第28話 早過ぎる卒業
早過ぎる敗退。早過ぎる引退。
いつもの球場で行われた、あっけない卒団式。
監督の言葉があって、三年生のキャプテンの言葉があって、三年生対父母のお別れ試合をやって──。
ただ、そこに碧の姿はなかった。
「本当に、終わり、なんだな……」
実感がまるで湧かない。
俺自身はその敗北の瞬間、そこにいなかったのに、「はい、おしまい」と理不尽に幕を引かれた気分だ。
漫画に出てくる『時を飛ばす能力』を喰らったかのような、強烈な置いてきぼり感がある。
「瀬綱……すまない……」
対父母の試合中、ベンチでポツリと溢した俺の言葉を、隣に座っていた迅平が拾ってしまった。
「あ、ごめん。責めるつもりとかじゃ──」
「俺が!! ……俺がもっとしっかりしていれば……! 俺がもっとホームランを打って、碧を楽させてやれば──!」
今にも泣き出しそうな顔で、ユニフォームをギュッと力任せに握りしめる迅平の姿は、見ていて痛々しかった。
「アホ」
コン、とバットのグリップで迅平の頭を軽く小突いたのは海星だった。
「おめーの打順だ。おっちゃんに成長した姿を見せてこい、泣き虫迅平」
「──あ、ああ」
迅平は鼻をすすりながら、海星から渡されたバットを手に打席へと向かった。
「あーあ、あいつのあんなん見せられたら調子狂うぜ」
ドスン、と俺の隣に座り直した海星は、そのまま深く、俺に向かって頭を下げた。
「すまねぇな、瀬綱。お前の留守中に、勝手に負けちまって」
「……誰も悪くねぇだろ。勝負事なんだから、下馬票でウチが有利だったとしても、負ける時だってある。だから、迅平も……碧だって気にしなくて良いってのに……」
「──合わせる顔がねぇんだと。散々『碧は悪くねぇ、悪いのは碧に楽をさせてやれなかった俺たちだ』って言ったんだけどさ。ずっと自分を責めちまって、あいつ、学校にも来てねぇんだよ」
「そこまで……でも、碧の成績、自責点3だろ? ピッチャーとしては十分すぎる仕事じゃねぇか」
「高校じゃ、もう瀬綱と一緒に野球できねぇからさ。少しでも長く、このチームで野球がしたかったんだよ、あいつ」
ズキリ、と胸の奥が鋭く痛み、視界が熱くなる。
俺だって……この居心地の良い場所で、みんなと一日でも長く野球をやっていたかった。
「その気持ちが、碧は誰よりも強かった。そんでもって、瀬綱の代わりにマウンドに立ってたもんだから、余計に責任を感じてんだろ」
海星は、左打席に立つ迅平に目をやった。
マウンドには迅平の父親が立ち、親子対決が行われているが、当の迅平は心ここにあらずといった様子でバットを振っている。
「迅平も、瀬綱と少しでも長く野球がやりたかったんだろうな。高校じゃ一緒ってわけにもいかねーだろ」
ズキンっと心が痛む言葉。
こいつらと高校じゃ一緒じゃないという現実……。
「あ、勘違いすんなよ? 俺だって、瀬綱とずっと野球したかったからな」
海星のさらりとした言葉に、俺の心が激しくざわつく。
リトルシニアの終わりは、俺の野球人生の終わりじゃない。だけど……だけどさ……碧と、迅平と、海星たちと──もう二度と同じチームで戦うことはないんだ。
そんなの嫌だ……。嫌だっ!!
その冷酷な事実を改めて突きつけられて、目頭が熱くなってくる。
「おいおい、瀬綱まで泣きそうになんなよ。これで俺たちの縁が切れるわけじゃねぇだろ。いつでも連絡しろよ、また集まろうぜ」
「海星……」
「瀬綱は強い高校に行って、甲子園に出て、そのままプロに行け。そしたら俺に一番にサインくれよな」
「あ、ああ……」
俺は、このままで良いのだろうか。
こんなに良い奴らを、大好きな仲間たちを置き去りにして、進んでしまっても良いのだろうか……。
俺は本当に強豪校に行きたいのか? 親のためにプロになりたいのか?
