第30話 副官の報酬
スノウは走った。
王宮の建物から飛び出して、庭園の中を。
庭園を越え、あたりに木々が広がっても、古い石造りの聖堂が点在する林の中にたどりついても、立ち止まらずに走った。
やがて林の奥深く、あまり光の差さない場所にやって来ると、前方の小高い丘の上に、ひと際大きな聖堂があるのが見えた。
(あれか。初代国王の霊廟!)
聖堂の前には、誰かが背を向けて立っているのが見える。
銀色の頭髪をした、かなり上背のある男。
(ジェイス──!)
「オレと一緒に、この国で暮らさないか……?」
スノウの耳には、確かにジェイスの声でそう聞こえた。
今までほとんど立ち止まらずにここまで来たのに、その声が聞こえた瞬間、足が止まってしまった。
ジェイスは答えを待っているのか、続けて喋ろうとはせず、じっと向かい合う相手を見つめている。
(司令官……!)
ジェイスの正面に、彼女はいた。
ずっと探していた少女だ。
今すぐ会いたいと、会って確かめたいと思っていた少女。
すぐにでも駆け寄りたいのに、一度止まってしまったせいか足が前に出ない。
ずっと走ってきた為に息が上がる。
でも、苦しいのはそれだけが理由ではない──…
胸の奥がぎゅっと絞られているような、痺れているような、そんな感じがする。
だが決して不快ではない。
それは、夢の中でもずっと感じていた痛みだった。
不意に視界にヘルミナが現れ、こちらに何か言いたそうな顔で立ち塞がった。
彼女はイルーク王子こと、ジェイスの従者。
ヤツにはもったいないくらいの実に優秀な側近だ。
主人の意図を良く理解し、常に最善の手段を取ろうとする。自分の感情を一切主張することなく。
その姿は、以前からスノウの目にも好意的に見えていた。
(……邪魔をするな、ってことか)
力づくで突破することはできる。だが、健気なこの従者に免じて、今だけは大人しくしておいてやるか。
スノウは黙したまま、視界の先の光景を見やった。
◆◇◆
「暮らす? ジェイスと一緒に?」
ツルギがくりくりとした琥珀の瞳を向けてくる。
なんとなくその目を直視できずに、ジェイスは自身の足先を見つめた。
「ああ、魔女のことは片付いたし、オレの…、この国のゴタゴタも、片付いたからさ…」
ツルギは少し考えたような仕草をしてからはっきりと言い放った。
「まだだよ」
「え──」
「まだ終わってない」
「は…? 終わってないって、まだ何かあるのか⁉」
「あるよ。あの子たちを助けに行かなきゃ」
「あの子……たち?」
ジェイスは混乱しながら、しげしげと少女の顔を見つめた。
(なんだよ。何を言っているんだこいつ? あの子ってどの子だ?)
だが今ここでそれを問いただしたところで、自分が理解できる答えが聞けるのだろうか。
更に訳がわからない返答が帰って来る気がしてならない。
「……よくわっかんねえけど、じゃあ、それが終わったらいいのか? 一緒にこの国で──」
ずっとオレの隣にいてくれるのか?
そう最後まで吐き出してしまいそうになって、ジェイスは言葉を詰まらせた。
(いいのか、オレは、それで……)
例えばオレが国王になって、ツルギが王妃になって──…
そうなったら、ツルギは何をするだろう。
たくさんの使用人に囲まれて、一生のほとんどを王宮の中で過ごして……。
それは、こいつにとって本当に幸せなことなのか……?
宝石のような瞳が、こちらを見返す。
まるで、鳥かごの中から恨めしそうに見つめる小鳥の目のような……。
(ち、違う! オレは、こいつを守りたいだけなんだ──!)
守るって…、何から……?
愕然とした。
オレは、何からツルギを守ろうとしていた……?
