五章 妃候補 03
二度寝から目覚めた後の有紗は大忙しだった。
食事が終わるとエステティシャンみたいな女性達が部屋に現れて、有紗をホテル内にあった浴室へと連行して磨き立てたのである。
ディートハルトから戦艦に乗ってすぐに、特別な時は入浴すると教えてもらったが、ドレスアップする今日は、まさにそれにあたるらしい。
お風呂に入るのは、奴隷商人の所で入れてもらった時以来である。全身のお手入れをしてもらうのは気持ち良かったけれど、小市民の有紗には、セレブな扱いはやっぱり少ししんどかった。
だが、部屋に戻ったら別の女性が待機していた。こちらの世界の美容師にあたる人物である。
彼女達は、しっかりと有紗を飾り立てる為にディートハルトが手配したそうだ。
しっかりと化粧とヘアメイクを施され、前日に購入したドレスやらアクセサリーを身に着けた有紗は、いつもよりもぐっと大人びて華やかになっていた。
綺麗な格好をするのは嬉しい。これでお見合いを潰すという目的がなければもっと良かったのに。
有紗は肩を落とすと、別室で待機しているディートハルトの所へと移動した。
「よく似合ってる」
ディートハルトは、有紗の姿に目を笑みの形に細めた。
「じゃあ、準備も終わったようだしそろそろ出発しようか」
「待って下さい。首輪は……?」
昨日買ってもらった他のアクセサリーは既に装着済みだが、首輪はまだそのままである。
「ああ。まだ魔術式を仕込んでいる最中だから、今日はそのままでいいよ」
有紗はディートハルトの発言に目を見開いた。
「このまま行くんですか……?」
「うん。加工も結構時間がかかるんだ」
「そうですか……せっかく可愛いものを買ってもらったのに残念です」
選ばされた事自体は複雑だったが、奴隷感丸出しの首輪からやっと解放されると思っていただけにがっかりである。
有紗は落胆しながらディートハルトに従い、ホテルの部屋を後にした。
官邸に向かう車の中で、有紗は昨日のうちに教えてもらった太守とその娘の情報をおさらいする。
太守の名前はイザーク・ディル・クライシュ。三位貴族で、クライシュ家というのはこの国でもかなり有名な名門らしい。
娘はソレル。父親よりも高い魔力を持って生まれ、二位貴族の認定を受けたお嬢様で現在十八歳。写真乾板を見せて貰ったが、華やかなのに楚々とした雰囲気のある大変な美女だった。
(勝てる要素があるとはとても思えない……)
緊張でお腹が痛くなってきた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。適当に話を合わせてくれたらいい」
有紗の不調を察したのだろうか。ディートハルトが声をかけてきた。
「適当にって言われても……。どんな風にお話されるつもりですか?」
「できるだけ怒りが俺に向くように、馬鹿の振りをしようかなと思って」
彼の回答に、有紗は呆気にとられる。
「馬鹿のふりって……」
「俺はアリサに溺れてアリサしか見えない馬鹿になるからよろしく。先方にも可愛いテラ・レイスの寵姫を連れて行くと伝えてあるから、覚悟はできてると思うんだ」
ディートハルトはいい笑顔を有紗に向けてきた。
◆ ◆ ◆
市街地の中心部にある太守の官邸に到着すると、すぐに中に案内された。
ディートハルトにエスコートされ、応接室らしき部屋に入ると、既に中で待機していた太守とソレルの視線が有紗に突き刺さる。
あらかじめ予備知識があるのはソレルの顔だけだが、紹介されなくてもすぐにわかった。太守と思われる渋いおじさまは、ソレルによく似ていたからだ。
ソレルは、写真乾板よりも綺麗だった。
緩やかにカールした白金の髪に、上位貴族の証である赤紫の瞳、陶器のように滑らかな白い肌。
顔が小さく、胸は豊かなのに腰はびっくりするくらい細い。
ディートハルトの隣にいるのが自分なのが申し訳なくなるくらい、彼にお似合いの女性だった。
(顔のサイズ感とかスタイルとか……)
比較すると悲しくなってくる。
