後編
家に入れなくなって――時計がないので正確な時間は分からないけど――かなり経った。僕は原点に戻って、姉に聞いてみた。
「鍵、どこでなくしたか覚えてる? もしかして学校に置き忘れたんじゃない?」
口に出して、その可能性が高い気がした。
だとしたら早く戻らないと、学校が閉まってしまう。けれど姉は慌てた様子も見せず、視線を少し上向きに、ゆっくり思い出すように答える。
「うーん。どうかな? 実は言うと、お母さんに鍵をもらって、それを持って家を出た、って記憶がないのよね。家に着いて鍵がなかったとき、あっそうか、弥生が鍵持ってるんだけっけ? と思ったら、弥生を待ってたんだけど」
「あっ」
「どしたの?」
「いや、つまりそれって、鍵を家の中に置き忘れた可能性があるってことだよね」
姉は預かった鍵をどっかに置いたまま家を出た。合鍵が家の中に置きっ放しであることを知らない母は、本鍵を使って扉を閉めて家を出た。典型的な追い出され例だ。本来なら絶望的。しかし、
「でもそれなら逆に、お母さんが気づいてくれて、合鍵はいつものところに隠してある、ってこともあるかもしれないよね」
「無駄よ。私だってその可能性考えて、弥生が来るまでの間、くまなく物置の中を探したんだから。ほら、足とか靴が汚れてるでしょ」
いや、それはいつものことです。
急な外出の時とかは、家の合鍵は、庭にある物置の中、使っていない鉢植えの下に隠しておく、というのが暗黙の了解となっている。ありがちな場所だけれど、庭は県道に面しているため、人の目も多く、家の人間である僕たちならともかく、泥棒にとっては探索ハードルは高いだろう。
「でもどこか別の場所にあるかもしれないし」
「じゃあ、私もいく」
「お姉ちゃんもついてくるの?」
「うん。私が見つけられなかったのに、後から調べた弥生が見つけたら、悔しいもん」
そういうものだろうか。二人して物置に向かう。もともと汚かった物置の中は、姉が漁ったせいで、さらにひどいことになっていた。いつも鍵を隠すのに使っていた鉢植えすら、どこにあるか判明しない。僕はそうそうに諦めて物置を出た。
お姉ちゃんがほら見たことか、って顔をしているけど、誰のせいだ。すると姉が意外な提案をした。
「こうなったら、誰かんちに泊まりに行っちゃおっか」
「……こんな急に? しかも二日間だよ」
あいにく僕の友人の中に、そんなアテはない。
「ふーちんちなら平気よ。ああ見えてなんちゃってお嬢様だし。二階に使ってない部屋一つ余ってるから、弥生も泊まれるわよ」
姉の友人、ふーちん、こと古屋あんりさんがちょっとしたお嬢様であることは僕も知っている。「あたしって、ロールスロイスにセバスチャンで高笑い、っていうより、みんなが50円の氷菓を買う中、一人150円のアイスクリームを買う程度のお嬢様なのだよ」なんて話しているのをよく聞く。ちなみに、このあと「――ってわけで、○○頂戴♪」とつながる。
「でも、どうやって泊まりに行くの? 説明はどうするの。僕らが家を追い出されたなんて言ったら……あんりさんって、その、口軽そうだし」
そう。このミッションには一つの大きな縛りがある。それはこの二日間、お母さんが旅行中という事実を、周囲に伏せなくてはいけないこと。これにより、誰かに事情を話して助けてもらうことはNGとなる。
「うーん、確かにそれはそうね……」
「でしょ。むしろ泊まるなら佐々木さんちとか姫――白石さんのうちとか」
姉の友人、佐々木真美子さんと白石美姫さんの名前を挙げる。ちなみに後者――通称姫ちゃん――は、僕の中で最近気になる女の子である。もし彼女の家に泊まれるのなら、災い転じて福となって人間万事塞翁が馬だ。姫ちゃんのパジャマ姿や寝起き姿を見られるかもしれないのだ!
