職人の国
アグリニオン帝国は、「職人の国」と評されることがある。
軍人、その前職は文官である初代皇帝アルディーシャ・グワラニーは、少なくても職人と呼べる職業に就いたことは一度もないのだからこの表現には若干の違和感があるのは当然であろう。
そうでなくても、政治体制の主要ポジションの多くは元軍人が配され、さらにその下には軍官と呼ばれる官僚組織が形成され、政治体制に職人が紛れ込む隙は皆無であるのだから。
そういうことから、この表現を最初に聞いたとき、もしかしてその職人というのは、「芸術的」ともいわれる前線指揮官時代の巧妙な戦術や謀略を示していると勘違いする人間たちも多かったのだが、もちろん違う。
帝国は文字通り「職人の国」であった。
ただし、この中には言葉通りの職人だけではなく農民や鉱山労働者なども含まれるため、正確な表現をするならば、「何かをつくるために汗を流す者が敬われる国」ということになるのだが。
実を言えば、この「職人賛美」の風潮は、グワラニーが魔族の国の頂点に立ったときから始まったわけではなく、色の濃淡はあったものの、遠い昔からの伝統となっていた。
そして、人間世界のようなもののような制度化された身分制度ではないものの、その地位を示すものとなるその施策、それを策定したとされる第十一代の王はその政策をこう評していた。
「士農工商」
むろん、それはその王が持つ遠い記憶に由来するもの。
そして、この世界を俯瞰的に眺めることができる立場になってから彼が望むものを示す最もふさわしいといえる言葉だった。
士。
もちろんそれは命を懸けてこの国を守る将兵。
なによりも大事な自身の命を賭す彼らの仕事こそ最高位置くべき。
農。
生きる者たちの糧をつくるこの世界の根幹を支える者。
工。
経験と知識、さらに想像力を形にする技術によって様々なものを生み出す職人たち。
ここには国の経済を支える鉱山労働者も含まれる。
商。
士農工商、その最後に位置するのが商人。
むろん、彼らがいなければ商品は適切な価格で流通しないのは王もわかっていた。
だが、それと同時に「奴らは商品を右から左に動かすだけで巨額の利を得ている」と度々口にしていたとおり、商人たちを嫌っていたのも事実。
それはこの世界で見聞きしたものだけではなく、別の世界での記憶にも由来しているのは確実だろう。
さらにいえば、彼はこの後に「公」と加えたかった。
公。
自身の属僚である役人である。
生産には全く関与せず、権力を盾にして日の当たらぬ場所で様々な利を得る役人たちを彼は商人以上に嫌っていた。
だが、諸々に事情により、結局その標語は別の世界の言葉と同じものとなった。
ちなみに、「士農工商」のうち、士は一部の魔術師を除けば、すべて純魔族。
残りの農工商の大部分が人間種となる。
戦況が悪くなるにつれ武具は質より量が尊ばれ、それに比例するように職人の地位は下がる。
それでも、最高位の職人たちまで軽んじるような風潮にならなかったのは歴代最高の王と評されたグワラニーの先代の王が職人たちのつくるものをこよなく愛していたからであり、将軍たちも一流の職人がつくる武具を愛用していたからといえるだろう。
そして、代が変わり、魔族の国は王国から帝国へと移行する。
それでも、職人を遇する風潮は変わらない。
たとえ、魔族の国の商人たちが国外でも活躍し始め、多くの利権と引き換えにグワラニーに自国の名を譲りさらに大きくなったアドニア・カラブリタ率いるオンファロス国の商人たちと対等に渡り合うようになっても。
「商人が利を求めることを制限するつもりはない」
「ただし、その利のために職人や農民を苦しめていると私が判断すれば、どれだけ言い訳をしようが全財産を没収し処刑する。そして、これは相手が我が国の者だけではなくどの国の者であっても同じ。正当な価格で商品を買い入れる。これは商売をおこなうための絶対条件であることを肝に銘じよ」
グレーゾーンにある多くのことについて非常に寛容だったグワラニーだったが、許可を得て国外に出ていく商人たちに対し彼我の力関係を利用して不当な価格設定をおこなって買い入れをしないようそのような言葉で戒めていた。
むろん、これは生産者を保護の観点から出たものだったのだが、その結果として商品の値引きを強要することが多い人間の商人より高価で買い取る魔族の商人たちは生産者たちから信用されるという思わぬ副産物が生まれる。
さらに適価で買い取る以上、損はできない。
商人たちの目を必然的に高くなり、価格に釣り合わない商品は市場から消えていく。
そして、質の良い商品を手に入れるため、それまで暴利を貪っていた人間側の商人もそれに追随せざるをえなくなる。
「この世界の、商品の価値と価格が一致する現在の良好な商体系と、それまで商人に偏重していた富が生産者へ還元する図式は帝国の出現とともに確立されたと言っていい」
「そして、ただ物を買い、それを売るだけでは利を得られなくなった商人たちも、より多くの利を得るために付加価値を考案するようになったのもこの頃からだ」
アリターナの経済学者アレッシオ・エルコラーニが語る言葉となる。