「久し振りだね、イザーク」
ディートハルトが声をかけた。
「はい。ディートハルト殿下。こうして直にお会いするのは一年ぶりですね」
「ああ。……そちらがソレル嬢だね」
「はい。ソレル・ディア・クライシュです。殿下にお目にかかれて光栄です」
挨拶を返すイザークとソレルの表情は固かった。
「どうぞ。お掛けになってください」
イザークが席を勧めると、ディートハルトは突然暴挙に出た。
有紗を抱き寄せて、強引に自分の膝の上に座らせたのだ。目の前の太守親子の顔が引き攣る。
「……殿下、その女性はどなたでしょうか? ご紹介頂けますか……?」
恐る恐る尋ねたのはイザークである。
「同席させると連絡しておいたはずだ。私の寵姫で、アリサ・タナカという。可愛いだろ?」
「お聞きしたことのない家名ですが、一体どちらのご令嬢でしょうか?」
「令嬢ではないよ。見ての通り、彼女はテラ・レイスだ」
「本物ですか……?」
「もちろん。証明して見せようか?」
ニヤリと笑うと、ディートハルトは有紗の顎を掴み、強引に唇を重ねてきた。
(ちょ……舌……⁉)
人前で深いキスをするなんて、信じられない行動である。
しかもディートハルトは、目の前の父娘に見せつけるかのように、リップ音を立ててこちらの唇を貪ってきた。
あまりにも下衆な行動に、有紗は目眩を覚える。
だが、すぐに、彼は馬鹿のフリをしているのだと思い出した。
(本当にフリかな……)
若干失礼な感想をディートハルトに対して抱きつつも、有紗はどう振る舞うのが正解か考える。
(できるだけ、この人たちの怒りが私に向かないようにうまくやらないと……)
ややあって、しつこさすら感じられるキスが終わり、有紗を解放すると、ディートハルトは蕩けるような笑みを向けてきた。
「君だけを愛してるよ、アリサ」
甘い声で囁かれ、有紗は固まった。
キスの間に考えていた事が全部吹き飛ぶ。
無駄に顔がいいせいだ。有紗は顔を真っ赤にすると、ディートハルトから目を逸らした。
「これで証明できたかな? 彼女は本物のテラ・レイスだ」
「……確かに殿下の仰る通り本物なのでしょう。お体の事を考えたら、寵姫としてお迎えになるのも納得はできます。しかし、これはあまりにも我々に対して不誠実です。ソレルは殿下にお会いするのを楽しみにしていたというのに……」
「おかしいですね。私が乗り気ではない事も、寵姫を連れて行く事も、最初からお伝えしていたはずですが?」
ディートハルトはイザークの非難の視線を真正面から受け止めて言い放った。
「あの、お父様、私は気にしておりません。殿下のたった一人の妃になれるなんて最初から思っていませんでしたから……」
ソレルが遠慮がちに発言した。
「仮にあなたを妃に迎え入れたとしても、私は指一本触れるつもりはない。それでもいいのかな?」
「殿下、何を仰られるのです。優秀な子孫を残すのは、位階を持つ者にとって義務です!」
反論したのはイザークである。
「私が子を残さなかったとしてもこの国は安泰ですよ。兄のところに既に三人もいますからね。むしろ、私の血を色濃く引き継ぐ子が生まれたとしたら、その方が問題になるかもしれません。高い魔力を持って生まれてくるのは、必ずしもいい事ばかりではない。私は身をもって知っている。ソレル嬢に負担をかけるのも本意ではありませんしね」
「負担だなんて! 殿下にお仕えするのは誉れです!」
ソレルが割り込んできた。
「誉れ、ねぇ……。仕えて欲しいとはそもそも私は思っていないんだよね。子はいらない。欲の発散はアリサがいれば事足りる」
「ですが、いつまでもこのままという訳にはいかないのではありませんか? お一人でいらっしゃるのは周りがお許しにならないと思います」
ディートハルトの拒絶に傷付いた顔をしながらも、ソレルは食い下がった。
「それはそうかもしれないね」
「では、私を迎えて下さい! 殿下のお傍にいられるのでしたら、私は白い結婚でも構いません!」
「ソレル! 何を言い出すんだ!」