『オレがお前を守る。お前を帝国になんて渡さない!』
こいつを目の前にして、オレは確かにそう宣言した。
でも……、もう“帝国”は……無い。
ふと見ると、ツルギは何も言わずに微笑んでいる。いつものいたずらっぽい表情ではなく、少し大人びた表情で。
まるでこちらを見透かすように──…
その顔が、かつて母と慕った女性と重なる。
「──い、いや、わりぃ、やっぱなんでもねぇわ!」
ぱっと両手のひらを肩の横に掲げると、ジェイスは言った。それから顔を伏せ、くしゃくしゃと頭をかきむしる。
答えなんて、最初から分かっていた。
ツルギの居場所は、ここじゃない。
彼女を縛ることは、きっと出来ないって──…
「ほんじゃあ、終わったんだったら戻ろうぜ! オレ腹減ったわ」
そう言って振り返ると、ヘルミナの隣にさっきまでは居なかった男が立っている。
あいつは……、
「──あッ、スノウ!」
◆◇◆
司令官はこちらに気付くと、ジェイスを追い越して走り寄ってきた。
「も〜やっと起きた! 待ちくたびれちゃったよ~」
可愛らしく憤慨する姿が眩しく見えて、スノウは顔をしかめる。
気を抜くと、だらしなく頬が緩んでしまいそうな気がしたから。
「ここで何をしていたのですか?」
できるだけいつもどおりの態度で尋ねると、司令官は何でもないこととばかりに簡単に答えた。
「ああ、イオラを探してたの」
「いたのですか? ここに」
「うん。いたよ。だから杭を外した。これでイオラは生まれ変われる」
(生まれ変われる?)
どういうことだ。
ルディアがイオラを探していたのは、それが目的だったのだろうか。
自らイオラに杭を打ったはずなのに──。
「ああ~ホントこいつ何言ってるのか訳わかんねえんだよ!」
司令官に遅れてこちらに歩いてきたジェイスが、わざとらしいくらいの騒がしい声を上げた。
「これ以上付き合ってらんねえ! オレは先に帰るからな!」
両手を頭の後ろで組みながら、面倒くさそうに歩き去って行くジェイス。
黙ってヘルミナがその後についていくが、彼女の表情は驚くほど柔らかいものだった。
まるで子供を慈しむ母親の顔のようだ。
スノウは何も言わずに二人を見送ってから、もう一度司令官に向き直った。
少女の琥珀の瞳がこちらを見返す。
その瞳を見ただけで、スノウは急にすとんと心が落ち着いたような、諦めたような気持ちになってしまった。
目覚めるまでのことが夢であろうと現実であろうと、もうどちらでも構わない。
重要なのは、これから──
「……司令官。俺は──」
スノウが言いかけると、それに被せるように司令官が口を開いた。
「──ルディアは、イオラを自由にしてあげたかった。杭を打ったのは、イオラも同意した上でのことだったけど、セシリアとの戦いが原因で、六千年もの間、ずっと彼を孤独にしてしまっていたから……」
少し悲しげに司令官は俯いた。だが次に顔を上げると、わずかに微笑む。
「生まれ変わったイオラは、すべて忘れてしまう。でも、それでいいんだよ。また出会えばいいんだから……」
ルディアは決して悪人ではないのだろう。
ただ何よりもイオラをそばにおくことを優先した。
セシリアはそれを危険視し、ルディアを封印した……。
また出会えばいい。
そう思えたのは、ルディア自身なのだろうか。
それとも、司令官と融合したことで、何かが変わったからなのだろうか。
「これで、ルディアとの約束は果たしたかな」
「でも、まだ終わりではないのですよね?」
先程、彼女がジェイスにそう話していたのを、スノウは聞いていた。
『まだ終わってない』
それを聞いたとき、スノウの心の中に、はっきりとした感情が湧きあがった。
それは、喜びという感情。
まだ終わりではない。
この関係は。
もう少し、続けられるのだ。
司令官と副官という、この関係は──…
「うん。まだ終わってない。だってあたし、見えたの。ルディアと一緒になった時に。ユリヤのクローンは、あたしだけじゃない……!」
司令官以外にも、ユリヤのクローンは存在する。
スノウ自身もそれは目撃していた。
国王の寝室で会った、司令官によく似た少女。
司令官よりも少し幼く、ルディアの依り代になっていた少女。
「ジール総督のところにはまだいるんだよ。可哀そうな、あたしのきょうだいたちが……。あたしは運良くユリスに引き取られたけど、その子たちはきっと、今も総督のところで酷い扱いを受けてる!」
自分の幼少期と重なるのだろう。司令官は辛そうな表情で拳を握る。
「その事実を知ってしまった以上、あたしはそれを無視することなんてできない。あの子達を、あたしは助け出したい!!」
力強い口調で司令官は言った。
ふいに木々の隙間から差し込んだ光が、少女の顔を浮かび上がらせる。
その中にあって、琥珀の色の強さが一層際立って見えた。
しかしそうかと思うと、その瞳は急に勢いをしぼませて、こちらを上目に見る。