それとも──。
♢
「谷本さん。俺……谷本さんと……ちょっとでもバッテリー組めて……光栄、でした」
俺の球を受けてくれていた後輩捕手の関谷が、ボロボロと涙を流しながらそんなことを言ってくれた。
「関谷はこれからもっと、色々なタイプのピッチャーと組むと思う。でも、関谷なら誰とだって上手くやれるさ。今までサンキュな」
「ぅ、あああ……!! 谷本さぁん……!!」
関谷は俺とのバッテリー解散を本気で惜しんで、声を上げて泣いてくれた。
その涙は、俺とバッテリーを組めて良かったと、心から思ってくれている証拠なんだろう。俺にとっても、またいつか組みたいと思える、本当に最高のキャッチャーだった。良い後輩を持ったと思う。
他のチームメイトやキャプテン、コーチ陣にも挨拶を終え、最後に監督の前に立つ。
「瀬綱……すまない。全ては俺の責任だ」
「謝らないでください。今までだって沢山負けて来たんです。負けるたびに監督は戦略を変えて、俺たちを導いてくれた。今回も、この負けを糧にして、次の代の勝利に生かしてください」
本心だった。監督を責める気持ちなんて一切ない。この監督がいてくれたからこそ、俺はここまで成長できたのだから。
「瀬綱……これが今生の別れじゃない。野球だけじゃなく、進路や、人生、何かに迷ったら、一度ここに戻って来なさい」
監督は優しく俺の肩に手を置いた。
「何年経っても、ここは瀬綱の居場所だからな」
不意にかけられたその言葉に、視界が一気に歪んだ。
学校には居場所がなくて。
俺にはここしか居場所がなくて。
引退してしまって、これからどうなるのか本当はすごく不安で。
それなのに、監督はそんな俺の心を全部見透かしたように、温かい言葉をくれた。
「……お世話に、なり、ました……っ」
涙が止まらなかった。
お世話になった大好きな監督。もっとたくさんのことを、この人の下で教わりたかったと、心から思った。
♢
「セツくん。みんなへの挨拶は終わった?」
「うん」
卒団式もすべて終わり、卒団証書や記念品を受け取って、かあさんの車で帰ろうと駐車場に向かう。
「かあさん、今まで毎日送り迎えしてくれてありがとう」
「セツくん……ぅぅ……ごめんねぇ……毎日、送ってあげられなくてぇ……」
感謝を伝えた途端、今度はかあさんが幼い子供のようにうるうると泣き出してしまった。
「送ってもらえるだけで、俺は本当に恵まれているよ」
「あーん!! セツくーん!!」
「あ!! こら!! 流石に抱きつくのはやめろ!!」
いくら感動の卒団式とはいえ、流石にこの年齢で母親に正面から抱きつかれるのは恥ずかしすぎる。引き剥がそうとするが、かあさんは意外と力が強くて全然離れてくれない。
「瀬綱」
悪戦苦闘していると、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにいたのは碧の両親だった。高槻コーチの顔にはいつもの陽気さはなく、どこか深く思い悩んでいる様子だった。娘が気を病んでいるのだから、当然だろう。
「高槻コーチ。芹佳さん。今日、来てくれたんですね。ありがとうございます」
空気を読んで離れてくれたかあさんの横で、俺は深く頭を下げた。
「瀬綱、卒団式終わりで申し訳ないんだが……これを、瀬綱の手から碧に渡してくれないか?」
高槻コーチが、手元にあった卒団証書と記念品を俺に差し出してきた。碧の分のセットだ。
「碧ちゃん、私たちからじゃ受け取ってくれないだろうから……セツくんから、お願いできない?」
芹佳さんが、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめる。
「すみません、谷本さん。今から瀬綱を、ちょっとだけお借りしても良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ。──セツくんも、良いよね?」
「うん。俺も、碧に会いたいから、行きたい」
「ありがとうな、瀬綱」
「ありがとう、セツくん」
高槻コーチたちのお願いを受け、俺はかあさんの車ではなく、彼らの車に乗り込んだ。
不登校になってしまった碧のもとへと車は静かに走り出す。




