十二章 再会 02
ややあって、この国の戦闘機が到着し、空中戦が始まった。
その結末を有紗は知らない。ヴァルトルーデが上空にやってきたら、ディートハルトの転移魔術で艦内の彼の部屋に連れ込まれたからだ。
「お帰り、アリサ」
その言葉に有紗は、修道院での生活が終わったのを悟って目を閉じた。いつかこの日が来ると覚悟はしていたが、悲しくて怖い。
「……一応逃げた理由を聞こうか。俺は割といい主人だったと思うんだけどな」
「そ、れは、国王陛下からディート様のためにならないので、身を引いて欲しいと言われて……」
用意していた言い訳を伝えたら、首が締まった。
「あ……ぐ……」
有紗は苦しくて首元に手を持っていく。
「アリサ!」
霞む視界の中、焦った表情でこちらに駆けよるディートハルトの姿があった。
意識が落ちかけた有紗の体は、彼の腕に抱きとめられる。
その直後、首の締め付けが緩んだ。かと思ったら小さな金属音が聞こえ、彼の手でチョーカーが外された。
有紗は荒い息をつき、酸素を取り込みながら首に触れる。
何もない。それが信じられず、思わずまじまじと至近距離にあるディートハルトの秀麗な顔を見つめた。
「どうして外してくれたんですか……?」
「何を言われても腹が立つだろうから」
ディートハルトは有紗の体をそのまま抱き上げると、寝室へと移動して、ベッドの上に下ろした。
これまでのように性的に求められるのだろうか。有紗は警戒心をあらわにする。
しかし、ディートハルトにその気はなさそうで、彼はベッドに腰を掛けると、静かに有紗を見つめてきた。
「アリサが俺から離れたのは、父の介入だけが理由ではないはずだ。俺を信頼していなかった。違うとは言わせない」
本音を言い当てられ、有紗は震えた。
弁解しなければと思うのに、言葉が見つからない。
「…………もういい」
ややあってディートハルトはつぶやいた。
「もう一度寵姫として俺に仕える気は?」
「あります……」
すくみそうになる体を叱咤し、有紗は答えた。
「陛下との賭けの話をお伺いした時から、いずれ連れ戻されるのは覚悟していました。そ、そのための、準備も……してきたので、もう一度、私を、寵姫としてお傍に置いて下さい」
あらかじめ用意しておいた口上なのに、いざ彼を目の前にしたら、うまく言葉が出てこない。
「あの、私はどうなってもいいので、逃げるのを助けてくれた軍や修道院の人達には何もしないでください。お願いします」
どうにか言い切ると、ディートハルトは眉間に皺を寄せた。
「それはアリサの心がけ次第かな」
「はい。わかっています。何でもお申し付けください」
頭を下げたら、顎に手が伸びてきて強引に上を向かされた。
「その卑屈な態度はクラウディアの入れ知恵か?」
「ち、違います」
怒りに満ちたディートハルトに、有紗は勇気を振り絞って言い返した。
すると、彼は盛大に舌打ちし、強引に唇を重ねてきた。
「んっ……!」
唇の間から舌が入ってくる。
貪るような深いキスを有紗は受け入れ、自分からも積極的に応えた。
「……嫌なら抵抗しろよ」
低い声で囁くと、ディートハルトは有紗を押し倒し、修道服に手をかけた。
怒っている彼の相手をするのは正直怖い。
でも、恐怖をこらえ、なすがままになっていると、また舌打ちされた。
「なんで我慢するんだ」
「嫌ではないので……。私の役目ですし……」
「震えてるくせに」
「それは、ディート様が怒ってるから……。ごめんなさい。ちゃんとします」
有紗は中途半端に脱がされた着衣に手をかけた。
すると、ディートハルトの大きな手が上から重なってきて止められる。
「嫌なら嫌って言えよ! ここにいるのだって本当は嫌なんだろ!」
