5. 生まれて消えた花の名前をボクは知らない
どこかの屋敷の裏庭にいた。
そこには一人の少女と自分の姿がある。
彼女が広げた手の平の上になつかしい花がゆれていた。
そうして、目の前の光景が夢だとわかる。
その花はそれを作り出した少女の心そのものだったのかもしれない。あの日以来、その奇跡を見ることはなくなっていた。
「ん…………」
ミディウムは重たいまぶたを開きながら顔を上げた。
うたた寝をしていたらしい。
体の中に残る気だるさを追い払うために深呼吸をすると、古い本の匂いが鼻を刺激した。かび臭く停滞した匂いはなぜか安心する。
時刻はすでに夕方に近いようで、カーテンの隙間から朱い光が遠慮がちに差し込む。
本の保存のためにカーテンが開かれることはなく、室内はいつでも薄暗い。陰気な場所であるここに、あまり好んで立ち寄る人間が少ない。
わずらわしい人間関係もここにはない。この図書室ではお互いに干渉することはめったにない。
貴族ばかりのこの学校に入ってから、学校の図書室は心を落ち着かせる場所であった。
机を立ち上がろうとしたとき、図書室の気だるい空気の乱れを感じた。
静まった空気の中で、乱れの元はすぐに見つかった。
本棚が並ぶ細長い空間の中、数名の女子生徒の姿があった。周囲から見れば死角になっている。足を踏み入れて、暗がりに目を向けなければまず分からない位置だった。
「―――何をしているのですか?」
隠れて何かをするに最適な場所でしていることといえば、いくつか予想がつく。
人数は五人、本棚を背に追い詰められた一人を囲むように四人が立ちふさがっている。
その立ち位置から五人の関係をおおよそ察する。
さらには、四人の女子生徒の足元では叩き落されたノートが踏みにじられ、筆箱の中身が散乱していた。こうまでわかりやすい状況はなかった。
少女達が一人をのぞいて一斉にミディウムを振り向いた。彼女らの共通点は、全員が彼とちがうクラスにいる人間ということだった。
「これはハイライン様、ごきげんよう。このような場所で奇遇ですね。ここは私達のような凡人の場所だと思っていました。学年一優秀なあなたが勉強していては、私達ではとうてい追いつけませんわ」
真ん中に立つ長身の女子生徒が最初に話しかける。続くように女子生徒たちも愛想笑いをうかべる。
「何をしているのかと聞いたのですが?」
ミディウムは静かな口調で繰り返す。
もちろん、それは質問ではなかった。ただの確認のためのもの。この場にただよう空気が何なのか彼はよく知っていたから。
「ハイライン様のお手を煩わせるようなことではありませんわ」
「質問には答えられない行為しているというわけですね?」
一歩前に出た長身の女性生徒の言葉にかぶせるように、ミディウムは強い口調で言った。
前にだしたはずの脚が後ろに下がっていた。その事実に気づき彼女は顔を強張らせるが、すぐに口元に微笑をはりつける。
「級友の勉強を手伝ってさしあげていたところですの。落ちこぼれを放置するのはクラス全体の責任ですから」
開き直る女子生徒に、ミディウムは内心でため息をはく。黙る彼を勘違いして、女子生徒は更に勝ち誇った笑みを浮かべる。
「この者は私達の学び舎にいるにはふさわしくありません。ですから、立ち振る舞いを教えてあげていたのですわ」
得意気に語りだす女子生徒の中で、自分の行いは正当化されているのだろう。本当は誰だっていい。たまたま目に付いて、反抗しなそうな都合のいい生贄でしかない。
ミディウムは本棚を背にしてうつむく女子生徒に目をむける。伸ばした黒髪が目元を隠し、その表情は見えない。
そのおどおどとした仕草をする彼女は、ちょうどいい獲物だったのだろう。
自分より弱い人間を踏みつけて、自分が高い位置にいるように錯覚する。誰にでも当てはまる適当な欠点をあげつらって、罵倒を繰り返す。そうすると、萎縮して反抗する気力も失せていく。
「彼女はスペリア嬢の姉妹です。まずは彼女に話を通すのが筋では? それとも彼女からの指示ですか」
これ以上丁寧な口調を使うのにも限界がきそうなりながらも、ミディウムは言葉を重ねた。
「なにを、いっているのでしょうか……」
女性生徒たちの顔が一斉に強張った。特に、つらつらと自分達がいかに正しいかを語っていた長身の女性生徒は頬をひきつらせていた。
自己欺瞞すら満足にできていない。
ハイライン家の名前を継ぐということ。王国でも有数の名家の名を背負うということ。そのためには、自らのなしたことが正義とすることも必要となる。相手の事情を知りながらもこちらの道理を押し通す。
