死者の行進
紬が連れてこられた部屋は清潔だった。白い壁、無機質な照明、そしてベッド。それ以外には何もない。窓もなく、扉は内側からは開けられない構造だった。
紬はベッドの端に腰を下ろした。静寂が耳を圧迫するように響いていた。
蓮はかつて、軍でゾンビを排除していた。そして、大切な人がゾンビになった。彼女の死を知っているのに、彼女の親に伝えられない葛藤。
それらから逃げて逃げて、でもやっと、過去の自分と向き合おうとしていたのに。
こんな時に、また連れ戻されてしまうなんて。
蓮の精神が壊れてしまわないか、ずっと心配していた。
「蓮……あなた、大丈夫?」
誰もいない部屋で、紬は小さくつぶやいた。返事はない。ただ、空調の音だけが、無情に響いていた。
智春の部屋もまた、ベッドしかない空間だった。天井のライトが常に一定の明るさを保っていた。時間の感覚が、徐々に曖昧になっていく。
彼はベッドの上に座り、何度も部屋を見回した。隠し扉や通気口を探したが、何も見つからなかった。ドアは金属製で、外から施錠されている。
「どうやって…出ればいいんだ…」
智春は自問した。だが、答えは出ない。手元には何もない。彼はただ、時間が過ぎていくのを感じながら、蓮と紬のことを思った。
不安が胸を締めつける。彼はまだ子どもだった。だが、旅の中で少しずつ強くなっていた。今はただ、希望を捨てずに、次の瞬間を待つしかなかった。
蓮は、軍の隔離施設に足を踏み入れた。周囲には監視塔とフェンスが張り巡らされ、兵士たちが巡回している。
施設の奥へ進むと、巨大な屋内空間が広がっていた。天井は高く、壁には無数のモニターが並び、ゾンビの歩行データがリアルタイムで映し出されていた。
「個体A-112、歩行速度0.8メートル毎秒。腐敗度レベル3。反応性低下。タグ更新を」
兵士の声は冷たく、感情の欠片もなかった。蓮はその声に眉をひそめる。
ゾンビたちは金属製のレーンの上を歩いていた。前方には人間の臭いを染み込ませたパックが吊るされており、それを追うように、腐敗した足を引きずって進んでいる。彼らの首元には識別タグが取り付けられていた。タグには「歩行力」「腐敗度」「発電効率」などの数値が表示され、兵士たちはそれを見ながらタブレットで分類作業を進めていた。
「この個体は資源価値が低い。次回の廃棄ローテーションに回せ」
「資源価値が高い個体は、前線基地に転送。発電ユニットの補充に使える」
蓮はその言葉に、思わず拳を握りしめた。
資源。人間だったものを、ただの発電装置として扱う言葉。
モニターの前では、兵士たちが淡々と作業を続けていた。ゾンビの動きに異常があれば、即座にタグを更新し、次の処理へと回す。蓮の目には、それがまるで工業製品の検品作業のように映った。
蓮は黙ったまま、モニターに映る死者の行進を見つめていた。近くでは、兵士たちの無機質な声が、空間に響き続けていた。
森永が背後から現れた。軍服の襟元には階級章が光っている。
「付いてこい。懐かしい上司に会わせてやる」
蓮が研究所の扉をくぐった瞬間、空気が変わった。無機質な廊下、白い壁、消毒液の匂い。
「久しぶりだな」
迎えたのは、かつての上司、磯川。無表情で、冷たい声。
「磯川さん、まだこの仕事を続けてたんですね」
「ああ。聞いたぞ、女の子と少年を連れていたそうだな。変わった趣味だ」
磯川と蓮は、共同でゾンビの嫌う臭いを研究していた。
腐敗臭や血液の匂いに反応するゾンビの嗅覚を逆手に取り、忌避効果を持つ化合物を開発した。
ただ狙撃のセンスがあった蓮は、人手が足りないのを理由に、排除をメインにする部隊にもいた。
「君の車に塗られた“忌避剤”は、ゾンビの行動パターンを変えた。半径5メートル以内に近づかない。それは、我々の防衛ラインを根本から変える可能性がある」
研究施設にいた当時は1メートル程だったが、キャンピングカーに塗っていたのは5メートルまで効果があったらしい。
「君の技術があれば、輸送ラインにも応用できる。世界を救えるんだぞ」
その言葉に、蓮の胸が締め付けられた。例え世界を救ったところで、彼女は戻らない。幸せな日々は幻想だ。
「……どうせ、正しいことには使わないくせに。戦争をするための武器の一つだろ?」
「さあな。俺はこれがどう使われようと興味はない。ただ、大人しく従っているのが一番だってことくらいだ。反論した者がどうなるか。
…廃棄ゾンビと一緒にポイだ」
「磯川さんだけ続けていたらいい。俺には関係のないことだ」
「君が抜けてから、研究速度がかなり落ちた。いや、それでも遅いわけではない。ただ君がいた時が異常なまでに研究が進んだんだ」
席も前のままだ、あとは好きにしたまえ、と磯川は自分の仕事に戻った。出口には厳重な鍵と、監視役が立っている。
蓮は気が進まないまま、命令された研究の仕事に取り掛かった。