食い下がるソレルを止めたのは、慌てた表情のイザークだ。
「私はずっと殿下をお慕い申し上げておりました! 他にもいるはずの候補の中から、私を選んで会いに来て下さったんですよね?」
ソレルは父親を無視してまくし立てる。
「殿下のお傍に置いて頂けるのであれば、どんな形でも構いません! 私を妃に迎えて下さい! その方しか愛せないと仰るのであれば、私がお二人の盾になります!」
「たいした自己犠牲精神だ。今日初めて言葉を交わした相手に、よくそこまで言えるね」
ソレルの訴えに対するディートハルトの態度は冷やかだった。
「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、殿下と私は六年前にキール市で会っております」
「六年前のキール……? 魔獣の大暴走があったのは覚えてるけど……」
「そうです! その時です! 当時の私は、女学校の野外活動でキールを訪問しておりました。街の近くの森で魔獣に取り囲まれ、死を覚悟した時、颯爽と現れて魔獣を退けてくださったのが、当時、士官学校に在籍されていた殿下でした」
「確かに巻き込まれたエメリナ女学院の生徒を助けたな……。その中にいたの?」
「はい。あの日から、私の心には殿下が。ですから今日こうしてお会いできて本当に嬉しくて……」
「そうなんだ。私も嬉しいよ」
ディートハルトの発言に、ソレルはぱあっと表情を明るくした。しかし――。
「で?」
その発言に、ソレルの顔は笑みの形のまま凍りつく。
「ソレル嬢が好きになってくれた理由はわかったけど、だからといって妃にしろというのは傲慢だ。私は今の今まであなたに会った事なんて忘れていたし、思い出しても特別な感情が浮かんだりもしていない。男として光栄だけどね」
(ひどい)
ソレルは呆然としている。有紗は思わず同情した。
「ソレル、お前はもう下がりなさい」
見るに見かねたのか、イザークがソレルの肩に手をかけた。すると、彼女の瞳に力が戻る。
「私は殿下のお力になれます。殿下もそうお思いになったから当家を選ばれたのでは無いのですか? ――たとえば、イルクナー家への抑えとして」
(イルクナー家……?)
ディートハルトの表情が僅かに動いたのを見て、有紗は眉をひそめた。
「もう一度申し上げます。私は殿下のお傍に置いていただけるなら、何でも致しますし耐えてみせます。私の持つ全てを殿下に捧げ、お仕えするつもりです」
「籤だよ」
「えっ……」
「候補の女性の名前を紙に書いて裏返して、適当に選んだ。運が良かったね」
そう告げると、ディートハルトはソレルに向かってにっこりと微笑んだ。酷い発言の数々に、有紗は呆れ返る。
(そうだわ。この人はこういう人だった)
生まれながらの王子様で、人を権力でねじ伏せるのに慣れている。
傲慢で理不尽なのに、誰も彼には逆らえない。
「……ソレル、もういいだろう? 父親としてもクライシュ家の当主としても、こんな縁談は受けられない」
イザークはソレルに諭すように話しかけた。
「話はついたね。ではそういう事で。アリサ、帰るよ」
「陛下には厳重に抗議させて頂きますよ、殿下」
「どうぞご自由に」
ディートハルトは有紗をようやく膝から降ろし、自身も席を立つ。
「お待ちください殿下! 父は説得します。ですから……!」
ソレルが食い下がってきた。
「ソレル嬢の提案自体は割と魅力的だった。でも、まずはイザークを納得させないとね」
「…………」
黙り込んだソレルの肩を、イザークは労わるように包み込んだ。
仲の良さそうな父子の姿に、有紗の心がしくりと痛む。
(羨ましい)
イザークに自分の父親の姿が重なった。
有紗の父は仕事人間だったが、映画鑑賞が趣味で、進学で実家を離れるまでは、よく有紗を映画館に連れていってくれた。
「行くよ、アリサ」
差し出されたディートハルトの手を取ると、ソレルの視線が突き刺さった。
(この人と私、替われたらいいのに)
有紗は心の中でつぶやいた。