22. それは君を照らすための花
ミディウム・ハイラインとして積み重ねてきた15年間の人生の記憶。それを尊いと愛おしいと思うなら、こんな場所に来るべきではなかった。
王国の精鋭たる魔法官の部隊がたった一人の少女によって地を這っている。絶対の存在だと思っていた父サーフェスが子供のようにぶら下げられている。
わかっていた。自分にできることなど何もないことは理解できていた。
「ミディウムくん、わたしはあなたに思い知らせにきたんだよ。あなたが襲われるまで待っていたあなたのお父さんのこと。あなたを囮に使ったことも知っているの?」
楽しげに言いながらイフェリアはゆっくりと近づく。彼女の背中から蔓が何本も垂れて、そのうちの一本がミディウムに近づく。
「ちがう、ボクがキミを待っていたんだ」
「またウソをつくのね。終わりにしましょう。あなたにきれいなお花をあげるわ」
蔓に巻き取られた少年の体が持ち上げられる。少女の小さな手がかざされた。その表情はとっておきの宝物を渡すような笑顔だった。
「ミディウム! この愚か者がっ!」
それは初めて聞く父の焦った声だった。唐突にイフェリアの顔を炎の舌が舐めた。
「ウケアァァァァっ!!」
支えを失ったサーフェスの体が地面に転がる。その足は黒く焦げている。それは恐ろしく乱暴な方法であった。躊躇いなく発動させた火炎の魔法が、蔓と一緒に自身の足を焼いていた。
その予想外の行動は怪物を動揺させ、捕らえていたミディウムの体を解き放つ。
「……作戦を続行する。無事な者は態勢を整えよ」
苦痛をこらえて立ち上がるが、もうまともに走り回れる状態ではなかった。自由になったミディウムが慌てて駆け寄る。
「父上!」
「逃げろと言ったはずだ……」
いつもの冷徹な仮面は痛みによって崩れていた。ミディウムは父に連れてこの場を離れようとする。
「いずれここは―――」
肩を貸して歩き出そうとしとき、父の手によって突き飛ばされる。倒れこむ彼の視界に強靭な蔓の一撃によって大きく吹き飛ばされる父の姿が見えた。
「邪魔、しないで」
イフェリアが憎しみの目で、転倒したサーフェスを今しも手にかけようとしたときだった。
地面から突如として花が生える。開いた花弁が魔法を防いだ。威力を抑えて手数を増やした魔法が、まだ動ける魔法官たちの杖から撒き散らされていた。
「どうして、どうしてっ! ううううるさいのよおおおおお!」
半狂乱になったイフェリアの蔦がでたらめに地面を殴打する。
倒れたミディウムの頭の横を重量のあるものが通り抜ける音がした。飛び散る土くれが頬をかすめる。
遠く離れたサーフェスは息子を助けようと体を起こそうとするが、衝撃が残る体は言うことをきかず指先が地面を掻いた。
「ミディウム、だめだ。早く逃げろ!」
部下によって助け起こされた父親が叫んでいた。
悲鳴のような父親の声は初めて聞くものだった。
そのとき、変化は唐突に訪れた。
最初は違和感だけだった。ぴりぴりと肌に痛みを感じ始めたとき、複数の蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。
「ハイライン卿! 時間です、即時撤退を!」
「待て! 息子がまだだ!」
「間に合いません、どうかご容赦を!」
見計らったように駆けつけた兵士たちが侯爵家の庭から脱出していく。
無遠慮な侵入者たちは足跡を残したきりいなくなり、静寂が戻る。
さきほどまで緑の芝に覆われていた庭が真っ白に変わっている。
途中からへし折られた庭木も、砕かれた煉瓦の破片も全てが純白に塗りつぶされている。
「さむい……」
先ほどまでの狂乱がうそのように、イフェリアはただじっと白に染まっていく世界を眺めていた。
ここにいてはまずい。それを頭で理解しながら身体はまったく動かない。ミディウムは急激に奪われていく体温と共に意識もぼやけていくのを感じていた。
「イフェリア……」
