027 勇者襲来と平和的ダンジョン
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
ダンジョンの岩壁に設置された魔石ネオン管が、一斉に真っ赤な警告色に染まり、けたたましいサイレンが地下空間に鳴り響いた。
ハルが、玉座の横のパイプ椅子から飛び上がる。
「なんだ!? またブレーカーか!?」
「違いますわ、ハル。下がって」
リンが、ハルの前にスッと立ち塞がり、その両腕を広げてハルを背後にかばった。
彼女の碧い瞳が、カジノの奥、異世界側へと通じるエントランスを鋭く見据えている。
「……来ますわ。魔物を滅ぼす、絶対的な天敵の波長」
カシャッ、ガシャッ。
赤い絨毯の敷かれた通路の奥から、金属の擦れ合う音が近づいてくる。
白銀に輝く、傷一つないフルプレートアーマー。
背中には真っ白なマントをなびかせた、ひとりの若い男が歩み出てきた。
その腰には、鞘に収まってなお神々しい光を放つ長剣が帯びられている。
彼はカジノフロアの入り口で立ち止まり、ギラギラと光るネオンや、ルーレット台を囲む人々を見て、パチクリと瞬きをした。
「あ、あの……ごめんください。ここは、邪悪なる迷宮の主が住まう城で……合っていますでしょうか?」
若く、よく通る声。
彼は武器を抜くこともなく、とても申し訳なさそうな顔で周囲を見渡している。
「えっ、勇者って、あんな腰が低いの?」
ハルが、リンの背中の後ろからひょっこりと顔を出して呟く。
「油断しないでくださいませ。彼は『世界』に選ばれた勇者。その一振りで、山をも両断する力を持っていますのよ」
リンが、ハルをさらに自分の背中へと押し隠す。
「む? そこの金髪の少女。あなたから、極めて濃密な魔力を感じます」
勇者が、リンに気がついて数歩近づいてきた。
「あなたが、この迷宮の主ですか? 私は人々の平和を脅かす魔王を討伐しにきたのですが……」
勇者が、腰の聖剣の柄にそっと右手をかけた。
その瞬間だった。
「……わたくしのマスターに、剣を向けるおつもりですか?」
リンの声の温度が、一気に絶対零度まで下がった。
リンの足元から、目に見えない強烈な風が巻き起こった。
カジノの赤い絨毯が波打ち、ルーレットの台がガタガタと震える。
「なっ……!?」
勇者の動きが、完全に凍りついた。
迷宮の主の力は、そのダンジョンが保有するDPの総量に比例する。
カジノと発電所、そしてスーパー銭湯がフル稼働し、天文学的なDPを貯め込んでいる現在のリンは、すでに伝説のドラゴンすら遥かに凌駕するほどの、圧倒的な存在へと進化していたのだ。
「誤解しないでいただきたいのですが。わたくしたちは、人間の皆様に極上のサービスを提供しているだけですわ。見ての通り、誰も血を流してはおりません」
リンが、冷たい瞳のままカジノフロアを片手で示す。
ハンバーガーにかじりつくエリート官僚。
スライムに顔を覆われて寝ている異世界の貴族。
「もし、それでも剣を抜くというのなら。……わたくしが、あなたを塵一つ残さず消し去ります」
リンの言葉に、勇者は喉をゴクリと鳴らした。
本能が、警鐘を鳴らし続けている。
目の前の美しい少女と戦えば、どちらが生き残れるかわからない。
「ま、待ってくれ! 私は無益な殺生は好まない!」
勇者は慌てて剣の柄から手を離した。
「確かに、ここは私の知っている魔王の城とは違うようだ。早とちりをしてすまなかった」
勇者が深々と頭を下げる。
スッ。
リンから放たれていた重圧が、嘘のように消え去った。
「ご理解いただけて何よりですわ」
リンはふわりと優雅に微笑み、いつもの可愛らしいダンジョンボスへと戻った。
「いらっしゃいませ。お客様。当館では、武器の持ち込みを固く禁じております」
タキシード姿のミノタウロスが、銀色のトレイを持って勇者の前に歩み寄る。
「あ、はい。わかりました」
勇者は素直に腰のベルトを外し、神々しい聖剣をトレイの上にコトンと乗せた。
