カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(7)
それから1時間ほど、二人は竹刀を打ち合っていた。
(なるほど……)
確かに柿留しょうは力強かった。
正面から振り下ろす一撃を、柿留しょうは鋭く横へはね飛ばし、しかる後に反撃の一打を入れてくる。
(飲み込みが良いのか。資料整理をしているだけあって、個々の攻撃への対応が上手い)
風切あやかが高山はるかから聞いた話では、柿留しょうは剣術の本を護山家の役場から借りては読んでいるという。ここまでの柿留しょうの動きも風切あやかが見たことのあるものだった。
(中々良く出来ているが……しかしな)
はぁ……と、風切あやかが小さく唸り、大きく竹刀を振り上げると、
ばちん
と火花が散った。
柿留しょうの竹刀がくるくると円を描き宙へと舞う。
(どうにも甘い)
そこはやはり実力が違うのだ。つい最近から剣術を始めた柿留しょうと数年以上も前から修行を通し、稽古に励んでいる風切あやかでは、怪我からの復帰というハンデをもってしても大きな差がある。
竹刀を飛ばされ、あっと驚いたままの表情をしている柿留しょうへ、
「勝負は勝負」
風切あやかは、正面から竹刀を打ち込んだ。まことに鮮やかな一撃である。
柿留しょうはそのまま、後ろへ尻餅をつく形で倒れこんでしまった。
「うわぁ」
思わず目を瞑り、声を上げて手を前へ出した。
宙へ投げ出された両手は、何かを掴む訳でもなく、ただただ伸びているだけである。
それを竹刀でペシリと風切あやかが叩くと、ぱっと柿留しょうが目を開いた。
「いてて、稽古じゃなかったんですかぁ」
「勝負だよ。勝負」
「これだから、あやかさんは」
「なんだよ……」
柿留しょうは体を起こした。それを風切あやかが見下ろしている。その表情は何だか困ったように暗く、そして浮いていない。
(あっ……)
これには柿留しょうも困った。
別に怒っている訳でもなく、嫌味で言ったのでもなかった。ただ少しでも本気を出して打ち込んできた風切あやかに、
「すぐ本気を出すんだから……」
と、負け惜しみの一つを言ってやりたかっただけなのである。
それがこのようにしおらしくして、
「なんだよ……」
と返されたのだから、柿留しょうは反応に困ったのだ。
「ん、いや、なんでもありませんよっ」
あたふたと目を泳がせながら、言葉を探す柿留しょうである。しかし、それでいて、出すべき言葉は浮かんでは来なかった。
そんな柿留しょうの返事を待たずして、
「しょうは強くなってるよ」
「えっ」
風切あやかが口を開いた。
「強いから勝負になる。私も本気でやらないと、本気でやってるしょうに失礼じゃないか」
「あっ……」
ありがとうございます。と言いたかったが声には出ない。風切あやかの意外な話に、柿留しょうの体は熱を持ち始めていて、どうにも平静ではいられない。
「どうだ、立てるか?」
風切あやかが手を差し出した。
「…………はい」
なんとかそれを取り、柿留しょうは立ち上がった。思っていたよりも風切あやかの手は暖かい。立ち上がると、一迅の風が、この稽古場を通り抜けた。
「風、すずしいなぁ」
「……あ、そうだな」
きょとんとした顔で風切あやかが柿留しょうを見ている。とても気持ちの良い風であった。それを感じていると、
(不思議だな)
何だか気持ちが落ち着いてきた。そうして初めて、
(あやかさんが僕のことを誉めてくれた……?)
柿留しょうはそれに気付いたのだ。そう思うとすぐに、
「あ、あやかさん!!」
「分かってる」
「ああ、ありが……」
「そこにいる奴、出て来い。変な殺気を出しすぎだ」
「へっ?」
今度は柿留しょうの方が呆気に取られる番であった。どういう状況かは分からない。分からないが、風切あやかは何者かに向けて声をかけていることは、辛うじて柿留しょうには察知できた。
「…………!!」
風切あやかの視線の先には青々とした茂みがあり、そこには木がうっすらと立っている。
無論、柿留しょうには、この状況は単なる風景にしか見えていない。敢えて言うならば、
「あやかさんがああ言ったから」
それとなく不気味には見える程度であった。あの木のあたりから重苦しいものが漂い、発せられているのが、言われてみれば感じられるのだ。
とにかく、柿留しょうには見えていない、殆ど感じられないものが、風切あやかには、
「見えている……」
全て分かっているのである。
「逃げる気もないのだろう?さっさと出て来いよ」
風切あやかが見るに、気の影に隠れている何者かはそれを看破されたにも拘わらず、依然として殺気を出し続けている。つまり、
(退くつもりがない。最初から戦いに来ている!)
という訳なのだ。
「おい、しょう」
風切あやかは正面を向きつつ小声で柿留しょうへ呼びかけた。
「……はい?」
「私が合図を、大きく声を上げたら、すぐにはるか様の元へ逃げろ」
「えっ、それじゃあやかさんはっ」
「あいつは退くつもりがない。私が食い止めている間に、はるか様へ知らせ、応援を呼んでくるんだ」
「でも……」
柿留しょうの胸が異様な鼓動と音を立てて高鳴っている。
(あやかさんはまだ……)
怪我が完治していない、と思っているのだ。実際のところ、柿留しょうの心配とは裏腹に、
(大丈夫)
風切あやかの怪我は殆ど完治し元の状態には戻っている。戻ってはいるのだが、
(あいつを倒す……のはできない。食い止めておくのが精一杯か!)
風切あやかはそう思っているのだ。
怪我の方は問題ない。問題があるとすれば、それはブランクの方だろう。稽古は毎日続けている。だが、刀を構えての実戦からは大きく離れてしまっている風切あやかなのである。
(しかし、あいつが退かない以上はやるしかないんだ……!!)
目が鋭くなる。意気を決すると、風切あやかは大きく息を吸い込んで、
「いけえ!しょう!!」
気合を込めた大声を発し、木陰へと殺到した。さっと腰元から引き抜いた黒刀が夕日を受けて煌めいた。それと同時に、柿留しょうは風切あやかのことを思いつつ、高山はるかが居るであろう護山家の役場へと向けて走り出したのだった。




