第十八話:機嫌のいい領主
営業終了後。
工房の中は、ようやく静けさを取り戻していた。
「……終わったー」
リオが大きく伸びる。
「今日は多かったな」
マリクは帳簿を閉じる。
その時――
扉がノックされた。
「こんな時間に?」
リオが首を傾げる。
開けると、そこにいたのは――
見慣れた装備の男。
領主の使いだった。
「領主様がお呼びだ」
短く、それだけ。
「今から?」
「今すぐに」
リオがマリクを見る。
「……行く?」
「断る理由がない」
即答だった。
夜の街を抜け、領主の館へ。
昼とは違い、灯りに照らされたその姿はどこか威圧的だった。
だが――
中に入った瞬間、違和感に気づく。
「……なんか明るくない?」
リオが小声で言う。
「軽いな」
マリクも短く答える。
使用人たちの表情が柔らかい。
廊下の空気すら、どこか緩んでいた。
「よく来た!」
奥から、やけに張りのある声が響く。
現れたのは――領主。
だがその姿は、初めて会った時とはまるで別人だった。
引き締まった輪郭。
余計な重さの消えた体。
そして何より――動きが軽い。
「……動きが軽い」
リオが目を丸くする。
「当然だ」
領主は満足げに笑った。
「見合いが三件増えた」
いきなりそんなことを言い出す。
「は?」
リオが固まる。
「しかも全部、向こうからだ」
「……ああ」
マリクは淡々と頷く。
予想通りだった。
「そして決まった」
領主は胸を張る。
「婚約だ」
一瞬、静寂。
そして――
「えぇ!?」
リオが素で声を上げた。
「早くない!?」
「早いな」
マリクも同意する。
「機は逃さん」
領主は即答した。
「今が一番“強い”」
その言葉に、迷いはなかった。
「見た目が変わると、ここまで違うか」
領主は自分の腕を軽く見ながら言う。
「視線が変わる」
「態度が変わる」
「話の進みが変わる」
一つ一つ、確かめるように。
「だから言ったでしょ」
リオがにやっと笑う。
「見た目は大事って」
「その通りだ」
領主は素直に頷いた。
「報酬は追加で出す」
さらっと言う。
「あと、祝いもだ」
「多くはいらない」
マリクが即答する。
「必要な分でいい」
「相変わらずだな」
領主は苦笑する。
「欲がないのか、計算しているのか」
「両方だ」
リオが小さく吹き出す。
「それで」
領主が少しだけ声を落とす。
空気が、わずかに締まる。
「問題は起きていないか?」
「問題は起きていない」
マリクが答える。
「なによりだ」
領主は満足げに頷いた。
「だが」
一拍。
「横槍などの問題が起きたらすぐに知らせろ」
「他の貴族」
「あるいは――それ以外」
言葉を濁す。
だが意味は十分だった。
沈黙。
だが空気は重くない。
むしろ――
「楽しみだな」
マリクは言う。
「感謝している。だからお前たちは私が守る」
領主が言う。
完全に余裕のある声だった。
館を出た後。
夜風が少し冷たい。「……めちゃくちゃご機嫌だったね」
リオが言う。
「ああ」
マリクも頷く。
「でもさ」
少しだけ真顔になる。
「絶対このままじゃ終わらないよね」
「終わらない」
即答だった。
「だからこそだ」
マリクは歩きながら言う。
「今のうちに広げる」
人も、仕組みも、影響も。
遠くで鐘が鳴る。
静かな夜の街。
だがその裏で――
確実に、次の波が近づいていた。
第一部 完




