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婚約破棄の慰謝料は、あなたのお祖母様でお願いします【連載版】  作者: 他力本願寺


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第01話 慰謝料は、あなたのお祖母様でお願いします

「クレア。君との婚約は、今夜をもって破棄する」


 冬の終わりの月曜日の夜。侯爵家王都邸の夜会場に、嫡男ギルバート様の声が響いた。


「君は帳簿や行事にまで口を出し、可愛げがない。契約の違約金である金貨四十枚とは別に、慰謝料として屋敷にある好きなものを一つ贈ろう。宝石でも何でも言いたまえ」


 客の視線が集まる中、私は壁際に立つ七十三歳の先代侯爵夫人を見た。


「では、慰謝料は――あなたのお祖母様でお願いします」


「は? 人を物扱いする冗談か?」


「いいえ、お祖母様を『もらう』のではありません。私の町家で一緒に暮らしませんかと、ご本人をお誘いするだけです」


 断られる覚悟で向き直ると、大奥様エレノア様が軽やかに歩み寄ってきた。


「まあ、クレアさん。あなたの家には、南向きの窓と小さなお庭があるのでしたね?」


「ええ、ございます」


「喜んで! 今すぐ荷造りを始めますわ!」


 エレノア様は誰よりも嬉しそうに微笑み、使用人も呼ばず、自分で荷を選ぶため颯爽と自室へ歩き出した。


「なっ……お祖母様!? なぜ本当に部屋へ戻るのですか!」


 ギルバート様が慌てて背中に声をかけたが、扉の前でエレノア様はくるりと振り返り、綺麗に裾を揺らした。


「冗談ではありませんよ、ギルバート。どれが屋敷の備品でどれが私の私物か、今夜のうちに自分で仕分けておきます。クレアさん、荷物の運び出しは準備もあるでしょうし、明後日の水曜日でもよろしくて?」


「はい。水曜日に迎えに参りますね」


「楽しみだこと。では、皆様ごきげんよう」


 軽やかな足取りで扉の向こうへ消えていく七十三歳の背中は、今夜この会場にいる誰よりも弾んでいた。


 広間には、片手を伸ばしたまま固まった二十四歳のギルバート様だけが間抜けに取り残された。しんとした空気のあと、居合わせた招待客たちの間から、こらえきれないクスクス笑いが次々と漏れる。


「なんだ、大奥様のほうが乗り気じゃないか」


「慰謝料に好きなものをと大見栄を切って、本当にお祖母様に出て行かれるとは」


 さざ波のような失笑に、ギルバート様の耳まで真っ赤に染まっていく。私はその様子を見つめながら、ほんの十数分前の出来事を思い返していた。


 私はクレア・フェルナー、二十三歳の伯爵令嬢だ。母から受け継いだ町家で暮らし、商家の帳簿整理や代筆を請け負っている。


 侯爵ご夫妻が領地にいる間、王都邸を任されているのはギルバート様だった。だが、使用人の勤務簿と給与明細を照合し、春の慈善市の納期を調整していたのは、エレノア様だ。報酬を受け取らず、毎月、毎年。


 夜会が始まる前、私はエレノア様の手元の控えを見て、勤務時間の集計漏れと慈善市の手配の遅れに気づき、ギルバート様に確認を求めた。すると彼は、客の前で私を嘲笑ったのである。


『小銭稼ぎの会計や代筆の癖を侯爵家に持ち込むな! お祖母様の帳簿見直しや行事の連絡など、ただの年寄りの暇つぶしだ。誰にでもできる雑務に価値などない!』と。


 そのとき、エレノア様は目を伏せた。私は以前、お茶の席で町家の話をしたことを思い出した。南向きの窓はあるのか、庭には何を植えているのか。彼女は何度も尋ねてくださった。あんなに眩しそうにしていたのに、今は誰もその目を見ようとしない。私は、あの方だけに聞いてみたくなった。


「ふ、ふざけるなよ、クレア!」


 周囲の笑いに耐えかねたギルバート様が、顔をひきつらせて詰め寄ってきた。


「お祖母様は侯爵家の人間だ! 慰謝料として渡せるわけがないだろう、今の言葉を取り消せ!」


「取り消す必要はございません。あなたが気まぐれに申し出た慰謝料の品物は、宝石一粒たりとも受け取りませんから」


 私は一歩も引かず、まっすぐに彼の目を見返した。


「お支払いいただくのは、契約書にある金貨四十枚だけです。お祖母様の暮らしとは別のお話でしょう。あの方は、あなたの贈り物ではありません」


「ぐっ……! お祖母様がそんな狭い町家で暮らせるものか! すぐに音を上げて戻ってくるに決まっている!」


「どうでしょうか。少なくとも今夜のエレノア様は、この屋敷にいるどの瞬間よりも楽しそうに見えましたけれど」


 ギルバート様が悔しそうに唇を噛む。私はドレスの裾をつまんで浅く一礼した。


「違約金の請求書につきましては、明日改めて書面でお送りいたします。では、ごきげんよう」


 ざわめく夜会場を背に、私は一人で侯爵邸の玄関を出た。


 冬の終わりの冷たい夜風が頬を撫でる。見上げた夜空には白く澄んだ月が浮かび、胸のつかえは不思議と消えていた。


 水曜日までに、空き部屋を整えなくては。屋根の瓦と、二階の暖炉も見てもらおう。


 家に戻って机の引き出しを開けると、古い修繕の見積書があった。隅に記された署名は、レオン・アシュバリー。


 ギルバート様の従兄だ。その姓を見て一度は指が止まったが、私は便箋を取り出した。あの方の仕事まで、同じにしてはいけない。

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