七章 休暇 01
基地滞在中に設けられたディートハルトの休暇は、ここに来てから六日目に設けられていた。
「やっと休める……今日は有紗と一日一緒に過ごせるよ」
「嬉しいです」
有紗は彼に向かって微笑みかけた。
逃避行は、準備が整い次第決行する事になっているが、それまでは、気取られないよう過ごせと指示されている。
だが、平常心を保ち続けるのは有紗には難しかった。
後ろめたさのせいか、一日一日が過ぎるのが異様に長く、沈んだ気持ちがどうしても顔に出てしまう。
当然ディートハルトに気付かれ、様子がおかしい理由を問いただされた。
「寂しいからです。基地に来てから一緒に居られる時間が短いから……」
そう説明したら納得してくれたが、罪悪感はより増した。
どうして彼は有紗の嘘に簡単に騙されるのだろう。理解できない。
(私、本当は気付いてほしいのかな……?)
いや、そんなはずはない。ふと湧き上がった思考を有紗は全力で否定した。
「今日は街に行きたいって言ってたよね。早速準備しようか」
声を掛けられ、有紗は現実に引き戻された。
「はい。今日はお金の使い方を教えて下さい」
(出て行った後に必要になるかもしれないから)
こんな状況でも打算が働いた。
◆ ◆ ◆
ソレル・ディア・クライシュは、憂鬱な気持ちを晴らすため、侍女のユリアに誘われて街へと出かけていた。
白金の髪は目立つので染め粉で茶色に変え、裕福な平民に見えるよう変装する。
中流以下の庶民に化けるのはソレルには無理だ。貴族の娘として叩き込まれた所作や言葉遣いがどうしても出てしまう。
瞳をじっくりと覗き込まれたら上位貴族だとわかってしまうが、帽子を目深に被れば案外バレない。また、気付いても、貴族のお遊びをわざわざ指摘する平民はいない。世の中には、無位の者を人と思わない横暴な貴族も存在するからだ。
今のソレルは、使用人を連れた商家のお嬢様という『設定』だ。
その状態で街を歩き、普段手にすることのない庶民向けの雑貨を見て回るのは、新鮮で楽しかった。
「こんなに可愛いものが、たった銀貨一枚で買えてしまうのね」
ソレルは購入したガラス細工の指輪をまじまじと見つめた。
「品質は値段相応ですけどね。金属部分は鍍金なので、何年かしたら変色すると思います」
「残念だわ。ちゃんとしたもので作り直して貰おうかしら」
造花のコサージュに刺繍リボン、ぬいぐるみなど、手にしたバスケットの中には可愛いものが溢れている。ユリアの勧め通り、街を出歩くのはいい気分転換になった。
(次はどのお店に入ろうかしら……)
ソレルは道の左右に立ち並ぶ商店をキョロキョロと物色した。そして見つけてしまった。
(殿下……?)
髪の色が黒になっているが間違いない。あれはディートハルトだ。
ここ最近の気鬱の元凶を見付け、ソレルはその場から動けなくなった。
ディートハルトの隣には、これまた見覚えのある女性がいた。
(アリサさん……!)
こちらは金髪に変わっていたが、顔立ちは彼の心を捉えたテラ・レイスにそっくりだった。
二人揃っているという事は、見間違いでも他人の空似でもなさそうだ。
ディートハルトとの面会の日の記憶が脳裏をよぎり、やり場のない悲しみが湧き上がった。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
ユリアに質問され、ソレルは震える手でディートハルト達を指さした。
「殿下……⁉」
ユリアは息を呑んだ。
「そうよね。どう見てもディートハルト殿下よね……? こんな所で出会ってしまうなんて、運がいいのか悪いのか……」
「隣にいるのは殿下の奴隷ですよね?」
ユリアは先日の面会の時に、アリサを見ている。
女奴隷付きでディートハルトがやってくると聞きつけて、見定めてやろうとこっそり覗き見したらしい。
「髪の色をそっくりそのまま入れ替えている所がまた……」
面会の日も我が事のように怒ってくれたユリアは、眉間に皺を寄せてつぶやいた。
ディートハルトとアリサは、髪飾りを扱う露店で品定めをしている。
アリサの髪に髪飾りを次々と当てるディートハルトの姿に、胸が締め付けられるように痛んだ。
男女で出かける場合、支払いは男性側がする事が多いが、財布を取り出したのはアリサだった。テラ・レイスで、こちらの常識に疎いであろう彼女に、お金の使い方を教えているのだろうか。
もたついている。
店主は暖かい目で見守っているが、見るに見兼ねてディートハルトが手を出した。それに対して、アリサはムッとした表情をしている。それに気付いたディートハルトは、彼女の機嫌を取るように声を掛けた。
(仲がいいのね……)
ディートハルトが妃を迎えようとしないのは、高すぎる魔力のためだと噂されている。
彼の子供を産もうと思ったら、魔力中和薬の助けを借りなくてはいけない。
また、彼の生母、フレデリカ妃はディートハルトを命懸けで産み落とした直後に亡くなっているのだが、その理由も彼の魔力だとまことしやかに囁かれている。
(優しい方だから、あんな愚かな真似をなさったのよね?)
テラ・レイスの女性を寵姫に迎えたのも、なんの気兼ねもなく抱けるからに違いない。
そう自分に言い聞かせていたし、周りも似たような言葉でソレルを慰めた。
「お嬢様、気分が悪くなるだけです。行きましょう」
ユリアがソレルの腕を引いた。
だが、ソレルはその場から動けなかった。
ディートハルト達の後ろ姿から目を離せないでいると、何故か一軒の店の前で別れ、アリサだけが中に入っていく。
男性が入り辛い店ではなく、何の変哲もない雑貨屋だったのでソレルは首を傾げる。
「どうしてあの奴隷だけ店に入って行ったんでしょうか?」
ユリアも疑問を覚えたようだ。
「そんなのわからないわ……」
遠くからしばらく見守っていると、柄の悪い二人組の男が、ディートハルトにわざとぶつかりに行くのが見えた。
ソレルはぎょっと目を見開く。
二人組は、そのままディートハルトに絡み始めた。
「あの連中、殿下になんて事を……。命が惜しくないのでしょうか……?」
ディートハルトは楽しげな表情で二人組の相手をしている。
どうするつもりなのか見守っていると、二人組は彼の態度が気に入らなかったのか、肩を組むように手をかけて、物陰へと連行していった。
それを見た瞬間、どくりと心臓が鳴った。
(今、アリサさんはあの中に一人でいるんだわ……)
話をしてみたい。
そんな衝動に駆られ、気が付いたらソレルは雑貨屋に向かって歩きだしていた。




