、隣の布団で子猫のように丸まっている慎二の体を揺すった。

「おい、朝だぞ」

 弟はうーんと小さく唸っただけで、起きる気配はない。俺は強引に布団をひっぺ返した。ようやく慎二はむくむくと動き出して、手の甲でまぶたをこすった。

「学校へ行く時間だ。着替えろ」

 と言い残し、財布と携帯電話をズボンの尻ポケットに突っ込み、部屋を出た。

 台所の明かりを点けて、俺は今日も舌打ちする。流しには汚れたままの食器、食卓には酒瓶や空いた缶ビールが無造作に置かれていた。

 廊下の奥にある『保護者』が居るはずの部屋を睨みつける。ドアのすりガラスの奥は暗く、まだ眠っているようだ。

 空き缶をリサイクル袋に放り込んでいると、着替え終わった慎二がランドセルを引きずり台所へやってきた。もともとは白かったはずの長袖Tシャツは黄ばみ、紺色の長ズボンも所々ほつれてしまっている。自分のことは差し置いて、酷い身なりだ、と思ってしまった。

 弟を座らせ、俺は冷蔵庫からロールパンと牛乳を取り出した。慎二は何も言わずロールパンを小さくちぎっては口に放り込んでいく。機械のように反復を続ける慎二の手首に真新しい絆創膏が貼られているのが見えて、俺はとっさに目を逸らしてしまった。

 慎二の対面に座り、俺もロールパンをかじる。すっかり硬くなっていて、ふと、このパンの賞味期限っていつだ? と思った。パンが入っているビニル袋に手を伸ばそうとしたが、冷蔵庫に入っていたんだ、少し過ぎても問題ないだろ、と考え直して、そのまま残りのパンのかけらを牛乳と一緒に胃の中へ流し込んだ。

「なあ、慎二」

 俺は、目の前で一言も喋らず小動物のようにパンをかじり続ける弟に声を掛けた。

「……なに、兄ちゃん?」

 と、しばらく間があって、弟の抑揚のない声が返ってきた。

「今週の週末、兄ちゃんの高校で……」

 そこまで言い掛けたところで、上目遣いでじっと俺のことを見ている慎二の姿に気づいてしまい、これ以上言葉を続けられなかった。

 俺は頭を振った。「いや、何でもない」

 慎二は何度か瞬きをすると、再びパンを咀嚼し始めた。

 ゴトリと『保護者』の部屋から物音が聞こえてきた。その瞬間、パンへ伸ばしていた弟の手がぴたりと止まった。そして、目が大きく開かれ、頰が小刻みに震え始めた。

 ……もう起きてきやがったのか。

 俺は急いで立ち上がり、弟の肩を支えながら椅子から立たせ、ランドセルを拾い上げる。そして慎二の腕を握り、早足で家を出た。

 俺たちの『保護者』と顔を合わせる前に。


 十分ほどでバス停に到着した。慎二はそのまま徒歩で小学校へ、俺はここからバスに乗って高校へ向かう。

 別れ際に、まだ少し顔色が青い慎二が、耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな声で言った。

「兄ちゃんさ……、昨日も夜遅くまで何やってたの?」

 弟の腕を握っていた手が震えた。そして弟の悲しそうでそれでいて俺を非難するような視線に、腹部をナイフで突かれたかのような痛みが走った。

「か、関係ないだろ」俺は弟の視線を振り払うかのように強く言った。「そ、それよりも、ちゃんと勉強しろよ」

「……兄ちゃんこそね」

 と、慎二は小声で返事をして、背中を丸めゆっくりとした足取りで小学校へ向かって歩き出した。

 そんな弟の背中を無言で見つめながら、俺はいたたまれない気持ちになる。

 ……弱い兄ちゃんで、ごめんな。

 背後から、バスのエンジン音が近づいてきた。


 十五分ほど、さほど混んでいないバスに揺られ、俺は高校最寄りのバス停の一つ前で降りた。サラリーマン健康法のように一駅分歩くわけではなくて、途中のコンビニに寄るためだ。

 店に入るとすぐさま雑誌置き場に向かい、本日発売の漫画雑誌を手に取った。レジに立つ皺の多い中年女が不快そうな表情でこちらを見ていたが、気にせずページをめくっていく。

 こうして漫画を読んでいる時だけは、嫌なことも忘れられる。

 しばらくして、俺と同じ高校の制服を着た男子が入ってきた。男子は雑誌置き場に近づいてきたが、俺の存在に気づくと、怯えた表情に変わり、そそくさと逃げるように店奥へ行ってしまった。俺はフンと鼻を鳴らして雑誌に視線を戻した。次にスーツを着た若い会社員も近づいてきたが、俺が一睨みしてやると、「えっと、栄養ドリンクはどこだったっけ」と、わざとらしく呟きながら通り過ぎていった。

 学校の始業時間間近まで雑誌を立ち読みし、昼食用のパンを買ってコンビニを出た(中年店員は苦々しい表情でレジ打ちした)。普通の速度で歩けば遅刻は間違いないが、それでも俺はゆっくりとした足取りで高校へ続く大通りを歩く。

 変わらない週明け。変わらない毎日。学校へ行くのをぐずる弟を無理やり送り出し、コンビニで時間を潰し、高校へ行っても向かうのは教室ではなく保健室。そして『保護者』がいる家に帰りたくないがために夜遅くまで街を『仲間』と徘徊する……。

 高校卒業まであと半年。

 俺は……それに弟は、これからどうなるんだ?

