怪の一 視えちゃった
初めて目が合ったとき、なぜだか懐かしい感じがした。
保育園のお昼寝の時間。寝息を立てるみんなの中で、肩のあたりにイヤな感じがして寝付けなかったわたしは寝返りを打った。
そうしたらたまたま隣で寝ていた彼女と目が合った。
たおやかな黒髪。真珠のように白い肌。定規で引いたみたいにすっと通った鼻筋。小ぶりな唇。
長いまつげに縁取られた二重の瞼。そして琥珀色をした、宝石みたいに美しい瞳。
目と目があったとき、あっ、わたしはこの子と出会うために生まれてきたんだなって、なぜだかわかった。
理屈とかじゃなくて、たましいみたいなものがそう感じ取って、リンと震えた。
リンと震えて、何よりも透明で心地良い音色を立てた。
琥珀の瞳に映ったわたしに触れるように手を伸ばすと、彼女の手も同じようにわたしの顔に向かって伸びてきた。
そして同時にほっぺに手を触れ、示し合わせたように顔を寄せ合った。
牛乳みたいな甘い香りがふんわりとして胸が弾むと、彼女はわたしの唇に人差し指を突きつけた。
その仕草が大人っぽくて見惚れていると、彼女はわたしの耳元に口を寄せてささやいた。
「じっとして、寝たふりして」
耳元でささやく声がくすぐったくて小さく笑うと、彼女はしっと息だけの声で注意した。
「だめ、声出さないで」
「でもくすぐったいし。なんでおしゃべりしちゃだめなの?」
一緒にいられなかった距離を埋めるようにこの子といっぱいお話したい。
わたしといなかったときのこの子のことを全部知りたい。
なのにどうしてそんな意地悪を言うのか、わたしはただただ不満だった。
「いるから、あなたのうしろに」
「えっ、なにが?」
「ふりむいちゃだめ」
静かだけどピアノ線みたいに強い口調で制止され、ビクッとして動きを止めた。
「ね、ねえ、なにがいるの…?」
「おばけ」
わたしの唇から、失敗した口笛みたいにひゅっと息が抜けた。
三文字の言葉の中で、子どもにとって一番怖い言葉。おばけ。
震えるわたしに彼女、賀茂美玲は世界の真実を打ち明けるような厳かさで言った。
「私ね、おばけが視えるの」
ぽかんとしていると美怜は自分の唇に人差し指をつけて、琥珀の瞳でわたしを見つめた。
「みんなにはナイショだよ」
その瞳の中に映るわたしの肩のあたりには確かに、黒いモヤもたいなものが視えた。
♡
月夜視神社。
わたしの暮らす月白町の駅前商店街の外れにある小さな神社。
お花見や夏祭りには屋台が出て、近辺に住む人は初詣ならだいたいここに参拝する愛され系神社。
その月夜視神社に関する奇妙なウワサをネットで発見したのは昨晩のことだった。
月夜視神社で、特定の手順を踏んでお参りすると、視えないものが視えるようになるんだってさ。その手順っていうのはこうで…。
子どものころならともかく、わたしはもう高校生。女子校に通う花のJK。
そんなことあるわけないじゃんと思う。
だけどそれがもしも本当だったらわたしにも、美怜が視ている世界を、視られるようになるかもしれない。
幼なじみで親友で、普通の人には視えないものが視えてしまう瞳を持った美怜。
視えるがゆえに悩んで苦しんで、でも視えないわたしにはその痛みがわからなくて、なんにもしてあげられなくて、それがずっとふがいなかった。
わたしにも美怜と同じ世界が視られればって、ずっと思っていた。
だからダメ元精神、ワラにもすがるような思いで、わたしは月夜視神社の境内に立っていた。
平日の夕方とあって西陽の差す境内には誰もいない。
石畳の脇にある御神木、しめ縄を巻かれた樹齢何百年の楠木が作る影が拝殿に続く石畳の上に落ちていて、それがなんだかさみしい。
吹く風が春にしてはひんやり感じるのは、境内に満ちる神聖な空気とかのせいだろうか。よくわかんないけど、それっぽい雰囲気が出てる感じがして期待が高まる。
こういうのってやっぱり、ムードが大事だし。高まれ、神聖なる空気よ。
気分を高めて拝殿に向かって歩き出そうとすると、肩を掴んで止められた。
