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ココロネの心音  作者: 存此
32/44

5―1


 ココロネが、朝目覚めたらいなかった。


 朝が来るとココロネはいつも少年の体を揺らし、少年を起こす。

 そして優しい声で言うのだ。

 「おはよう」と。


 しかし、部屋には誰もいない。


 オリバーとでも話しているのだろうか、と少年は一階に降り探してみるが、姿は見つからない。

 大丈夫、買い物にでも行っているのだろう。

 だってココロネとは約束をした。 名前をつけてくれると。

 それまでは別れは来ないはずだ。

 そう信じたいのに、胸が不安でぎゅうとなる。

 けれど、少年に出来ることと言えば待つことくらいだ。

 少年はバーのマスターの手伝いをしながらココロネが帰ってくるのを待った。

 しかし夜になっても、ココロネは帰ってくることがなかった。

 そのことにオリバーも心配をし始める。 オリバーもココロネのことを何も知らなかったのだ。

 バーのマスターの手伝いが終わると少年はバーカウンターのイスでココロネの帰りを待っていた。


 それは次の日も。

 そのまた次の日も。


 一週間ほどすると、少年の目の下は隈が浮かび、ひどく暗い顔つきをしている。 オリバーが心配をして「手伝いはいいから眠ってろ」と言っても少年は頷かない。 その間にココロネが帰ってきたら、と考えると眠れなかった。


 ココロネは一体どこに行ってしまったのだろう。

 名前をまだもらっていないのに。

 ココロネがいなくなった日からエフも見かけなくなった。 エフは今頃、ココロネと一緒にいるんだろうか? そう思うと嫉妬で気が狂いそうになった。

 ココロネというのは本当にかみさまだったのだ。

 少年にとって、いなくてはならない存在だった。

 ココロネと別れる、せめてのものとして名前をもらおうと思っていたけれど、それでは甘かった。 少年の中でココロネの存在はは大きく、生きる理由だった。


 ココロネといっしょにいたい。

 ずっと、ずっと、しぬまで。

 しんだあとも、どこまでも、いっしょにいられるなら、どこまでも、いっしょに。


 少年は勇気がなくて、諦めもあって、伝えたかった気持ちを伝えられなかった。

 ココロネが少年の願いを聞いたとして、ココロネは意志を変えるとは思えなかった。 それでも、言うという勇気がなかった。 もし、伝えられたなら、何かが変わっていただろうか?


 ココロネのいない日常はつまらないものだった。

 ご飯に困ることも、暴力で痛い思いもすることもない。 以前と比べれば、恵まれた環境だと言うのに、ちっとも満たされない。

 それどころかすべてが灰色に見える。

 日々を過ごすごとに、新しい料理のレシピを覚えた。

 けれど、そこに喜びはない。 作った料理をバーのマスターが微笑んで食べてくれても、何も嬉しくない。 新しい料理を覚えたところで使い所など仕事でしかない。

 夜になってもココロネは帰ってこない。 ココロネの帰りを楽しみにしながら、バーのマスターの手伝いをしている頃がひどく懐かしく思えた。


 ――ココロネのいない世界に、ぼくが生きている意味などあるのだろうか?


 それは、ふとした疑問だった。

 死んだような毎日だ。

 オリバーとバーのマスターの前では気を遣わせないように作り笑顔で笑う。

 ココロネがいなくなり少年はベッドは使わなくなった。

 始めはココロネの温もりを求めて一人で眠っていたが、やがて過去を思い出すようになった。 だからココロネを少しでも思い出したくて、以前のココロネの寝方を真似するようにした。

 なんでもココロネは、不意の攻撃にもすぐ対応できるよう、床の上に座って眠るのだ。 壁に寄り膝を抱えて俯せて眠る。

 少年はココロネの寝ていた場所に座って同じような体勢をとって休息をとる。 ココロネのいない夜は眠ることが出来ず睡眠不足が続く毎日だ。


 死んでしまいたい。


 ココロネはもし自分が死んだことを知ったら悲しむだろう。

 しかし、ココロネは帰ってこない。 それならば知ることはない。

 少年はかゆくもないのに腕をかきむしった。

 想いをぶつけるかのように全力で爪をたててひっかくものだから、赤い線が引かれて行く。 オリバーやバーのマスターに知られれば心配されてしまう。 そのことは分かっているのに、やめられない。

 そんななか、オリバーが少年を部屋へと呼び出した。 少年がオリバーの部屋に入るのは初めてだった。 しかし、部屋の内装に興味を沸かせるほどの元気は残っていなかった。 オリバーは真面目な顔をして言う。


「少年、ココロネとの別れは早まっただけだった。 そうは、思わないか?」

「う、ん」


 オリバーは少年の状態を見てられないのだろう。 オリバーは優しい性格をしている。

 わかっている。 自分だってそうやって何回も説得した。 ただ、名前が与えられなかっただけで。 それでも、毎日はつまらない。


「ただ、名前をもらえなかっただけ。 それだけだろ?」

「……う、ん」


 ちがうのだ。 少年は自分を甘く見ていた。 名前をもらえれば、それを宝物として生きていけると思った。 けれど、ココロネのいない毎日は予想よりも遙かに違っていた。 結局のところ、名前をもらっていたとしても、同じような状態になっていただろう。


 オリバーは、ふう、と深くため息を吐いた。 少年はオリバーに対して申し訳ない気持ちがあった。 心配をさせてしまっている。 けれど、だからと言って元気ではいられないのだ。 元気に振る舞おうとしても、ひどく悲しく虚しい。


「ココロネに会いたいか?」

「……こころ、ねが、どこに、いる、か、しってる、の?」


 オリバーの言葉に少年は尋ね返した。 けれど、知ったところでどうするだろうか。 ココロネを追いかけることはできるだろうか。

 だって、ココロネはもう、ぼくを置いていったというのに。 置いて行かれたぼくが追いかけても、いらない存在ではないのだろうか。



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