怪の三 塩!塩!ソルト!
視えてないよなあ、これ。あんなのに足元にまとわりつかれて、眉ひとつ動かしてないもんなあ。
あんな飼い主に甘える犬みたいに顔と身体をこすりつけられて、わたしなら全身にサブイボが立つレベルで無理。
悲鳴を上げて蹴っちゃう。さっきの美怜が転んだときの様子からして、蹴ったところですり抜けて無駄だろうけど反射的にそうしちゃう。生理的な嫌悪感で身体が反応しちゃう。
それをしないってことは、やっぱり残念なことに美怜にヒトベロスは視えていないのだろう。
もしも視えているのにこれだけ自然に振る舞えているのだとしたら、それはもうアカデミー賞ものの女優だと褒め称えるしかない。
あれでも、美怜はこれまでずっと視えるって言ってきたわけで、それはもう息をするように平然とのたまっていたわけで、わたしが思うよりもはるかに女優なのかもしれない。
かわいい顔して侮りがたし、美怜。
「んっ、どうしたのひかり、そんなじっと見て。あっ、もしかしてゴミとかついてる?」
美怜は服をチェックするために目線を下げているのに、足元のヒトベロスに気がついている様子はまったくない。
パンパンとスカートを払う手がヒトベロスの頭髪をファサファサと揺らしているのに、まったくの無反応。風圧になびくヒトベロスの頭髪は、まるで波間をたゆたうわかめのようだ。
「ううん、なーんにもついてないよ」
物理的には、ね。
足元にドギツイのが憑いてるよと言いたかったけど、それはぐっと堪えた。
そう言ったら視えているのがバレて、ヒトベロスがわたしに憑いてしまうかもしれないから。
美怜には悪いけど、あんなのに足元にまとわりつかれて正気でいられる自信がない。熱心な動物愛護団体のメンバーでも血相を変えて保健所に通報するレベルの珍獣だ。
だからとりあえず、ヒトベロスには美怜に憑いていてもらう。
でも解決策とかあるのかなあ、これ。
憑かれっぱなしだとどうなるんだろ。まさか死んじゃったりとかしないよね。
というか美怜の虚弱体質の原因ってこういうのだったのかな。幽霊に憑かれやすい体質、霊媒体質って言うんだっけ。
霊媒体質のせいでこういう輩に取り憑かれて、生命力的なのを吸い取られて虚弱体質になっていた、とかあるのかな。
などと考えていると鳥居の側まで来ていた。
鳥居をくぐるときになにか悪霊センサー的なものが反応して、ヒトベロスに天罰を下してくれないかと期待した。
でもヤツは何事もなく鳥居の下をくぐった。ド真ん中を、堂々と。
こんな邪悪の塊みたいなのを素通りさせて、お前はいったいなんの意味があるんだ、鳥居よ。霊的なアルソックみたいなものではないのか。
というかなんなの、このヒトベロス。人間なの、犬なの、いったいなんの幽霊なの。というか分類分け幽霊であってんの。妖怪とかそういう類なのか、それすらもわからない。
こっそり振り向くと神社を出たわたしたちの後ろを、ひたひたとついてきている。四つん這いで。いちおう身体つきと顔は人間っぽいけど、おすわりしたり足で身体をかいたりと根底のマインドは犬っぽい。自認犬。
見た目は人間、頭脳は忠犬、その名は悪霊ヒトベロス!
ダメだ、キャパシティを超えた脳が意味わかんないことを考え出しててる。
いきなり視えちゃったヒトベロスと、自称霊感少女だった幼なじみのダブルパンチで、疲れた脳が糖分を欲している。
ああ、甘い物、とにかく甘い物が食べたい。ついでにちょっと、しょっぱいものも食べたい。梅昆布とか、おせんべいとか、塩おかきとか。
んっ、塩?そうだ、塩だ!塩分だ!ソルトだ!