「ちょっと、ダメだよひかり。まずは手水場で手を洗わないと」
振り向くとわたしと同じ、月白高校のブレザーを着た美怜が腰に手をあてている。
黒に近い緑のジャケットに、チェック柄のスカート。胸ポケットには月のワッペンがついている、我が校自慢のブレザー。近辺の高校の制服の中では、わたし基準で一番かわいい。
そしてそれをスタイルが良くて顔立ちの整った美怜が着ていると、世界で一番かわいい女子高生の誕生だ。
着崩したりしないでしっかり着ているのがとてもいい。どうかスカートの丈は三年間、ふとしたときにひざ小僧が見えるくらいの丈を守ってほしい。わたしの切なる願いだ。
「あっ、ごめん。ついうっかり」
「もう、そんなに焦らなくてもご利益は逃げていかないって」
小さく笑い、美怜は足取り軽く手水場に向かう。
肩の上で切り揃えられた黒髪が揺れて目に眩しい。前髪はパッツンのボブカット。でも美怜はこだわりがあって、ボブカットと呼ぶと怒る。市松人形カットという呼び方にこだわっている。
まっすぐツヤヤカな髪が、くせ毛なわたしには羨ましい。
今日の放課後はどうすると美怜に聞かれて、月夜視神社に行くと答えたら「私も行くー!」とついてきてしまった。
目的が目的だけに美怜に言うのは恥ずかしくて、「今日は大安吉日だから、お参りするとスーパーご利益があるんだよ」とテキトウに言ったら、乗り気にさせてしまった。
いかんともしがたい。わたしのバカ。
「ぎゃん!」
と反省していたら、手水場の前で美怜がズデーンと転んだ。痛そうにおしりを手で押さえている。
「いたたあ…」
「ちょっと、大丈夫?」
「うん、へいきへいきー。ありがと、ひかり」
わたしが出した手を取って立ち上がり、美怜は照れ笑いを浮かべた。
美怜は昔から何もないところでもよく転ぶ。虚弱体質で疲れやすいせいか転びやすい。
そんな美怜に、視えなくていいものが視えてしまっているのは本当に不幸だと思う。余計な心労が増えてしまうだけだ。
だからわたしは少しでも、美怜の苦労を一緒に背負いたい。
視えちゃうのはちょっと怖いけど、わたしはホラーが得意な方だから大丈夫だろう。小さい頃、お兄ちゃんがゾンビ倒すゲームやってるのも隣で見てたし。
冷たい水で手を洗ってビャッビャッと水滴を飛ばしていると、はいとハンカチを渡された。
「ダメだよひかり。女の子なんだから手はちゃんとハンカチで拭かないと」
「ありがと。美怜は女子力高いなあ」
「まあね、将来はバリバリのキャリアウーマンになるから女子力磨いとかないとね」
キャリアウーマンに女子力はあんまり関係ない気がするけど美怜はご機嫌なのでまあいいか。
ふたり並んで拝殿の前に立ち、ペコペコと二礼してパンパンと二拍手する。
通常はここで手を合わせたまま祈願するものなんだけど、ネットで見た、視えないものを視るためのおまじないは違った。
横目で美怜の目が閉じられていることを確認して、わたしはおまじないを行った。
両手の親指を立てて人差し指をピンと前に伸ばしてゲッツ。それを顔の前で合わせて四角を作り、カメラのファインダーみたいにする。
そのままの体勢で一礼して目を閉じ、頭を下げたまま心の中で三回唱える。
(月夜視様、月夜視様。視えざるものを視る力を、どうか私にお与えください)
目を閉じたまま顔を上げて、指で作ったファインダーをゆっくりと取り払い、目を開ける。
これでおまじないはおしまいだけど、わたしの目に映る世界は何も変わっていない。
古びた拝殿とお賽銭箱。それとぶら下がった鐘を鳴らすための紐。
そうだよね、そんなネットで見たおまじないなんて、ウソに決まってるじゃんね。
ちょっと期待して、ドキドキしながら目を開けてしまった自分が恥ずかしい。高校生にもなっていかんともしがたい。
帰りに満月焼き買って、美怜と食べながら帰ろう。あんことカスタードひとつずつ買って、はんぶんこしよう。
そう思って美怜の方を向くと、視えた。視えちゃった。
熱心にお祈りする美怜の足元にうずくまる、黒い影。
それがのそりと動いて、こっちを向いた。




