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6. 嘘を重ねた積み木が崩れるのを待っていた

 重い足をひきずって学生寮の部屋に戻ってきた。

 

「ただいまもどりました……」

 

 西日の差す薄暗い部屋からは応じる声はない。

 

 今の時間、部屋の主であるスペリアはテラスで学友たたちとのお茶をたのしんでいる頃だった。

 イフェリアは掃除用具を手に仕事にとりかかる。

 

 脱ぎ捨てられた服をクローゼットにかけ、乱雑に積まれた教科書を棚に収めていく。

 磨いた窓ガラスに自分の顔が映りこむ。そっくりな顔のはずだが、彼女と姉を見間違える人間はいない。

 優れた子(スペリア)劣った子(イフェリア)、生まれたときから決まっていたことだった。いつも選ばれるのは姉ばかりである。

 

 でも、今日は少し違っていた。

 図書室でかばってくれた男子の顔を思い浮かべる。

 ミディウム・ハイライン、姉であるスペリア・フェルディナントの婚約者。

 

「また……会えるかな……」

 

 あのときは上手くいえなかったけれど、次こそはお礼を言おう。それぐらいは姉も許してくれるかもしれない。

 

「でも、やっぱり……やめておこう……」

 

 すぐに自分の思いを打ち消す。

 姉は独占欲が強い。小さい頃、姉にはお気に入りの玩具があった。かわいらしい女の子の人形で姉のおままごとの相手だった。

 姉のいない間にさわると、すべすべした布地は気持ちよかった。ちゃんと元の位置に戻したはずだけど、彼女にはばれていたようでひどく殴られた。

 

 翌日、その人形はゴミ箱に入れられていた。汚れてしまったからもういらない、と言われた人形は他のゴミと一緒に焼かれた。

 

「……早く終わらせなきゃ」

 

 姉が帰ってくる前に部屋の掃除を終わらせなければいけない。いいつけたことが終わっていないと、彼女が不機嫌になることを知っていた。

 

 窓ガラスの向こうに、夕陽を背にした小さな影が見えた。水平に渡した手すりの上でたたずむ影に目をこらす。その正体は白鳩だった。

 血の色をした瞳がこちらを見ている。

 

 染み一つない真っ白な鳩。近くに巣をつくったのか最近よく見かける。

 ふんを撒き散らして不潔だと姉がいやな顔で見ていた。彼女に言われるままほうきで追い散らしても、いつもこうして戻ってくる。

 

 窓ガラスをあけて鳩を追い返そうとしたとき、扉が開く音が聞こえた。慌ててカーテンを閉めておく。

 

「なんだ、やっぱり掃除おわっていないわね。本当にあんたは何をやらせても愚図ね」

 

「……ごめんなさい」

 

 窓をゆっくりと閉めるイフェリアに向かって大きなため息を吐く。

 言い訳はいくらでもある。図書室から戻ろうとしたころで彼女たちにつかまったのは不運だった。せっかく彼に助けてもらったのに、それを無駄にしたことがさらに追い打ちをかける。

 

「わたしは夕食にいってるくけど、あんたは掃除してなさい」

 

「……はい」

 

 寮の食事は時間が決まっている。それを逃すと次の日まで何も口にすることができない。

 

 空腹にはなれていた。

 

 一人でいることにもなれていた。

 

 だから、何も問題はない。

 

 それが彼女にとっての日常。

 慣れてしまえば心が動くこともない。

 

 掃除を終えるころには窓の外はすっかり暗くなっていた。今日は何も食べることができないことが確定した。

 

 空腹を抱えながら机の前に座って明日の授業の準備をする。

 机の上に広げられたノートや教科書は学生が持ち歩くには通常のものであった。だが、それを見たものが尋常の道徳をもつなら眉をひそめるだろう。

 そこには『愚図』だの『気持ち悪い』だの『死ね』という悪意が、いくつもいくつも書きなぐられていた。

 

【おいおい、ひでぇもんだな】

 

 それは日常に生じた一点のほころび。

 その声は若いのに老成した落ち着きをもちながら、女性のように高く響かせ乱暴な男のような言葉遣いをしていた。

 その声は立ち上がりきょろきょろとするイフェリアが見えているように語りかける。

 

【こっちだ。こっち。開けてくれよ、イフェリアちゃんよぉ】

 

 閉められたカーテンの向こう側から声が聞こえた。

 部屋は二階に位置している。通常の人間なら恐怖を感じて助けを求めている状況であった。


 イフェリアの手は求められるままにカーテンを開く。

 窓の向こうの暗闇で紅い円形の瞳と目が合った。

 まったく何の前兆も脈絡も無く唐突に現れた『異常』―――何も変わらないとイフェリアが思い込んでいた日常を壊すもの。

 

【どうして嬉しそうにする? 人間ってのはこういうときは驚くんじゃないのか?】

 

 いけない、と心のどこかで理解しながらも口が笑みを形作るのを止められない。

 彼女の目の前にあるのははっきりとした『異常』であった。しかし、わかりきっていたように、初めから知ってような態度で否定することも逃げることもしない。

 

「驚いているよ。とっても」

 

 自分だけの秘密。それを手に取れば決定的に何かが変わるもの。少女はずっとそれを待ち望んでいた。

 

「こんにちは、白鳩さん」

 

 窓を開けると白鳩を迎え入れる。

 そこにいつも何かに怯えていた様子はなくなっていた。それはとても自然で解放された笑顔だった。


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