韓国料理のトッポギを思う
大工たちが働いている。
大工たちは木枠を使って家のコンクリートの基礎を作った。基礎には鉄筋が入り、床土は土木作業用の機械で打ち固められた。まるで幸せの基礎を造ってくれているかのように見えて彼らの作業は眩しい。その上に香しい杉材の柱が建てられて家の骨組みが出来ていく。
妻と、四十七歳の僕の建築中の家だ。ここは岩手沿岸の田舎だから令和の現在でも一千三百万円ほどで土地付きの新築の家が手に入る。庭には車を二台停められるスペースまであるから、まあ破格の値と言っていいと思う。
「ほら、行くよ」と妻がせっついた。
僕は慌てて停めた車からトートバッグを取り出した。田舎のことだから我々夫婦も気を遣う。今日は栄養ドリンクとおやつを大工連中に持って来た。そして三時の休憩中の大工たちに頭を下げてまわった。よろしくお願いしますと。田舎では本当にこの挨拶のあるなしで家の出来が違ってくる。俳優の故丹波哲郎氏はかつてこの挨拶を欠かしただけでなく、横柄な口調で大工に接したために手抜き工事されて欠陥住宅を宛がわれることになったと聞く。
大工たちと軽い日常会話を交わして我々夫婦は車で帰った。
「次は箒を持って来て床土の掃除をしなきゃいけない。木くずやら鉋くずやらが床下に落ちたまま誰も掃除してない」
妻は帰りの車の中で文句を言った。
妻は三十代半ばで僕より年下だがしっかりしている。家の床下に残された木くずは家が完成したら二度と片付けることはできず一生残ることになる。床下が綺麗だと思って暮らすのとそうでないのでは確かに気持ちが違うだろう。妻の細かな神経は八〇年代の交通課の婦人警官の細かさを僕に連想させた。
僕は家の建築のことは最初から妻に任せ切りだった。家のデザインから外壁の塗装から部屋の壁紙模様まで妻の希望を叶える形で大工が設計した。妻はスーパーでのパート仕事も合わせてとても忙しく、留守がちになった。妻は週末にも大工相手に打ち合わせしなければならなかった。三十代半ばの妻にとっては忙しすぎる日々だったろう。
僕は岩手県、宮古市の郵便局で集配営業課に勤めている。昔は郵便配達といったら楽な仕事の代名詞のようだったが、現在は昔のように気楽ではない。情報のデジタル化で郵便物の量自体が減っているし、人件費を削減するために人員が減らされて一人一人の仕事量が圧倒的に増えた。マラソン選手型の持久力のある体を持っていないとこの仕事は厳しい。
妻は週四のパート仕事で家計を支えてくれている。現在、我々夫婦はアパート暮らしをしている。妻は初めからアパート暮らしを気に入っていなかった。家の新築は妻の強い要望だった。気楽にアパートを借り続けるか、家を買うかの選択があって妻は家を新築することを選んだのだった。
新築完成の日、僕は郵便仕事の休みを取って花束を買い、サプライズでアパートに帰った。音を立てずにドアを開けて、こっそりと妻の背後から現れて驚かす。そのつもりだった。居間にも台所にも妻の姿はなかった。
僕は寝室のドアを開けた。ベッドの上で妻と男が情事に耽っていた。妻と男は裸になって体をからみ合わせていた。逃れようのない、言い訳のしようもない不倫現場だった。相手の男は僕の郵便局での上司だった。
『赦しなさい』と僕の頭にイエス・キリストの声が響いた。僕は驚き固まった妻から目を逸らした。そして後退って寝室のドアを静かに閉じた。なぜ僕はこんな弱腰な態度に出たのだろう。とにかくそのくらい僕は弱い態度を取った。妻の不倫現場で。礼節を守って。僕は花束をその場に落として逃げるように去った。そして翌週には郵便局の仕事を辞めた。
僕はふと韓国料理のトッポギについて思った。初めてトッポギを見た時、何と美味そうな料理かと思った。だが実際に食べてみるとトッポギは異常なまでに辛かった。理想と現実のギャップが大きすぎる、と僕は思う。僕の人生と一緒だ。理想の妻と現実の妻。ギャップが大きすぎて僕はその差を埋めることができない――。