このとき、どうして彼女の名前を呼んだのかはわからない。こちらを向いた彼女の顔を見たのが最後に、意識が途切れる。
そして―――
*
初めて友達ができた。
ふとした一言を聞き逃さず拾ってくれた。
きっと、あなたがいてくれなかったらわたしはダメになっていた。そのときを変えたくなくてウソをつき続けた。
学校でもだれかが言った一言にみんなが笑う中、あなたはつらそうにしていた。
素直な心がどんなにキレイか、あなたの横顔を見ていた。
ああ、ミディウム・ハイライン。
つまらない表面的な感情なんて無視してしまえば、自分はやっぱりこの少年が好きだったんだってわかる。
自分が行きたくて行けなかった場所にたどり着いた彼を尊敬していた。自分の足で進む彼の背中がまぶしかった。
わたしが一番欲しいと思っている言葉じゃなくて、わたしに一番必要な言葉を考えてくれた。もうとっくに彼の言っていることが正しいことはわかっていた。
向き合えず目をそらしていたわたしにとって、それはもうすべて手遅れの感情に過ぎない。もう多くのことは望んだりできない。
生まれてきた、意味。
生まれてきた、価値。
どこまでも迷うことが答えそのものだった。
わたしの痛みも、わたしの意志も、わたしの決断も、すべてわたしのものだった。
ぼやけた意識で白鳩と黒髪の少女がこちらを見ている。どこまでも自由に飛べる翼。なりたかった自分。ほしいものを頭に描いては無理だと諦めていた。
もう残っている願いはたった一つだけ、それを許してくれますか……?
【花開け】
言えないままずっと閉じていた蕾がようやくほころんでいった。
*
ミディウムが目を覚ますと、音も衝撃もなく視界が真っ暗になっていた。
手を伸ばすと何かに触れた。強く押すとヒビが入り崩れていった。薄い何かは十重二重に重ねられ、ようやく隙間から光が入り込んだ。
外に出ると大量の白煙が発生して視界を埋める。冷え切った気温は肌を切りつけるようだった。
さきほどまで自分がいたものを見る。それは繭のようであった。何重にも花弁を重ねてミディウムの守っていたそれは、ミディウムが這い出た亀裂から砕け散っていく。
ガラスのような涼やかな音が静止した世界に響く。
やがて、降り注ぐ陽の光が靄をゆっくりと四方に拡散させていった。
「あ―――」
その後に残ったのは白く固まった少女の像だった。
その姿は霜に覆われ、脈動の一つも感じさせずミディウムの前で静止していた。
その姿は美しく、そして哀しい、氷の華。
白に染められた世界できしきしと氷が擦れる音が聞こえた。それが彼女の立てる音だと知ると、ミディウムは迷うことなく近づいた。そうしなければいけない気がしたから。
「あ―――あ―――ミディウム……くん……」
凍りついた口が動いた。
「イフェリア!?」
血の流れも生きている肉体の柔軟性もない完全に凍結して固まった彼女が動くはずはなかった。
「あのね……ミディウムくん」
それでも、何かを伝えようと必死に表情を動かしていた。そのたびに細かなヒビが広がっていく。
「あなたがどんな風に思っていたかはわからないけれど、でも……あなたが優しくしてくれたのは……本当に、ほんとうに……うれしかった」
「そんなこと言ってもらえる資格なんて、ボクには……ない……」
「それでも、ずっと、ずっと……いいたかったことがあったの……。ありがとう、あなたに―――」
おそらく笑顔を浮かべようとしたのだろう。
終わりは唐突だった。
ビシリと深く亀裂の入った決定的な音がした。
広がった亀裂が氷結した身体を崩していく。
そして、イフェリア・フェルディナントの体は無数の破片になって散っていった。
ミディウムは視線を落としたままゆっくりと近づく。
かがみこむと陽の光をうけてきらめく破片の一つをとった。
それを両手で包み込むと指先と手の平が熱したように痛んだ。
「……イフェリア」
痛みを刻み込むように握り続けた。
そして、ミディウム・ハイラインはイフェリア・フェルディナントを思い出しながら静かに泣いた。