「……スノウは、これからどうするの……?」
まったくこの少女は。
そんな顔をして見せて、相手がどう答えると思っているのだろう。
「さあ、どうしましょうかね……」
ため息混じりにスノウは呟く。
本当は答えなどすでに決まっている。
だが今は、ちょっとだけ意地悪なことを言いたい気分だ。
「組織の村がどうなっているのか気になります──」
「えッ? ……そう、じゃあ……」
司令官が泣きそうな顔をしながらうつむく。
「気にはなりますが、まあ大丈夫でしょう。それより俺は、悪党でも退治しに行くとしましょうか」
一拍おいて、少女は呆けたような顔を上げた。
「……え? 悪党……?」
「いるんですよ、イルムガードに。ジールっていう悪党が……」
言葉の意味を理解した途端、司令官の頬は見る間に薔薇色に変わり、屈託なく笑った。
その笑顔が心底好きなのだと、スノウは思う。
きっと自分の口元も、釣られるように綻んでいるだろう。
不意に司令官が胸に飛び込んできた。だが自然と、スノウは司令官の背中に腕を回す。
確かめるようにしっかりと抱き合った。
「でも、いいの? またタダ働きになっちゃうよ?」
スノウの腕の中でふふっと笑いながら司令官が言う。
「構いませんよ。報酬なら、別のものをもらいますから」
「別のもの?」
「もっと良いものです。俺にとっては……」
「……?」
顔を上げ、小首をかしげる少女。
その頬に両手でそっと触れる。
手に吸い付くようなさらりとした感触。
しっかりと感じる体温。
夢の中で、ずっと触れていたいと思ったものが、今ここにある。
その事実がたまらなく嬉しい。
自分はそれ以外、何を望むだろう。
それから、優しい風が通り抜ける林の中で、ふたつの影がひとつに重なった──。
◆◇◆
電話のベルが聞こえた。
その音は3回ほど響き渡り、4回目の途中で唐突に途切れた。
妻が受話器を取ったのだろう。
可愛らしい声で「もしもし」なんて言って、受話器に頭を傾けているのだろう。
そんなことを想像しながら机に向かって、クリップでまとめられた書類を一枚めくる。
少しして、自室の扉をたたく音がした。
「あなた、お電話です」
妻だ。
彼女は電話の子機を持って現れた。
「誰から?」
「ブルアーノ様です」
「リチャードから?」
困惑した顔の妻の様子が気になりはしたが、電話の相手はよく知った人物だ。
差し出された受話器を受け取り、耳に当てる。
「やあ、リッチー、どうしたの? 電話なんて珍しい」
『フィフィリー、そっちにハインロットはいるか?』
「……? いや、いないけど。ユリスがどうかした?」
どうしたのだろう。受話器から聞こえてくる声が、不穏な空気をはらんでいる。
『……いないんだ。どこにも』
「え? どこにもって?」
『どこにもだ! 自宅にも、議員事務所にも、議事堂にも!』
「まさか……、なにかの勘違いじゃないのか?」
『勘違いじゃない! 電話にもまったく出ないし、最近の姿を見た者もいない』
「家族は? ユリスには、確か娘がいただろう?」
『娘は、少し前から国外に行っている。あいつの秘書も一緒だ。あいつは今、自宅にひとりだ!』
ドクン、と心臓が脈打った。
「もしかして、ジール総督が……?」
『分からない……! フィフィリー、俺は、どうしたらいい?』
「リチャード、まずは落ち着こう。私は明日、ユリスの自宅に行ってみるよ。何か手掛かりがあるかもしれない」
受話器の向こうの声がしばし沈黙する。
「大丈夫。だってあいつだよ? そんな簡単にどうにかなるわけないだろう?」
そうなだめるように言うと、「はあ」と息を吐く声が聞こえた。
『……そう、だな。あいつに限って、そう簡単に死ぬわけがない』
良かった。少し落ち着いたらしい。
「そうだよ。もしかしたらユリスのやつ、壮大なかくれんぼ仕掛けているのかもしれないだろう?」
場違いな冗談だったが、構わなかった。
そんなことでも言って平静を取り戻さないと、重要な所で判断を見誤る。
『すまないフィフィリー。どうかしていた。明日、俺もハインロットの家に行く。向こうで会おう』
そう言って相手は電話を切った。
ふと見ると、妻が心配そうな顔でこちらを伺っている。
「ハインロット様がどうかなさったの?」
「大丈夫、ユリスは無事さ。心配はいらない」
仮にジール総督がかどわかしたのだとしても、総督がユリスに危害を加えることはない。
そう。決してないのだ。
総督はユリスという男に、誰より焦がれているから……
これにて 対決編完結です。
このまま次話投稿していく予定でしたが、一旦完結とさせていただきます。
新たに「司令官はまつろわない4」として投稿する予定です。いつになるか分かりませんが……。
読んでいただきありがとうございました!
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