『お塩にはねえ、邪気を祓う魔除けの効果があるんだよお。身の危険を感じたらとりあえずお塩だね』
と美怜が言っていた。今となっては信用していいのか怪しいものだけど、でも盛り塩とかあるくらいだし、塩にはきっと何かしらの除霊効果があるに違いない。
あっ、でもわたし、塩なんて持ち歩いていないや。くそう、グルメなふりしてマイ塩を持ち歩く習慣をつけておくべきだった。
家には料理好きなお母さんの趣味で、ハカタの塩とかヒマラヤの塩とかピンク色した岩塩とかたくさんあるのに。
あのどれかひとつでもカバンに忍ばせておいてよ、お母さん。
「もう、ひかり。さっきから私の話聞いてるの?」
「えっ?」
「もう、聞いてないじゃん!バツとして満月焼きおごってよ!」
「あっ、うん。ごめんごめん」
気がつくと商店街の中ほどにある満月堂の前まで来ていた。その間ずっとわたしは美怜のおしゃべりに生返事をしていたことになる。
おのれヒトベロス、わたしと美怜の友情にヒビを入れるつもりか。
満月堂は昔からある甘味処で、店内ではかき氷やあんみつなどのスイーツが食べられる。味はどれも絶品で、特にあんこの甘さが絶妙。甘すぎず薄すぎず、いくらでも食べられちゃうおいしさ。おいしさの秘密は隠し味のお塩のあんばいらしい。
歩道に面した売り場では商店街の名物である満月焼きを販売している。
いわゆる今川焼きとか大判焼きとか、そういう系統のおやつ。だけど生地がもちもちふわふわで、はしっこのところがカリッとしていておいしい。
ほかのお店のやつとは格が違う。それでいてお値段は財布にやさしい百円。昔から変わらぬこのお値段。
「いらっしゃいませー。あらー、ひかりちゃんに美怜ちゃん。学校終わり?」
にこやかに声をかけてくれた売り場のお姉さんは二見さん。後ろでひとつ結びにした髪がよく似合う、満月堂の看板娘。
美怜と通っているうちに顔と名前を覚えてくれて、すっかり仲良くなっていた。
「二見さん、こんにちはー。学校終わりにちょっと月夜見神社までお参りに行ってました。大安吉日だとスーパーご利益があるって、ひかりが言うもんで」
「あらそうなのお。ならアタシも後でお参りしてこなくちゃ」
ほがらかな二見さんは美怜の足元の異物に気がついている様子はない。
道行く人たちの中にもヒトベロスに気がついている様子の人はいなかったし、視える人って本当に少ないんだな。
いや、あえて視えていないふりをしている可能性もあるから、なんとも言えないか。ヤンキーに目を合わせないみたいな感じで、みんな自己防衛しているのかもしれない。
「ああー二見さん、さてはご利益もらって勝負するつもりですね」
「んふふ、美怜ちゃん鋭い。狙ってるレースが週末にあってねえ、そろそろ万馬券当てて楽隠居するんだあ」
二見さんはにこやかほがらかお姉さんに見えて実はギャンブラーだ。
本人曰く勝ったり負けたりを繰り返して、メビウスの輪みたいになっているらしい。
人は見かけによらない。
「あっ、ところでご注文はどうなさいます?」
おっと、いけないいけない。後ろに人が並びはじめているのに、楽しくおしゃべりしちゃってた。
「あんことカスタードひとつずつくださーい。ひかりのおごりで」
「わお、ひかりちゃん太っ腹あ。二百円になりまーす」
スクールバッグから財布を取り出しながら、わたしは閃いた。おニューなタイプみたいにキュピンと閃いた。
ここのあんこ、隠し味に塩を使っているということは、調理場に置いてあるのではないか。
そうだ、あるに決まっている。ナポリタンとか軽食も出してるし、間違いない。塩は料理の基本だ。料理のさしすせそのしだ。
でもいきなりお塩貸してくださいなんて頼むのも変だし、どうすればいい。ギブミーソルトなんて言えない。
美怜からは急かされて二見さんも首をかしげている。
ああもうダメだ、なにもいい手を思いつかない。ええい、ままよ!
「あ、あの、追加注文で生地にお塩をパンパンに詰めて焼いてもらえますか!こう、塩爆弾みたいな感じで!」
「塩爆弾!?」
二見さんが声を裏返らせ、
「なに言ってんのひかり!?塩分過多で死んじゃうよ!」
美怜が的確なツッコミをした。
だけどわたしは、止まるわけにはいかない。
打倒ヒトベロスのために、立ち止まることは許されない。わたしにはなんとしても、お塩が必要なのだ。
「大丈夫、わたしわかるの!いま体中が無性に塩分を欲しているって、わたしにはわかるの!塩!塩!ソルト!」
「どうしよう、ひかりがまっすぐな目をして変なこと言い出した!」
「これって熱中症!?お塩もお水もあげるから落ち着いてひかりちゃん!」
こうしてわたしは大事な何かを失った代わりに、塩の入った小瓶を二見さんから借りることに成功したのであった。ついでに冷たいお水ももらえた。




