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【全年齢版】軍人殿下と異世界奴隷【コミカライズ原作】  作者: 森川茉里


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八章 逃避行 01

「昨日は大変でしたね。お怪我はありませんか?」


 翌日、ディートハルトと入れ替わりでやって来たドレッセル少尉に尋ねられ、有紗は頷いた。


「はい。私は全然。せっかくのお休みに騒ぎに巻き込まれた殿下は可哀想でしたけど、私は街を色々と見て回れたので……」

「本当に大丈夫ですか? 魔獣をご覧になったのは初めてですよね?」

「これが護ってくれると思ったので……」


 有紗は首元のチョーカーに触れた。

 魔獣を間近に見ても、怖いという感情は不思議と湧かなかった。

『首輪』の魔術がアリサを守ってくれるという確信があったからだろうか。クオリティの高い映画を見たような感覚で、今もあまり現実味がない。

「少尉、刺繍の続きを教えてもらえませんか? やり方がわからない所があるんです」

 まだ不安そうにしているドレッセル少尉に笑いかけると、有紗は裁縫道具を取り出した。




 いつものように刺繍を教えてもらっていると、ドレッセル少尉は唐突に小声で囁いた。


「今日決行します。心の準備をお願いします」

「今日ですか?」


 有紗は、驚きを顔に出さないように気を付けて聞き返す。


「ええ。今日、ディートハルト殿下は、士官学校で開催される剣術大会をご覧になる予定になっています。殿下が士官学校に向かわれてから出発する予定なので、心の準備だけなさって下さい」

「わかりました」


 有紗は目を伏せると、服の上から胸元に触れた。

 そこには彼と夜を過ごした痕跡が残っている。

 昨夜が最後だったのだと思うと、不思議と胸が締め付けられた。




   ◆ ◆ ◆




「そろそろ準備しましょう」


 ドレッセル少尉がそう告げたのは、小一時間ほどが経った時だった。

 彼女は、持参していた荷物の中から、女性用の軍服を取り出すと手渡してきた。

 有紗が着替えを終えると、次は細く華奢な金属製の腕輪を差し出された。


「次はこちらを。以前お話していた首輪の魔術の一部を無効化する魔道具です。陛下から今朝方送られてきました」

「……本当にはめても大丈夫ですか? 命綱の防御魔術まで無効化されるませんか?」


 ふと疑問を覚え、警戒心をあらわにすると、ドレッセル少尉は眉を下げ、困ったような表情をした。

 そして、少し考えてから、軍服のポケットから折りたたみ式のナイフを取り出し、こちらに向かって差し出してくる。


「罠ではないかと疑われるのももっともです。私は外で待機しておりますので、魔道具を身につけてから防御魔術が発動するかどうかを試してみて下さい。その魔術は自分を傷付けようとするアリサ様ご自身のお気持ちにも反応するはずです」


 そう告げると、彼女は部屋を出ていった。

 有紗は腕輪を左手首にはめ、意を決して手首を少しだけ傷付けようと試みる。すると――。

 赤い光が首元から放たれ、手からナイフが弾き飛ばされた。

 光はその後収束し、球形のガラス状のドームになって有紗の体を包み込む。


(大丈夫だった)


 有紗はドレッセル少尉を疑った自分を恥じた。

 だが、それとは別に、たとえようのない不快感が湧き上がった。

 生殺与奪の権利をディートハルトに握られていたのに、今更ながらに気付いたのだ。

 自殺するつもりはないが、こんなにも嫌な気持ちになるのは、行動を制限されていたのを自覚したからだろうか。


「アリサ様、いかがでしたか?」


 呆然と考え込んでいたら、外からドレッセル少尉が遠慮がちに声を掛けてきた。


「大丈夫でした。疑ってごめんなさい……」


 有紗はドアを開け、ドレッセル少尉に謝罪する。


「ご納得頂けたのなら出発しましょう。殿下に気付かれる前に、できるだけ距離を稼いでおきたいです。何か思い入れのあるものがあるなら、小物であれば持ち出して頂いても構いませんよ」

