森の呼び声とカンフーガール
第三章:森の呼び声とカンフーガール
「今夜は、少し野性味の強いものがあるぞ」
店主の武が、カウンターに静かに置いたのは、独特なラベルの白ワインだった。モノクロで描かれた女性の顔に『KUNG FU GIRL』という文字。リー・リング種の爽やかさと力強さが同居した、アメリカ・ワシントン州の一本だ。
常連の客は、そのモダンなラベルに目を細める。「赤兎馬に白ワイン、それもカンフーガールとは珍しいですね」
「ああ、今日のメインに合わせるなら、こいつのキレが必要だと思ってな」
最初に出されたのは、鉄鍋の中でパチパチとはぜる音を立てる『アヒージョ』だ。ニンニクの香りが立ち上り、オイルの中にはたっぷりの明太子。和と洋が交差する赤兎馬らしい一品に、客はまずワインのグラスを傾けた。キリリと冷えた酸が、オイルのコクを鮮やかに洗い流す。
続いて運ばれてきたのは、自家製の『卵ピザ』。アルミホイルの上で香ばしく焼き上げられた生地の中央には、とろりと溶け出す半熟の卵。黒オリーブのアクセントが、素朴な味わいに奥行きを与えている。
そして、武が満を持して差し出した皿――そこには、深い赤紫色の肉が並んでいた。
『鹿の生ハム』。
「……これ、武さんが?」
「ああ。山で仕留めた鹿だ。猟師仲間と物々交換で手に入れた部位を、時間をかけて吊るしておいた」
客が一切れ、口に運ぶ。
噛みしめるほどに、濃厚な赤身の旨味が広がった。家畜にはない、森の草木を食べて育った動物だけが持つ力強い香気。そこに『カンフーガール』のミネラル感が重なると、不思議なほどに肉の野生味が洗練された旨味へと昇華していく。
「一組限定だからこそ、こういう『命のやり取り』をした食材をゆっくり味わってほしいんだ」
武は自分の分にも少しだけワインを注ぎ、カウンター越しに微笑んだ。
窓の外では、夜の風が木々を揺らしている。
ここは街の片隅でありながら、確かな「森」の息吹を感じさせる場所だった。
一日の終わりに、一組だけの客が、自然の恵みを噛みしめる。
千円という代金では到底測れない、贅沢な時間が更けていった。