「リンちゃん、すげえ……」
ハルが、リンの背中を見つめながらポカンと口を開けていた。
「ふふっ。ハルのことは、わたくしが絶対に守りますから」
リンが振り返り、ハルに向かって小さくウインクをした。
◇
「あぁ〜……極楽だぁ……」
勇者は、広々とした岩風呂の縁に後頭部を乗せ、だらしなく口を開けていた。
白銀の鎧はすでに脱ぎ捨てられ、脱衣所のカゴの中に丁寧に畳まれている。
火の魔石で四十二度に保たれたお湯が、野宿と長旅で冷え切った勇者の体を芯から温めていく。
手足をいっぱいに伸ばし、お湯の浮力に身を任せていると、世界を救う使命などどうでもよくなってくる。
風呂上がりにフルーツ牛乳を一気飲みした勇者は、そのまま作務衣のような館内着に着替え、カジノの横にあるフードコートへと案内されていた。
入り口には、赤いアフロヘアで黄色と赤の縞模様の服を着た、不気味なピエロの等身大の人形が立って笑っている。
「ダブルチーズバーガーのセット、ポテトとバニラシェイクになりますー!」
サンバイザーを被ったエルフのアルバイト店員が、プラスチックのトレイを勇者のテーブルにドンと置いた。
「なんだ、この丸いパンに挟まれた肉は……。それにこの黄色い棒状の芋……。この冷たくてドロドロした飲み物は……」
勇者が、ハンバーガーを両手で掴み、大きく口を開けてかぶりつく。
「……っ!」
一口食べた瞬間、勇者の目が限界まで見開かれた。
「美味い……! なんだこの柔らかいパンと、肉汁あふれる肉の塊は! 間に挟まった黄色いチーズのコクが、暴力的なまでに舌を刺激してくる!」
勇者は無我夢中で肉を咀嚼し、続いてフライドポテトを数本まとめて口に放り込んだ。
「この芋の絶妙な塩気と、カリッとした食感! さらにこの冷たくて甘いミルクのような液体が、口の中の脂を完璧に洗い流してくれる!」
勇者はハンバーガーを食べ、ポテトを齧り、シェイクをストローで一気に吸い上げる。
彼は箸休めのつもりで、ポテトの一本をバニラシェイクにディップして口に入れた。
「こ、これは……甘味と塩味の奇跡の融合……! やめられない、手が止まらないぞ!」
勇者は瞬く間にハンバーガーセットを平らげ、トレイに残ったポテトの塩まで指で舐め取った。
「おかわり! いや、あと十セット頼む!」
勇者が、空のトレイを頭の上に掲げて叫ぶ。
◇
数時間後。
カジノの奥に設けられた、薄暗い休憩スペース。
リクライニングチェアの上に、完全に骨抜きになった勇者が横たわっていた。
彼のお腹は、ハンバーガー十個と大量のポテトでパンパンに膨れ上がっている。
彼の顔には青いスライムがへばりつき、毛穴の汚れと疲労をジュルジュルと吸い出している。
「ああっ……そこ、もう少し右を……。あぁ〜、溶ける……私の正義の心が、スライムとシェイクに溶かされていくぅ……」
勇者は白目を剥き、口からだらしないよだれを垂らしていた。
ハルは、パーティションの向こう側からその光景を眺め、腕を組んでいた。
「いやあ、リンちゃんの強さにはビビったけど。結局、勇者も他の連中と一緒だったね」
「常識的に考えて、勇者の強さは本物だろう。本気で戦えばダンジョンは崩壊しかねなかった。だが、我々は武力を保持しつつも、さきに対話を選んだ。真面目で善良な勇者に討伐されることはない」
矢良内が、ノートパソコンのキーボードを叩きながら眼鏡のブリッジを押し上げる。
ピコン、ピコン、ピコン!
勇者の極上の快感とリラックスから、凄まじい勢いで魔力が還元され、ダンジョンのパネルの数字が跳ね上がっていく。
「……すばらしい国だ。私は、しばらくここで疲れを癒そう……」
スライム越しに、勇者のくぐもった声が聞こえてくる。
ハルは、完全に堕落しきった勇者の姿を見下ろしながら。
リンの強さと、資本主義の恐ろしさを改めて噛み締め、ニヤリと笑った。
勇者の強さなら、まさに、百人力の労働力になるだろう。




