無人の渋谷の町を思う
僕は郵便配達夫だ。
市内の人間がどこに転出したかはPCで調べてすぐに知ることができる。上司は宮古市内の別の場所に引っ越していた。そしてそこは僕が毎日郵便配達をしている区域の、すぐ外にあった。上司の家は白い壁の瀟洒な一軒家だった。傍の道端に大きな広葉樹があって家に涼し気な影を落としていた。郵便を配っていると毎日その上司の家が嫌でも目に入った。人からの借金を踏み倒してこんなところに引っ越していたのかと毎日僕は不快だった。その後、上司から電話があった。
「郵便局の女性職員会を作ることになったから君の奥さんにもグループLINEに入ってほしいんや」と言われた。妙な話だと思ったが僕は妻に伝えることにした。それから件の借金の話になった。物で返してほしいか、金で返してほしいか、と上司は聞いてきた。もちろん金で返してくださいと僕は答えた。すると上司は黙った。一週間後に万年筆とインクが送られて来た。句点が所々付いておらず、誤字がある手紙が添えられていた。僕は文章・手紙のこの種の誤字脱字が我慢できない。推敲も読み返すこともろくにしないで、「こいつにはこの程度の適当な手紙でええやろ」という書き手の本音が透けて見えるからだ。僕は皮肉を込めて、推敲にとり憑かれた作家だったR・カーヴァー氏の小説集をお礼に送った。その後も小さな物品のやり取りが続いた。我々の間には小さな友情が芽生えたかに見えた。だが上司は頑なに借金を返そうとはしなかったし、それどころかLINEで「人間の友情は真珠や。真珠を懐に抱える痛みや苦しみがあるから真珠という美しい物が手に入るんや」と言った。それは僕にはこう聞こえた。「大宮高夫(というのが凡庸な僕の名前だ)は借金のことを懐に入れて痛み苦しめばええんや。人間は苦しむのが当たり前なんやから大宮高夫はこのまま苦しませておけば、こっちは楽して友情というきれいな真珠が手に入るわ」と。その年にその上司から年賀状が届いた。だが僕は返事を出さなかった。そして四月に入ってから長い手紙を上司に書いて送った。それはこの文章で書いた通りの経緯を説明する手紙だった。初対面で一万円貸してくれへんかと言われたことに始まる手紙だ。借金のことは物品を互いにやり取りしたことで無しになったとお考えですか、どうお思いなのか教えてください、と僕は結んだ。すると上司から現金書留が届いて三万円が返された。半透明の紙に「すみませんでした」と書かれていた。それに対して僕はすっきりした気持ちになったから、「もう我々は縁を切りましょう」とLINEを送って手打ちにした。上司は返事を寄越さなかった。その上司が僕の妻と隠れて長い間、不倫をしていたというわけだ。妻が不倫していたのはその程度の男だった。妻がその大阪人のどこを気に入ったのか僕には全く理解できなかった。
妻と離婚してから僕はプロテスタントのクリスチャンになった。イエス・キリストが、離婚が許されるのは婚姻相手が不貞を働いた時のみである、と言ったのを聖書に読んで僕の離婚はどうやら許されるらしいと知った。だがイエスは、金を貸す時には返してもらう気持ちなしで貸し与えなさい、奪う者には与えなさいと言った。その点で僕は悪いクリスチャンだった。僕は上司に貸した金を忘れることなく返済させたから。それに僕は謝罪して来た上司との縁を切った。イエスが『赦しなさい』と言った言葉に反して僕は上司を赦すことが出来なかった。だが僕は上司に感謝している。上司は世の中の人間というものについて身をもって教えてくれたからだ。親と子ですら上手くいかないことが往々にしてある世間で、赤の他人同士が金のやり取りなどして上手くいくはずがないと僕は思った。他人に対しては必ずその人間を選良すること、そこから漏れた他人については自衛を怠らない、ということを僕は教訓として学んだ。
教訓とは――。教訓は無人の渋谷の町を僕に思わせた。僕は想像する。どんな都市にも人通りと車が途絶える一瞬の空隙がある。その瞬間に渋谷という大都市にいることができたらどうか。無人の巨大都市にただ独り。無人の都市に立つことで僕は否応なしに孤独を知ることにもなる。おまえは孤独のまま渋谷を去ることになるよ、と都市が伝える気がする。僕は孤独な離婚を経験した。そこには教訓が一つくらいはあるかもしれない。無人の渋谷の町を象徴的に去る時には――。