4. わたしたちがまた会えるだなんて思っていた
イフェリアにとって彼に会う時間はいつもなら待ち遠しいものだった。この日は彼の顔をまともに見ることができなかった。
「……ごめんなさい、貴重な本なのに」
「そっか、しょうがないよ。きっとそのうち見つかるよ」
ためらいながら彼に本をなくしたことを告白すると、簡単に許してくれた。いつも優しい彼がどんな風に怒るのか、身体を硬くしていたイフェリアにとって彼の態度は拍子抜けだった。
「……いいの?」
「ボクとしては、ちゃんと話してくれたってことがうれしいんだ。人によっては隠したり他人のせいにしたりするからね。そういういうのってとても悲しくなるから」
「ミディウムくんは嘘はキライ?」
「うん、キライだな。約束を破るやつは信用できないって父上も言ってる。スペリアはちゃんと話してくれるから、とてもいい子だね」
胸がズキリと痛んだ。
彼はすっかり嘘を信じていた。
「今日はおしゃべりしようか。スペリアのことをもっと知りたいな」
「……え、うん」
自分のことだと気づくのに時間がかかり、返事をするのが遅れる。でもよかったと安心する。自分のことを話すより姉のことを話すほうが楽しいだろう。
「たとえば、兄弟とかはいるの?」
「……いないよ。一人だけだからお父さんもお母さんもとても大事にしてくれているよ」
三人で楽しく暮らしていているということ。父はとても優しくて、誕生日にはいつもステキな色のお洋服を贈ってくれる。その服は派手で本当はもう少し落ち着いた大人っぽい色の方がいいのだけれど、それでもやっぱり嬉しいとスペリアは言っていた。
大きくなると部屋をひとつもらって、そこには母からもらったぬいぐるみがたくさん並べられている。でも、たまに寂しくなって両親の寝室にいくと、手をにぎりながら寝ることもある。
自分が経験していない、およそありえないことばかりを並べていった。
「そっか。ステキなご両親だね」
感動したようにつぶやくミディウムを見ながら、そのウソが本当だったらいいのにと思った。
今度は彼のことを聞いた。
侯爵家であるミディウムの両親はとても厳しいらしく、跡継ぎとして毎日勉強事で大変らしい。
「やんなっちゃうよね」
ため息を吐く彼を見ながら、本当のことをさとられたらいけないなと思った。ウソを考えることに頭が悲鳴を上げはじめたころ、なんとか話題を変えることにした。
「えっとね、新しい魔法できたの」
「ほんとに? ぜひみせて!!」
「あんまりすごいのじゃなくて地味だけど。でもちょっとだけ、自信作」
期待のまなざしで見つめてくる彼の前で両手をお皿の形にする。
【咲いて】
地の魔法から与えられた生命に根が生え、水の魔法によって成長し、火の魔法が暖かい光を与える。そして風の魔法が葉を揺らした。
日の差さない陰が覆う場所で、イフェリアの小さな手の平の上に一輪の花が咲いた。
「えっと、どうかな……」
無言の彼に不安になって声をかけた。すると、彼はおそるおそると言った様子で指先でちょんと花びらをつついた。
「すごい。本物だ! どうしてこんなことができるんだい。キミの魔法はなんでもできちゃえるんだな」
「ミディウムくんもできるようになるよ。わたしが教えるから」
「できるかなぁ。きっと父上でも難しいかもしれないよ」
そうすれば、また彼がここに来てくれる。そんな幼い思惑だったが、それはイフェリアが初めて持った願いであった。もっと彼と話していたい。もっといっしょにいたい。
その後もいろいろとつらいことがあったが、一週間おきぐらいにやってくる彼に魔法を教え続けた。
たいていもう少しで成功しそうだというところで、彼は魔法を成功させることができなかった。
魔法を教えるというのが口実だったけれど、そういうものがなかったら彼とは会ってはいけない気がしていた。だから、内心で彼の失敗を喜んでいた。
彼はイフェリアにとって生まれてはじめてほっとできる人だった。そんな彼を失うことが怖かった。
「ねえ、またあの魔法見せてよ」
「……だめ」
わがままというわけではないけれど、彼からこうしてせがまれることが増えた。
「どうして? すごくきれいだから見てたいんだ」
「だ、だって……」
最近、彼の視線を感じるようになっていた。お手本として魔法を編んで見せているとき、その視線は手元から自分の顔に向いていることが増えていた。
「じゃあさ、もしも、魔法を成功させたら一つお願いを聞いてほしいんだ」
どきりと胸がはねる。魔法が成功したら、彼に会う口実がなくなるとイフェリアは不安になる。
「こんな風にずっとつき合わせてからいうのもおかしいけれど、やっぱりキミのお父上にも話さなきゃいけないことだから。ちゃんと話して、ちゃんとキミと一緒にいられるようにって」
彼はいままで見たことがないぐらい緊張した面持ちでまっすぐに視線を向けていた。
きっとそれは彼にとってとても大切なことなのだろう。だから―――
「……はい」
うなずいた。
「スペリア、約束するよ。次に来たとき必ずキミの前で魔法を成功させてみせる」
姉の名前を呼びながら彼女の手をぎゅっとにぎる。
そして、次に来たとき彼は魔法を成功させた。
屋敷の中がにわかに騒がしくなった。
いつもであれば奥様に怒られるからとひかえていた使用人たちもおしゃべりに夢中である。
イフェリア自身も母と目が合っても何もされなかった。
「まさか侯爵家が男爵家のうちに婚約を申し出てくるなんてね。旦那様も奥様も舞い上がってらっしゃるわ」
「ご子息が足しげく通ってらしたけれど、そういうことだったようね」
一人廊下を歩くイフェリアに目をむけるものはいない。そして、いやでもその耳にはいるのは、姉のスペリアの婚約だった。
台所の勝手口から外にでる。
よく晴れた青空の下、庭には連れ立って歩く二人の姿が見えた。
彼の隣にいるのは自分と同じ顔の姉だった。
いつもより立派な服をきて緊張したミディウムを勲章のように見せ付けていく。
イフェリアは日陰に引っ込む。
この日も誰にも見つからないように庭の隅でじっとしていた。
地面に視線を落とす彼女を一羽の白鳩が屋根から見下ろしていた。