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018 ハルダンジョンビル

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 

矢良内が、長机に並んだ分厚い資料の束を指先でトントンと揃える。

 

「国家特区ダンジョン拡張事業における、大規模な人員派遣契約の件ですが」

 

向かいに並んで座る数人の男たちが、出された冷たいお茶を美味しそうに飲み干した。

 

彼らは皆、都内の建設会社や人材派遣会社を束ねる社長たちだ。

 

岩壁の部屋だが、天井の隅で平たく伸びた青スライムたちが適度に空気を冷やしてくれているため、とても快適な空間になっていた。

 

「条件面については、我々から提示した通りです。何かご不安な点はありますかな?」

 

グリーンのスリーピーススーツをビシッと着こなしたオークが、人懐っこい笑顔を浮かべ、渋いバリトンボイスを響かせる。

 

「いやあ、素晴らしい! これほど破格の待遇、ウチの若い連中も大喜びですよ! 正直、最初はダンジョンなんて恐ろしい場所かと思ってたんですがね」

 

恰幅の良い社長が、満面の笑みでおしぼりを受け取り、顔の汗をゴシゴシと拭った。

 

「今じゃウチのバイトども、地上の現場よりダンジョンに行きたがるんですよ。涼しいし、ご飯は美味しいし、何よりあの不思議なゼリー……スライムエステですか? あれが最高だって」

 

別の社長も、目を細めてウンウンと頷く。

 

「お金はたっぷり用意してあるからね。とにかく人が欲しいんだよ。何百人でもいいから、ウチのダンジョンで楽しく働かせてくれ」

 

ハルが、パイプ椅子に座って笑う。

 

「空間を広げる工事を進めれば進めるほど、みんなハッピーになる。人をたくさん雇えば、一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるんだからさ」

 

「太っ腹ですねえ、入則社長! よーし、ウチもエース級の鳶職人を五十人、ドカンと回しちゃいますよ!」

 

「じゃあウチも、腕のいい重機オペレーターを引っ張ってきますわ! いやあ、こんなに景気のいい話は久々だ!」

 

男たちが机を叩いて豪快に笑う。

 

人を雇い、元気よく働いてもらう。

労働の対価としてがっぽり日本円を払いながら、彼らがダンジョン内で流す汗と充実感からDPを回収する。

 

国家事業という名目で集まった社長たちとハルたちは、誰も損をしない超ハッピーな事業計画に、揃ってワッハッハと大笑いしていた。

 

     ◇

 

それから数日後。

 

「みんなー! 社長からの特別ボーナスだ!」

 

ハルが拡声器を片手に、工事現場のど真ん中に現れた。

 

土埃が舞う中、コンクリートを練っていた泥だらけの作業員たちが、一斉に手を止めてハルを見上げる。

 

「みんなが毎日一生懸命岩を砕いてくれるおかげで、ダンジョンはどんどん広くなってる! だから、今日からウチの従業員は全員、スライムエステの利用料を九割引にする!」

 

ハルが拡声器のボリュームを最大にして叫ぶ。

 

「仕事終わりにどんどん疲れを吸い取ってもらって、ピカピカになって帰ってくれ! ああ、スライムカプセルホテルで泊まってもいいぞ! これも9割引!」

 

一瞬の静寂。

そして、爆発。

 

「うおおおおっ!」

 

「マジかよ! あのエステが、たったの千円で受けられるのかよ!」

 

「家賃よりずっとスライムホテルに泊まったほうが安いわ!」

 

「社長、一生ついていきます! 俺、今日からダンジョンに骨を埋めます!」

 

作業員たちが、泥だらけの拳を突き上げて歓喜の雄叫びを上げた。

 

彼らは互いの肩を叩き合い、持っていたスコップを空高く放り投げて喜んでいる。

 

ピコン、ピコン、ピコン!

 

彼らの歓喜と、エステに向けた極上の期待感が、凄まじい勢いで魔力に変換され、リンの頭上にあるDPのパネルの数字を跳ね上げていく。

 

みんなが喜んで働き、その疲れをエステで癒やしてさらにDPがあふれ出す。

 

ダンジョンの奥深くで、ハルが考案した永久機関がフル稼働していた。

 

     ◇

 

さらに数日後。

 

カキン、カキン

 

「オーライ、ソコのフトいテッコツ 、モット奥へ!」

 

拡張工事の最前線。

黄色いヘルメットを被ったゴブが、短い腕を振り回して指示を飛ばしている。

 

その指示に従い、汗まみれになった人間の作業員たちが重い資材を肩に担いで奥へと運んでいく。

 

「ゴブ監督ぅ、この足場用の丸太、どこに積めばいいですかぁ?」

 

甘ったるい声が響いた。

ピンク色の作業着に身を包んだ、金髪の若い女性アルバイトだ。

 

彼女は太い丸太をアース・ゴーレムに持たせながら、ゴブの足元にしゃがみ込んで上目遣いで尋ねる。

 

「ゴ、ゴブゥ! ソコノ壁際ニ、置イテホシイ、ゴブ!」

 

「はぁーい! ありがとうございますぅ!」

 

女性アルバイトは元気よく返事をすると、ゴーレムに指示を出して奥へと向かっていった。

 

「……ずいぶんと、人間の後輩が増えましたねえ」

 

頭にタオルを巻いた吸血鬼のパイが、二十キロのセメント袋を二つ軽々と脇に抱えながら呟いた。

 