「そんな事……! 自分が恵まれているのはわかっています」
こちらに来てからの有紗は、散々な目にはあってきたが、少なくともこちらの世界の『普通』よりもずっといい生活をしてきた。
農村の人々や、農作業に従事していた一般棟の修道女の姿が脳裏をよぎる。
肉体労働とは無縁の生活と、最高水準に近い教育を受けさせてもらえたのは、有紗を買った主人がディートハルトだったからだ。
売られた先が娼館だったら、今頃不特定多数の相手をさせられていたかもしれない。
見た目がいいだけではなく、若くて清潔感のあるディートハルトが相手なのは、間違いなく幸運だった。
「もう逃げません。良い寵姫になるよう心掛けますから、お傍に置いてください」
「嘘つき」
そうつぶやいたディートハルトは、昏い目で有紗を睨みつけてきた。
「本当はテラに帰りたい癖に。言えよ! 隷属の首輪は外した。今の有紗は俺の奴隷じゃない。本当の望みを言っていい!」
「言える訳ない!」
気が付いたら反射的に言い返していた。
(しまった)
有紗は青ざめて口を手で押さえる。
「言っていい」
小さな声で告げたディートハルトは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
泣きたいのはこっちなのに。
「……かえりたい」
口にすると涙が零れた。
「日本に帰りたい。こんなとこやだ。奴隷とか愛人とかふざけてる!」
ディートハルトの手が伸びてきた。
懐かしい彼の匂いと人肌の温もりに、有紗はしがみつく。
「私、穴に落ちただけっ……。それなのになんで? お父さんとお母さんに会いたい。友達だっていた。大学に戻りたい。日本で普通に暮らしたいよぉっ……! なんで体を売らないと生きていけないの……! 抱かれるのが役目とかおかしい!」
本当に何を言っても許されるのだ。そんな安心感に、有紗は今まで我慢してきた気持ちを思う存分にぶちまけた。
◆ ◆ ◆
故郷に帰りたい。両親に会いたい。
こちらは嫌だ。こんな世界大嫌い。体を切り売りしなければ生きていけない。
普通が良い。寵姫も奴隷も嫌だ――。
アリサの慟哭を、ディートハルトはただ受け止める事しかできなかった。
そして、自分の想像力のなさを自覚して動揺する。
腕の中の彼女は、細くて小さな体の中に、激情を秘めてずっと我慢していたのだと、今更ながらに気付いた。
本当は、屋敷の中に閉じ込めて、二度とそこから出さないつもりだった。
逃げた奴隷には罰を。誰が主人なのか思い知らせなければいけない。優しくしていたらつけあがったのだ。ディートハルトに囲われるのが、いかに幸運なのかわかっていない。娼館で使い潰される未来もあったかもしれないのに――。
だが、そんな暗い感情は、『寵姫らしく』振舞おうとするアリサを見た瞬間にきれいさっぱり消滅した。
どう見ても嘘で塗り固められた態度だった。ディートハルトが見たかったのはそんなアリサではない。
だから暴いた。そして彼女が曝け出した感情は、至極もっともなものだった。
ある日突然魔力を封じられた状態で理の違う世界に飛ばされて、『お前は今日から奴隷だから体を差し出せ』と言われたら、ディートハルトならたとえ相手が絶世の美女だったとしても、屈辱で死を選ぶかもしれない。
自分を含めた周囲は、なんて酷い事を彼女に強要してしまったのだろう。
次に無力感を覚えた。
彼女の一番の願いは、自分では叶えてやれない。
こちらの世界にとってテラは黄金郷だ。
これまで何百年という単位でその道の第一人者が、かの世界とこちらを繋げる方法を探し続けてきたが、手がかりすら見つかっていないというのが現実だ。
つまり、何か劇的な大発見がない限り、アリサは帰れない。
