昔の上司
キャンピングカーは、山間の細い道を抜けた先の空き地に停まっていた。
智春は後部座席でスケッチブックを広げ、何かを描いていた。意外と絵が上手いらしい。車窓から見える紅葉を描いている。紬は食事の準備で湯を沸かしている。
蓮は運転席に座り、地図を見ながら東京までの道のりを考えていた。
その時だった。
エンジン音が複数、遠くから近づいてくる。黒い車が三台、キャンピングカーの周囲を囲むように止まった。
車から一人の壮年の男が、ゆっくりと車から降りてきた。黒のジャケットに、深い皺の刻まれた顔。
「久しぶりだな、蓮」
蓮は地図を閉じ、運転席の窓を少しだけ開けて顔を出した。
「……あんたか。何しに来たんだ?」
男は微笑んだ。だがその笑みは、どこか張りついたような冷たさを含んでいた。
「元気だったか? あの頃の君は、もっと無鉄砲だったが……今は、守るものができたようだな」
蓮は眉をひそめた。
「答えろ。俺たちを見つけて、何が目的だ?」
男は一歩、キャンピングカーに近づいた。智春は紬に知り合い?と聞いて、紬は顔を横に振った。
「安心しろ。君たちを傷つけに来たわけじゃない。ただ、少し話がしたいだけだ。昔の仲間としてな」
蓮は窓から男を見下ろしながら、手をハンドルに添えたまま言った。
「昔の仲間なら、こんな囲い方はしない。話があるなら、一人で来い」
男は肩をすくめ、後ろに控えていた部下たちに手を振った。囲っていた車は少し距離を取り、エンジンを切った。
「少しだけ時間をくれ。話す価値はあると思うよ。君の“大切な人たち”のためにもね」
壮年は紬と智春を見て、フッと嘲笑った。
その言葉に、蓮の目が細くなった。
大切な人――その言葉が、蓮にとってどれほど重い意味を持つかを、男は知っていた。
「蓮、お前が戻ってくれば話は早い。軍は人手不足だ。お前のような現場経験者は貴重なんだ」
「断る。俺はもう関わらない。森永も俺の性格を知ってるだろう?」
森永は鼻で笑った。
「そう言うと思ったよ。だが、考えてみろ。彼らの衣食住、保証してやれるのは俺たちだけだ。今の暮らし、いつまで続けられる?」
「その言い方、気に食わねえな」
「事実だ。お前が軍に戻れば、彼らは安全な施設に入れる。教育も医療も、すべて整ってる。お前が頑張れば、彼らは何不自由なく暮らせる」
蓮は黙ったまま、視線を逸らさなかった。
「……それでも断る。俺は、あんたらのやり方に加担する気はない」
森永は肩をすくめた。
「ゾンビのせいで治安なんてないがな。できれば私だって、手を汚したくはない」
森永の言葉に、蓮はハンドルを強く握り軋ませた。
「……何が言いたい?」
森永は冷たい笑みを浮かべた。
「断ればどうなるか……想像してみろ。未成年を連れて、英雄気取りか?」
蓮は森永を見下ろし、ずっと疑問だったものを投げかける。
「……あのゾンビ収集車は、なんだ?」
森永は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。
「あぁ、ZRT-01 のことか。Zombie Response Transport の略で、「ゾンビ対応輸送車両」という意味がある。
あれは感染が特に多い区域で活動する、特殊部隊のものだ。ゾンビを回収して、処理施設に送る」
「処理って……火葬か?」
「ほとんどはそうだ。だが、若くて元気な個体は別だ。歩くだけでエネルギーを発生させる機械があってな。そこに入れて、前に人間の臭いをぶら下げて、ひたすら歩かせる。壊れるまでな」
蓮の顔が歪んだ。
「……それを、平然と話すのか?」
「効率的だろう? 人間の代わりに、ゾンビが発電する。資源の再利用だ」
蓮はギュッと拳を握る。目の前の男を殴りたい衝動にかられる。
「非人道的すぎるだろ、それは! ゾンビとはいえ人間を、機械に繋いで、臭いで釣って、壊れるまで歩かせる? それが“再利用”か?」
森永は苦笑した。
「感情論で世界は回らない。お前もそれくらい、わかってるはずだ。火葬にも費用やスペースの問題もある」
「……俺は、あんたらの世界には戻らない。俺を放っておいてくれ」
「そうか。本当なら話し合いで事を進めたかったんだが」
背後に控えていた黒服の男たちに目配せをした。
次の瞬間、銃の安全装置が外れる音が、空気を裂いた。
「やめろ!」蓮が叫ぶ。
「これはお願いじゃない。命令だ」と森永は言った。「お前が選ばなかった結果だよ」
黒服の男たちは手際よく動いた。紬も智春も、抵抗する間もなく別の車へと引きずられていく。
「……紬!智春!」
「心配するな。彼らは無事だ。お前が協力すればな」
蓮は歯を食いしばりながら、森永を睨みつけた。
「……あんたは最低だ」
「そうか? 俺は現実的なだけだ。あぁ、君の愛車も持っていくか。面白い臭いを付けてるみたいだな。さすが、部隊に名を残しただけある」
蓮もまた、腕を掴まれ、別の車へと押し込まれた。キャンピングカーは別の男が運転して、後ろを付いてくるそうだ。
森永は隣に座る。
「お前に世界は救えない。それを理解するまで、少し時間が必要だな」
車は闇の中を走り続ける。蓮の心には、怒りと焦り、そして紬と智春への不安が渦巻いていた。




