21. 憎しみも哀しみも頬張ってしまおう
いたたまれない気持ちを抱いてミディウムは屋敷の自室でベッドに転がっていた。
もう、彼にできることは何もない。事情聴取で知っていることを話すと、それで彼は解放された。
待つことしかできないことが歯がゆい。無力感が彼の脳裏で渦巻いている。
「くそっ……」
全身が腐りおちそうな自己嫌悪と絶望感の中、吐き捨てるように呟くとベッドから体を起こす。
じっとしていると余計に気が滅入る。だけど何をすればいいかなどわからないままベッドを降りた。
ただ、彼は一つの確信を根拠にその時を待っていた
イフェリア・フェルディナントは彼女の父親を殺害し、そのままいじめの主犯格を標的としていった。次に来る場所、それは―――
「……来たか?」
ふと眉をしかめる。
静か過ぎる。
使用人が廊下を歩く音も、通りを走る馬車の音もしない。廊下に出るが誰の姿はなかった。
不自然な静寂の中、彼の足は玄関に向かっていた。その先に誰がいるのか知っているように。
「これは……」
扉を開いた彼は予想外の光景に呆然と立ち尽くす。
侯爵家の別宅は王都の中でも広い庭を持っていた。
外に出てしまえば視界が開け、庭師の手入れが行き届いた芝生の庭が広がっているはずだった。
玄関先に見慣れた風景など何もない。
目の前にはたくさんの花が狂い咲いていた。あらゆる季節を越えた楽園の中央に一人の少女が立っていた。
「……イフェ……リア……」
一日前に見たときとほぼ変わらない彼女がそこにいた。丸みを帯びて幼さを感じさせるその顔をとてもなつかしいと思えた。
よかった。
濁った意識の中でミディウムはそう思った。
イフェリアが笑っている。とても楽しそうに。
それは幼い頃に見た笑顔と似ていた。
きっと彼女はようやくわかってくれたのだ。世界をひっくり返す力なんてなくても、自分の意志で歩いていけることを。ゆっくりでもいいから自分を変えていけるのだと、わかってくれた。そのためなら、ミディウムは彼女にいくらでも協力しようと思った。
「こんにちは、ミディウムくん」
イフェリアは笑顔のまま言った。だからミディウムも笑顔で返そうとした。
分かっている。これはもはやイフェリア・フェルディナントという少女ではない。
なぜなら彼女は腰から無数の植物の蔓を生やしたりしていない。長かった黒髪ではなく、頭から白い花弁をのばしたりしていない。
分かっていた。だから見たくなかった。もはや、そこにはいるのは奇怪な怪物であった。もう、どこにもイフェリアという少女はこの世界のどこにも存在していなかった。
それでも名前を呼ぶと彼女はうれしそうに笑った。
「よかった。あなただけがわたしの名前を呼んでくれる。だから、言っておきたいことを言いにきたの」
誰よりも恐ろしく誰よりも美しい怪物が人の言葉を発する。
「あなたの言ったことなんてぜーんぶ、きれいごと」
怪物は嘲笑する口調でつづける。
「あなたは最初からわたしのいるところとは違ったとこにいたの。上から見下ろして笑っていたの。わたしが情けなくて、みじめったらしくて、うそつきな子だから。あなたはそんなわたしを見て、自分が安全な場所にいるって安心していたの」
「イフェリア……、どうして、どうしてっ! そんな風にしか世界を見ることができなかったんだ!」
「そうやって優しいふりをしてわたしを笑っていたのね。姉さんがわたしにひどいことをするのも、他の子がいじめてくるのもあなたの差し金」
その言動は支離滅裂だった。
だけど、それでもミディウムには彼女の言いたいことが理解できた。
それはかつて自分も考えていたことだった。どうしようもないどん底で、自分を慰めるために憎む相手を探した。
弱い自分を嫌って強い力を欲したイフェリア。
自分を受け入れてくれない世界の全てを憎んだイフェリア。
彼女の罪はどこなのだろうか。求めてもわからない答えに対して、彼女は考えを放棄してしまった。
「どうして、キミは……」
「きっと、それもきれいごとね」
十数本ある蔓の一本がミディウムの体をからめとろうとする。そこにある力なら少年の体を引きちぎることなどたやすかった。
死そのものであるその蔓を、ミディウムはただ呆然と眺めるしかなかった。
「対象が行動を開始。展開せよ。連携は密に、決して離れるな」
静かな声と共に足音がイフェリアを囲む。
振り向こうとした怪物の体に向けて斜めに一線が走った。
切り飛ばされた蔓が地面に落ち生き物のように体をくねらせる。
「父上……」
「邪魔だ。この場から去れ」
ひどく間の抜けた声を出すミディウムの前に、魔法官であるサーフェスが杖を構えていた。
ミディウムはなかば麻痺している頭でイフェリアの注意が変わったのを感じた。助かったという事実よりも、タイミングよく現れた父の存在に思考がもっていかれていた。
「しつこいわねぇ、ほんとうにしつこい」
斬り飛ばされた蔓の断面が盛り上がり、欠損した部分を補っていく。数秒後には完全にもとの姿を取り戻し、手近なものから襲い掛かろうとする。
「わたしを殺すの? ねえ、殺すの? あははっ、じゃあわたしもころすころすころすっ」
怪物が手を振り上げる。
兵士達の足元の地面が盛り上がる。急成長する植物の花弁が獣の顎のように包み込もうとするが、誰も取り乱す様子はない。
「切り取れ!」
指揮の声が響く。
地面に刃物を通したような一線が通り、花を根元から刈り取る。
魔法官たちはめまぐるしく位置をかえて攻撃を凌いでいく。
たとえおとぎ話のような魔法使いであっても、その思考の動きとパターンを読み取ればスキが生まれる。
ここに来るまで何度かの小競り合いによって、少女の攻撃方法は判明していた。
狙って、絡み取り、搾り取る。
戦いなれていない少女の動きは単純なものであった。
彼女はいっこうに思い通りにいかない作業ににいら立ち始めていた。
そうすれば、攻撃方法を変えようとする。
隙間なく小さな花を咲かせ続けていたが、一瞬引きつるように大きく手を振りかぶろうとした。
「今だ、放てっ!」
ようやく訪れた隙を強引にこじ開ける。
生命の命を吸い取る花が咲き乱れた世界を焼き払う火弾が放たれた。
爆発とともに散った熱気とともにひらひらと花弁が宙を舞う。まるで舞台の上のような花吹雪の中、怪物を守るように木の幹が屹立していた。
「ばかな……」
完璧ともいえるタイミングを防がれたことで、一体の生き物のように統制の取れていた魔法官たちに動揺が走る。
「態勢を整えよ。やつをこの場に足止めすることだけを考えよ!」
指揮官であるサーフェスがまずいと思ったときにはもう遅かった。右足首に軟体が巻きついたのはそのときだった。
「なっ……!?」
予期せぬ感触にうろたえた瞬間、柔軟で強靭なそれは左足にも絡みつく。なす術もなく地面へと引きずり倒された。
身をよじり、自らをからめとる敵に杖の向けようとする。しかし、杖を握る右手もまた絡み付く圧力に縛られた。
振りほどこうとするが、体を拘束する数はどんどんと増えていく。
「イフェリア……」
この期に及んでもイフェリアは笑っていた。
周囲でうめき声を上げる魔法官たちのことも。
その手にぶら下げた彼の父親さえも何かの冗談と言わんばかりに。