ディートハルトは腕の中の彼女に視線を落とした。今、彼女は泣き疲れたのか、虚ろな目でこちらにもたれかかっている。
「落ち着いた?」
ディートハルトが尋ねると、彼女は「馬鹿みたい」とつぶやいた。
「なんでディート様が辛そうな顔してるの? 辛いのはこっちなのに」
「今更だけど、アリサに悲しい思いをさせていた事に気付いたから……」
「……何か変なものでも食べたんじゃないですか?」
「そうかもしれない。アリサに再会してからの俺は精神的におかしい」
ディートハルトはアリサの顔をよく見たくて腕の中を覗き込んだ。すると彼女は顔を逸らして手で隠してしまう。
「見ないで! ぐちゃぐちゃだから……は、鼻水とかも出てるし……」
確かにあれだけ泣いたら、涙以外のものも流れ出るだろう。ディートハルトの軍服の胸元もぐっしょりと濡れていた。
彼女に恥ずかしい思いをさせたい訳ではない。ディートハルトは浄化の魔術を使い、まとめて綺麗にする。
「……ありがとうございます」
ようやくアリサは顔をディートハルトに見せてくれた。
彼女には治癒魔術が効かないから、泣き腫らした目までは元に戻せない。それが痛々しい一方で愛らしかった。
可哀想なのが可愛い。そう感じる自分は人としてどこか壊れているのかもしれない。
「怒らないんですね。私、あんなに言いたい放題に言ったのに」
「……アリサの怒りは正当なものだと思う」
アリサはどんな顔をしていても可愛い。何をされてもたぶん許せる。
もっと触れ合いたいし、色々な顔を見たい。
他の男に奪われたらと思うと、考えるだけでも吐き気がした。
(そうか、俺は、アリサが……)
今まで、異性をこんなに欲しいと思った事がなかったから気付かなかった。
自覚すると、体が熱くなり、胸が苦しくなる。
「俺はアリサが好きだ。だから腹が立たない」
ぽつりと告げると、アリサの顔が赤く染まった。
「アリサ……?」
表情を確認しようとしたら、アリサはディートハルトから逃れようとする。
「アリサ、顔を見せて」
肩を掴み、動きを封じて顔を覗き込むと、彼女はこちらの視線から逃れるように目を逸らした。
「馬鹿みたい。これくらいで……」
その後に続く言葉は『絆される』だろうか。頬を紅潮させて悔しそうな表情をする有紗は、これまでに見たどんな表情よりも可愛かった。
「父上との賭けに勝ったから、俺はアリサだけを唯一の寵姫にできる」
「それでも、立場は奴隷で寵姫ですよね? ディート様に飽きられた時は? 歳を取った時はどうなるの……?」
「飽きない。アリサが歳を取る頃には俺も老いている」
アリサは自分の価値をわかっていない。
ディートハルトの体液を受け入れて、平然としているのがどれだけ得がたい事なのか。
むっとしながら言い返すと、アリサもまた顔をしかめた。
「そんなの口約束じゃないですか!」
(信頼されてない……、だけじゃないな……)
アリサには身分がない。家族もいない。魔力もないから、誰かに頼らなければ生きていけない。
自分に依存させられる、と思うと、仄暗い悦びが湧き上がったが、ディートハルトは心の中にそれを封じ込めた。
今、彼女が感じている、将来に対する不安をどうにかしてやる方が先だ。
「……一生困らないようにする方法を考えたら、アリサは俺のものになってくれる?」
「……そんな方法、あるんですか?」
「考える。だから俺のたった一人の妃になって」
懇願すると、アリサは不信感に満ち溢れた顔をしながらも、首をようやく縦に振ってくれた。
ディートハルトは、指先をアリサの頬に伸ばした。
「嫌だったら拒んでいい」
囁きながら顔を近付ける。彼女は不安そうにしてはいるが逃げない。
どこまで許されるのだろう。
確かめたくて、ディートハルトは唇を重ねた。




