表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/28

母の日の聖餐(せいさん)

第十七章:母の日の聖餐せいさん


五月。裏山の新緑が目に眩しい、母の日。

いつもはひっそりと灯る『赤兎馬』の看板は消えている。代わりに、町内の公民館ホールが、今夜限りの巨大な美食の殿堂へと変貌を遂げていた。


「今日は、母ちゃんと子供はタダだ。好きなだけ食って、笑って帰れ!」


厨房の仕切りを外し、巨大な鉄板と天ぷら鍋を並べた武が吼える。

裏の仕事で手にした数億円という資金の一部は、こうして「町への恩返し」として溶けていく。これこそが、武の真の贅沢だった。


第一幕:芽吹きの天ぷら


まずは、武が自ら山に入り、命懸けで採取してきた春の女王と王様。

『コシアブラ』と『タラの芽』、そして瑞々しい『ウド』の天ぷらだ。


武は巨大な天ぷら鍋の前に立ち、絶妙な温度で次々と揚げていく。

「コシアブラは、この独特の香りと苦味が命だ。衣は極限まで薄く。ウドは穂先を天ぷらに、茎はシャキシャキの酢味噌和えにした」

町内の母たちが、揚げたての山菜を口に運ぶたび、「これこそ春の味ね」と溜息を漏らす。その横で子供たちが、武特製の揚げたて『自家製ポテトチップス』と『ポテトフライ』を頬張っていた。


第二幕:命のジビエ・パレード


続いて、ホールの空気を変えたのは肉の焼ける猛烈な香り。

武が猟師仲間から集め、自らも仕留めたジビエの競演だ。


『鹿の刺身』は、徹底した血抜きにより、マグロの赤身よりも清らかな旨味を湛えている。さらに、低温調理で肉汁を閉じ込めた『ローストディア』と、力強い『ディアステーキ』。

猪は、脂の甘みが際立つ『ローストボア』と、野性味溢れる『ボアステーキ』へ。

会場の奥では、大きな鍋が湯気を立てている。『きじ』と、希少な『ヤマシギ(ベカス)』の鍋だ。

「ヤマシギの内臓まで使ったスープだ。母ちゃんたち、しっかり栄養つけてくれよ」

複雑で深いジビエの出汁が、母たちの身体を芯から解きほぐしていく。


第三幕:蒼き海の至宝


魚料理も一切の妥協はない。

『マグロの中落ち』は、骨の周りの一番旨い部分を客が自らスプーンでこそげ取るスタイル。そして、一頭からわずかしか取れない『カマトロ』と『頬肉』の刺身が皿を彩る。

さらに、脂の乗った『サーモン』は刺身だけでなく、断面が美しい『レアカツ』としても供される。仕上げは、宝石のような『イクラ』をこれでもかと乗せた、極上の『親子丼』だ。


第四幕:聖夜の酒と甘美な締め


ドリンクカウンターには、武がハッキングの合間に世界中から取り寄せた銘酒が並ぶ。

貴婦人のような甘口ワイン、喉を焼き切るような超辛口日本酒、祝祭のシャンパン、そして気合を入れたい母たちのためのテキーラ。


「お父さんたちは千円もらうぞ。その分、今日はしっかり母ちゃんたちの給仕をしてやれ」


武の言葉に、苦笑いしながらも千円札を置く父親たちが、グラスを持ってホールを回る。

宴の最後には、プロ顔負けの『デザートケーキ各種』と、武が自ら練り上げた『和菓子各種』が並び、子供たちの歓喜の声が絶頂に達した。


「……武さん、やりすぎじゃない?」

一人の母親が尋ねる。武は、ハッカーとしての冷徹な顔を微塵も見せず、ただの料理人の笑顔で返した。


「金なんてのは、こうやって使わなきゃただの数字だ。俺の趣味に付き合ってくれてありがとな」


一組限定の『赤兎馬』では決して見ることのできない、数百人の笑顔。

武は、最後に残った超辛口の日本酒を自ら猪口に注ぎ、賑やかなホールを眺めながら静かに乾杯した。

それは、彼が守るべき日常という名の、何物にも代えがたい「報酬」だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