 ぞくりと背筋が震えた。


 普段通りの憂鬱な週明けで今週も始まると思っていたが、この日の高校はいつもと雰囲気が違っていた。

 今の時間、普段なら俺と同じく遅刻した生徒が数名(俺のように意図的ではないだろうが)、慌てて走り込んで来る程度で、校舎の外はいたって静かなはずなのに、今日に限ってはやたら騒がしかった。昇降口から次々に生徒が飛び出してきて、駆け足でグラウンドの方へ向かっていくのが見えた。

 今日はグラウンドで全校朝会でもあっただろうか? でも、朝会は基本的に体育館で行われるはずだ。

 学校の連中と群れることなんてしないが、平生と異なる生徒たちの動きが気になり、彼らを追って、俺もグラウンドへ向かった。

 驚くことに、グラウンドにはほぼ全校生徒といえる人数が集まっていた。校舎を仰ぎ見ると、窓からグラウンドを見下ろしている生徒たちの姿も見えた。彼らの視線はグラウンド奥のほぼ一点へ集まっていた。

 自然と視線の先、人だかりの中心部へ足が向かう。グラウンドに集まる生徒たちが口々に、「なんだこれ……」と驚嘆の声をあげていたが、肩をいからせて歩く俺に気づいた連中は一様に顔を伏せて道を空けた。俺はモーセが割った海の底を歩くがごとく、人だかりの中心へ進んで行く。

 唐突に、背後から女の声がした。

「ちょっと、急ぐからそこどいて」

 街を歩けば大人ですら避けていく俺に、道を譲らせようとは生意気な。無視して歩き続けると、再び女の刺々しい声がした。

「聞こえないの、邪魔って言ってるでしょ!」

「うるせえな」

 恫喝するような声を発しながら俺は振り返った。しかしそこには、熊のように大柄な男が立っていた。

「あっ……」

 あまりに予想外の光景に唖然として言葉が出なかった。

 ……まさか、このハリウッド映画の悪役に出てきそうな大男が、さっきの声を?

 大男から目が離せないでいると、突然腿のあたりに蹴られたような衝撃を受けた。

「おい、なんだ?」

 地面に目を向けると、そこには小柄な女が立っていた。平均的女子高生の身長にはとても及ばず、小学校の中学年、慎二とほとんど変わらない背丈くらいだった。まさに童女という言葉が当てはまる。どうやらさっきから俺に向かって声を掛けていたのはこの女らしい。背が低過ぎて視界に入ってこなかった。

「だから邪魔って言ってるでしょ。警察も来たからこっちも急いでるの」

 と、苛ついた声で言った背の低い女は、目尻を吊り上げて俺を睨み上げていた。その風体からは想像もつかないほどに威圧感で、俺は思わず一歩退いてしまった。

 そんな俺を横目に、女は肩まである黒髪をなびかせながら、早足で通り過ぎていった。そして大男も無言のまま童女のあとに続いた。

 ようやく我に返った俺は、二人に向かって凄んだ声で叫んだ。

「おい、待てよ、てめえら!」

 俺の声に、周りの生徒は表情を強張らせるが、しかし童女と大男は振り返りもしなかった。ますます腹が立ってきて、二人を追いかけようと足を踏み出した時、誰かが腕を掴んできた。

「ああ、ごめんなさい」

 と、俺の腕を掴んだ男子がいかにも申し訳なさそうな声で言った。その男子は猫背気味で、週明けにも関わらず既にくたびれた表情をしていた。

「本当にごめんなさい。僕が代わりに謝ります。すぐに周りが見えなくなっちゃうんですよ、瑞音も義隆も。でも、全然悪気はないんです。どうか、許してください」

 猫背男は深々と頭を下げた。あまりにも丁寧な態度に、一瞬威勢をそがれたが、ここで簡単に矛を収めたら周りの連中に舐められてしまう。

「ごめんって言えば許されると思ってるのか!」

 と、怒鳴り返してやろうとしたその刹那、校舎の方から大音声が響いた。

「おい敬悟! どこだ?」

 猫背男は後ろに振り向いて、片手を挙げて振った。「父さん、こっち!」

 彼の視線の先には、教師ではない背広姿の男が数名、こちらに走ってくる姿が見えた。

 その中の一人の中年男性の顔を見て、思わず口から心臓が飛び出そうになった。

(俺や『仲間』に、何かとつけて説教したがる警察のおっさんじゃねえか! どうしてこんなところにいやがるんだ?)

 中年男性が猫背男の前、俺のすぐ脇で立ち止まった。俺は顔を見られまいと、慌てて顔を伏せる。

「現場は?」中年男性の問いかけに猫背の男子生徒は「あっち、瑞音……会長があっちにいるよ」と答えた。そして猫背と中年男性は人だかりの中央に向かって走っていった。

「危ねえ、危ねえ」

 カッターシャツの袖で額の冷や汗を拭った。こんなところであのおっさんと顔を合わせたらまた何を言われるかわかったもんじゃない。

 そんな中で、今更ながら思い出したことがある。それは俺を押しのけてきた小柄な女と大男のことだ。確か童女が生徒会会長で、大男が副会長だったはずだ。どうりで態度がでかいわけだ。ちなみに猫背男は誰か知らない。

 それにしても、警察までやってくるとはただ事ではなさそうだ。俺は再び人だかりの中心に向かって歩き出した。

 そして、『それ』が目に入った時、俺は思わず呟いていた。

「な、なんだ……これ」

 そこにはグラウンドの半分の大きさはある、クレーターが出来ていたのだ。

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