「残念だけど没ね。二人とも兄弟がいて家も普通だし。真美子に借りを作ると後々大変だし、姫ちゃんはああ見えて、ふーちんよりも口が軽いわよ」
うっ。姉にしては珍しく常識的な判断……
「そもそも、我が家にお宝(お菓子)が眠っているのに、それを見過ごすなんてもったいないこと、やっぱりできないわ!」
……そっちですか。
振り出しに戻ってしまった。いつの間にか、虫の音が裏庭を賑やかしていた。夜が近い。
やばい。このままだと、目の前に我が家があるにも関わらず、本気で野宿しかねない。僕は焦ってきた。
「いっそのこと、窓壊しちゃう? あとから泥棒のせいにすれば」
「……弥生にしては、だいたんな意見ね」
まぁ僕としても本気で言ったわけじゃないけど、それだけ焦ってきたってことだ。
どうすれがいい? どうすれば……
悩む僕を後目に、姉はうーんと伸びをしてあまり深刻な様子ではない。
「私ちょっと、コンビニに行ってくるね。なんか飲み物買ってきて、ついでにトイレにも行ってくるわ」
さすがに「来年は中学生」として野ションは避けたいのだろうか。
「弥生も一緒に来る?」
「い、いや。僕はいいよ」
内心の動揺を悟られないよう慎重に首を振った。姉はさして気にした様子は見せず、それじゃ、と、最寄りのコンビニに向かっていった。塗装が剥げて白色が目立つランドセルを置いて。
十分ほどして姉が戻ってきた。コンビニまでの移動時間を考えると、マンガの立ち読みをせずまっすぐ帰ってきたと思われる。右手には、三分の一ほど飲まれた、青いラベルのスポーツ飲料を持っていた。お菓子など食料系は買ってきていない。
「はい、弥生。お姉ちゃんからのおごりよ。あ、半分は残しといてね。あとは私が飲むから」
すでに三分の一ほど減ってるんですけど。まぁおごってもらった身としては文句言えない。指示通り、半分残して姉に返す。姉はそれを受け取ると、躊躇なく口に付けて飲み始めた。僕は視線をそらしつつ、さりげなく言った。
「ねぇ。さっき待っている間に思ったんだけど。もしかして、鍵は実はランドセルの奥の方に入ってました、ってオチとかないよね? 悪いと思って中は覗いてないけど、ふとそんな気がしたんだ」
「うーん。それはないと思うけどねー」
そう言いつつも姉は、飲みかけのペットボトルを横に置いて、ランドセルの中を漁った。一分ほどして、姉は顔を上げた。
「やっぱ、ないわよ」
「えぇ、うそっ」
僕が不満の声を上げると姉はランドセルをこっちによこした。遠慮なく中を探らせてもらう。不思議と教科書が少なく、学校に必要なさげなものも入っていたが、肝心の鍵は、見つからなかった。
「そ、そんな……」
もう完全に日が暮れてしまった。内山さんちの光がまぶしい。もしかすると明かりのつかない中島家の異変に気づき僕たちを見つけるかもしれない。そうしたらいくらなんでも子供二人を外にほっぽいとくことはないだろう。けれどそれでは、極秘任務は失敗だ。
「さてと、そろそろ寒くなってきたし、家に入ろうっか」
はっ? 僕が何かを口にする前に、姉はよっこらしょと立ち上がって玄関に向かった。
僕は慌てて後を追う。
「ちょっと待ってよっ。入るって、どうやって?」
「ふっふっふ。実はお姉ちゃんは魔法使いなのよ」
そんなふざけたことを言って、姉は左手でドアノブを、右手で鍵穴を掴んだ。そして、
「ひらけ、ゴマ!」
右手を軽く動かすと、かちゃりと鍵の開く音がして、左手で一気に扉を開いたのだった。
「って鍵持ってるじゃないっ」
姉の右手には、ずっと探していた我が家の合鍵が握られていた。
「どうして……」
「さっき弥生に言われてランドセルの中を探したとき見つけて、隠し持ってたのよ。私がコンビニ行っている間、こっそり弥生が入れてくれた鍵をね」
「……いつから気づいていたの?」
思わず反応してしまって後悔する。――この時点ならまだごまかせたかもしれないのに。
そんな僕の様子に満足したのか、姉は玄関の電気をつけると、床に腰掛けて、探偵気取りで語り出した。
「気づいたのは、弥生が、もしかして鍵を家に置き忘れたんじゃって言ったとき」
今朝のことである。確かに、姉は母から合鍵を授かった。だがそのあとすぐ、姉はその鍵を洗面所に置きっ放しにして、トイレへ入っていった。そしてそのまま僕より先に家を出たのだ。
僕は、これは絶対に忘れるなぁ……と予測していたので、その鍵を姉の代わりに持って家を出たのだ。絶対に落とさないよう、ランドセルの奥にしまって。
――それなのに、どういうわけか僕はすっかり忘れてしまった。
思い出したのは、姉が気付いた――自分自身が置き忘れを指摘したとき――と一緒だった。その時点で素直に鍵を出せばよかったんだけど、直前まで、鍵がないないと騒いでいた手前、言い出せなかった。
そこで物置を見に行き、母が置いた(ということにする)鍵を見つけた、って展開を考えた。しかし姉がついてきてしまったため実行できなかった。姉の話からすれば、この時点ですでにばれていたわけだけど。
「コンビニに行くと言ったのは、弥生にチャンスをあげるため。弥生のことだからきっと、私がいない間に家に入ったら、鍵を持っていたんじゃないかと疑われる、と考える。そこで、どこか別の場所に隠して私に見つけさせて、実は自分が鍵を持っていたことを、内緒にするんじゃないかなって」
――全くもってお姉ちゃんの言うとおり。
まんまとひっかかった僕は、ランドセルに鍵を隠したんだけど、予想していた姉は逆に鍵を隠し持って僕の反応を楽しんだ、てわけだ。
座ったままふんぞり返っている姉に、僕は力なく、聞いた。
「でもどうして僕が鍵を持ち出したってことが分かったの? 本当に家の中に置きっ放しになってる可能性は考えなかったの?」
「あの話をしたあと、弥生の様子が変だったからね。これはもしかして……って。自慢じゃあないけど、私は入野小児童のなかで、一番『お姉ちゃん』歴が長いんだから」
あ、そっか。
生を受けて数分で姉となった最上級生。言われてみればその通りだ。だからって、急に姉が立派に見えてくるわけじゃないけど。
「つまり弥生の考えていることなんて、すべてお見通し、ってことよ。弥生が忘れっぽいってこともね」
「へっ? それってお姉ちゃんのことじゃ」
さすがにそれは聞き捨てならない。そんな僕を見て、姉は苦笑を浮かべつつ言った。
「まぁ自分が忘れっぽい、ってことを忘れるくらいじゃないと、本物じゃないってことかしら」
――その言葉は忘れないようにしよう。
オチのために、弥生には悪いことをしてしまったと、ちょっぴり反省しています(笑)