「…………何もありません」


 少し考えてからそう返答すると、有紗は部屋を後にした。




   ◆ ◆ ◆




 あらかじめ人払いがされていたようで、誰にもすれ違うことなく宿舎を出ると、玄関口には馬車が用意されていた。

 だが、その馬車は途中で乗り捨て、更に別の馬車へと乗り換える。

 今度は町の人間が使うような幌付きの荷馬車だった。

 軍の馬車を動かしたのはドレッセル少尉だったが、荷馬車には、庶民の格好をした男が御者として座っていた。

 有紗とドレッセル少尉は、荷馬車にぎっしりと積まれた木箱の陰で、軍服から庶民的な格好に着替えた。


「髪を下ろすと印象変わりますね」


 少尉の変貌ぶりに、有紗は目を丸くした。

 普段前髪も含めてきっちりとまとめている髪を下ろした彼女は、まるで別人だった。

 くるくるとカールしているブロンズ色の髪のせいだろうか。華やかな印象の美女に変わったのだ。


「よく言われます。こういう時には役に立つので重宝してます」


 にっこりと微笑まれ、有紗は状況を忘れて見とれてしまった。


「ここから修道院までは変装して移動します」

「着替えが終わったんなら、俺を紹介してくんないかな、ビアンカちゃん」


 御者が声をかけてきた。茶色の髪と赤紫の瞳の体格のいい壮年の男である。

 ドレッセル少尉は渋い顔をしながら彼を紹介してくれた。


「ゲオルグ・ディル・デーメル大尉です。陛下が手配して下さったもう一人の護衛です」

「ゲオルグと呼んでください。ドレッセルの事もビアンカと。俺達も、移動中はアリサと敬称なしで呼ばせていただきます」

「わかりました」


 ゲオルグの言う通り、庶民に変装しているのに軍の階級や敬称を付けて呼び合うのは変だ。有紗は頷いた。


「よーし、じゃあ設定を説明するぞ、アリサ」


 ゲオルグはニッとこちらに向かって笑いかけてきた。ビアンカと違って調子のよさそうなおじさんである。


「アリサは俺の年の離れた妹だ。ビアンカは俺の嫁。俺達は、嫁ぎ先でいびられたお前を助け出して、聖エーデル女子修道院に送っていくという筋書きになってるから、道中はそのつもりで頼む」

「その修道院が目的地ですか?」

「ええ。クラウディア殿下が院長を務められており、様々な事情を抱えた女性を保護する活動でも有名です。順調にいけば五日程度で着くと思います」


 有紗の疑問に答えてくれたのはビアンカだ。


「ビアンカ、お前硬いよ。もうちょっと役柄に合わせて喋れよ」


 ゲオルグが突っ込んだ。


「……努力します」


 ビアンカは顔をしかめる。


「あの……目の色を見られたら身分がわかってしまうと思うんですが大丈夫ですか? ゲオルグさ……じゃくて、お兄ちゃんは、上位貴族だし、ビアンカも……」

「……お兄ちゃんはヤバいな。俺、新しい性癖に目覚めそうだわ」


 呼び方を『設定』に合わせて言い直すと、ゲオルグは口元を手で押さえた。

 彼の発言に、ビアンカは軽蔑の眼差しを向ける。

 それが気まずかったのか、ゲオルグは咳払いをしてから有紗の疑問に答えてくれた。


「修道院までは順調にいけば五日ほどで着く。その間は街には寄らない。アリサにはキツイかもしれんが基本野宿だ」

「大丈夫です。覚悟はしています」


 有紗の返事に、ゲオルグは満足げな顔で頷いた。


「アリサはさすがに人に見られたらまずいから、基本的に馬車からは出ないで欲しい。俺らの事は心配しなくていい。訳ありな雰囲気を出してる貴族にわざわざ関わりに来る奴はいない。何されるかわかんないからな」

「無位の平民にとって貴族は畏れの対象です。力では決して敵いませんから」


 ビアンカが補足した。


「そういう事だからあんまり気にしなくて大丈夫だ。距離を稼ぐ前にディートハルト殿下に見つかるのが一番まずい」

「距離を稼いでも安全とは言えませんよ。殿下には転移魔術がありますからね」

「転移……? そんな魔術もあるんですか? 魔術ってなんでもありですね……」


 有紗は目を丸くした。


「転移も(ことわり)に干渉する魔術です。王族の方々にしか扱えません。転移させるものの距離と重さに比例して消費魔力が上がると聞きますから、ディートハルト殿下といえども無尽蔵に移動できる訳ではないようです」

「どこまで逃げたら大丈夫なんですか?」

「さあ……」


 ゲオルグもビアンカも確実な答えは持っていないようだ。


「確実なのはさっさと修道院に逃げ込む事かな。さすがに男子禁制の女子修道院に無理矢理押し入ったりは……いや、するかもな……」


 ゲオルグの発言を有紗も否定できなかった。

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