この程度で正義を語るなど、見苦しいというほかなかった。
「家族でも教師でもない、同級生でしかないあなたがたのそれはただの『おせっかい』ですよ。何様のつもりですか?」
「な、なんですの! これはこいつのためよ! 人にとやかくいわれる筋合いはありません。あなたこそ何様よ!」
さっき聞いた言葉をそのまま投げ返してくる様は滑稽でしかなかった。
ミディウムはもはや取り合うことなく、床におちたノートや筆箱の中身を手早く集める。そのまま立ち上がると、持ち主に押し付けるように手渡した。
「ほら、行くよ」
「え? あの……」
驚いた声を上げるが、ミディウムが半ば強引に手を引っ張って連れ出していく。
「ま、待ちなさいよ! なに勝手に連れ出してんのよ! いくらスペリアさんの婚約者だからといって勝手は許しません!」
本棚の間を長身が立ちふさがる。面目を潰された怒りで顔を赤く染めながらミディウムを睨みつける。
他の女子生徒はただ尻馬にのっていただけであって、自分から動き出す気力もなく戸惑ったように立ち尽くしている。
「邪魔だ……」
苛立ちのまま尖った口調で睨みつける。
彼にとって大勢からの悪意などなれたものだった。たかだか一人の女子生徒の視線などないも同然であった。
彼女らがしていた『いじめ』はただお手軽に優越感を味わうためのものでしかない。それは殺しに至る程の強い感情ではなかった。
「……なっ、あっ」
その視線の奥に潜むものを感じると、女子生徒はまるで理解不能の化け物を見たように身を引いた。
「どいてくれますか? 約束があるもので」
ミディウムはさっきまでのやりとりを忘れたように、にっこりと朗らかな笑みをうかべた。その変わり様を一層不気味に感じて、女子生徒はよろめくように道を空けた。
「どうも」
小さく会釈すると、少女の手を引いて狭い本棚の間から出る。ミディウムが背中を向けて遠ざかったことで圧迫が緩んだ彼女達は、つぎつぎに侮蔑の言葉を聞こえよがしに口にする。
「成績がいいからっていい気になってるんじゃないの。調子に乗ってる割には自分の婚約者とは不仲らしいじゃない」
「きっとスペリアさんの妹を助けてそれで媚びを売ろうとしているのよ。男のくせに情けないわね」
もちろん、それは負け惜しみにすぎなかった。自分たちが気圧されて道を譲ってしまい、傷つけられたプライドを必死で立て直そうとする行為でしかなかった。
だが、助けられた女子生徒にとってはそうではなかった。
「……申し訳ありません」
朱色に染められた廊下に出たところで、少女は小さな声で謝罪を口にした。ミディウムは引っ張っていた手を離し、謝罪の意味がわからずに戸惑った表情で彼女を見る。
「出すぎたマネをしたかな。それに手も強くにぎって痛かっただろう」
「……いいえ、お手間をかけてしまい申し訳ありませんでした」
頭を深く下げたまま顔をあげようとしない。おそらく、彼がいいというまで少女はずっとこの姿勢のままだろう。その様子は愚鈍さを感じさせ、見るものにいら立ちを与えるのかもしれない。
「イフェリア、この学園では同じ生徒同士だ。それに、きみもフェルディナント家のひとりなのだから畏まる必要なんてない。スペリアの妹であるキミとの関係も大事にしたいと思っている」
ミディウムが言葉を重ねるとようやく顔を上げた。伸ばした前髪の隙間から怖がるように視線を向けている。
「もしも彼女に遠慮しているのなら、スペリアにはボクの方から―――」
「だ、大丈夫です!」
急に声を大きくしたイフェリアは自分を見るミディウムの表情に気がつく。再び視線から逃げるようにうつむいて前髪で表情を隠す。
「……わたしなど、気になさらなくて問題ありません」
また俯くイフェリアにミディウムは気まずそうにする。これ以上は余計だと彼女との話を終えて別れた。
歩きながら眉間に皺が寄っていく。
ミディウムにとっても、さきほどの行動はおせっかいだとわかっていた。これで彼女の環境が改善されるわけがない。虐げるものとされる側の構造は彼にとってなじみのものであった。
「最低だな……」
呟いて、自分の唇を噛んだ。
結局は自分の感情を優先しただけの自己満足だった。その言葉には、自身の過ちを正すことなく保身を優先していることも含めていた。
後ろを振り向くと元の位置にまだ彼女はいた。その視線はミディウムに向けられたままだった。そこにこめられた感情はわからない。
もしかしたら、それは恨みであっても文句は言えないと思うのであった。