「ウン。ニンゲンのコウハイ、イッパイいるゴブ」

 

ゴブが満足げにうなずき、女性アルバイトの背中を目で追う。

 

彼らの目の前では、泥だらけになった屈強な男たちに混じって、図面を抱えて走り回る若い女性スタッフたちの姿がひしめき合っている。

 

「キレイなオネエサンのコウハイ、イッパイ増えて、イイ匂いするゴブ」

 

スライムエステの九割引という破格のボーナスの噂は、またたく間に人材派遣会社の中で広まった。

 

結果として、美容目的で働きに来る女性作業員が一気に増え、工事現場はかつてないほどの活気とフローラルな香りに包まれていた。

 

     ◇

 

夜。

ハルは、岩壁に蜂の巣のように穿たれたカプセルホテル用の穴を見上げながら、矢良内に提案した。

 

「なあ、ヤラさん。もうウチの会社、お金にはかなり余裕があるんだし。この岩穴カプセルホテルだけじゃなくて、ちゃんとした住居を作ろうぜ。アパートみたいなやつ」

 

「住居、だと?」

 

矢良内がノートパソコンのキーボードを叩く手を止める。

 

「そう。せっかくみんな毎日楽しそうに頑張ってくれてるんだし、もっと快適にダンジョン内に住まわせてあげたいんだよ。夜遅くまで働いて、地上に帰るの面倒そうにしてる女の子たちも多いしさ」

 

ハルは作業着のポケットに手を突っ込み、岩壁の向こうに広がる未来の居住区を夢想するように笑う。

 

「却下だ」

 

だが、矢良内は眼鏡の奥で目を細め、冷ややかな声を落とした。

 

「なんでさ! みんなのために良い環境を作ってあげたいだけなのに!」

 

「常識的に考えて、住所がない場所に住民登録はできない。登記できなければ、彼らも生活の拠点を移せないのだ」

 

矢良内が、眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。

 

「書類上、ここは雑居ビルの104号室だ。そこに数百人が住民票を移すなど、行政のシステムが許さない。タコ部屋労働を疑われて、一発で労働基準監督署の査察が入るぞ」

 

「えー、書類上はビルの中の一室だろ? そんなの適当にでっち上げればいいじゃん。ダンジョンビル一丁目二番地三号とかさ。フロアごとに番地を分けるとかして」

 

ハルが唇を尖らせて反論する。

 

「……でっち上げるにしても、正式な地名というものが必要だ。そういえばリン」

 

矢良内が、苔茶を飲んでいるリンを振り返った。

 

「このダンジョン、元々は何という名前の空間だったのだ?」

 

リンが、ティーカップを机にそっと置く。

 

「ゴブリンの巣穴ですわ」

 

「……」

 

ハルと矢良内は、無言で顔を見合わせた。

 

「うーん。履歴書の住所欄にゴブリンの巣穴二丁目って書かせるのは、ちょっと住民登録には使えない名前だなあ。面接官が二度見するよ」

 

ハルが頭を掻く。

 

「これはダンジョンボスとしてのわたくしの意見ですが、現状、そもそもゴブリンはわたくしとゴブだけですし、名前に即していませんわ」

 

リンが、ハルを真っ直ぐに見つめた。

碧い瞳が、優しく微笑んでいる。

 

「そして、ハルは誰よりも、このダンジョンの発展に尽力してくれました。ですから、ぜひ、ハルの名前をこの地名としたいですわね」

 

「……えっ?」

 

ハルの動きが止まる。

 

「俺も賛成だ。実務的な観点から言っても、ハルダンジョンビルという名称なら、風変わりなITベンチャーの自社ビルとして行政の審査も通りやすいだろう」

 

矢良内が、キーボードを閉じて小さく頷く。

 

「ハルアニキの、スアナ、ゴブ!」

 

ゴブが、黄色いヘルメットを掲げてピョンピョンと飛び跳ねる。

 

「我らがマスターの名を冠する。これ以上、相応しい名はありませんね」

 

パイが、胸元に手を当てて恭しく一礼する。

 

「あ、あの……私も、ゴブリンの巣穴よりは、ハル社長の名前の方が……郵便配達の人も怖がらないと思いますし……それに……」

 

白衣を着た黒目が、目の下の隈をさすりながら控えめに同意する。

 

「実家の親に、ダンジョンに住んでるって言ったら泣かれそうなので……ビル名の方が安心します……」

 

全員の意見が、ピタリと一つにまとまった。

 

「では、決定だ。明日一番で、法務局へ名称変更と区画の登記へ行ってくる」

 

矢良内が分厚い手帳を取り出し、万年筆で素早くメモを書き込んだ。

 

「お、おいおい、みんなして勝手に……」

 

ハルは、岩肌の天井を仰ぎ見た。

自分の名前が、街の住所になる。

 

全員の協議により、この巨大な地下空間の正式名称はハルダンジョンビルと決まった。

 

今後拡張していくフロアや居住区画ごとに、第一階層を何丁目、岩壁のブロックを何番地と割り振って、細かく区別していく手はずだ。

 

ただの底辺フリーターだった自分が、この巨大な地下都市の文字通りの主として刻まれる。

 

「……ハルダンジョンビル、か。悪くないな」

 

ハルは、照れ隠しのように鼻の下をこすり。

その口角を、抑えきれないほどだらしなくニヤニヤと吊り上げた。

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