1-7 そして迷宮へ
翌朝。
「おはよぉ……」
サラを起こしにいくと、彼女は眠そうな瞳で部屋から出てきた。
「もしかして朝に弱いのか?」
「ちょっと……」
「ちょっとって感じじゃないけどな……」
まだ体がふらふらしているサラを連れ、宿の食堂へ。
胸元が緩すぎるのは何とかしてほしいところだが、サラならセーフか。
「おばさん、朝食を頼めるか?」
「はいよ」
昔馴染みの店主に声をかけると、好々爺然とした笑みと共に頷かれる。
しばらく待つと、肉と野菜を挟んだオーソドックスなサンドイッチが出てきた。
「わぁ……!」
「そろそろ眠気は覚めたか?」
「うん」
サラも、流石に十分ほど待っていたら眠気は覚めたらしい。
笑顔でサンドイッチを頬張っている。
……放っておいたら俺の分がなくなりそうなので慌てて手をつけた。
塩気がよく効いていて、美味い。
「美味しいね」
「そうだな」
「今日は、迷宮に潜るんだよね?」
「ああ。ひとまず、地下三階層あたりを目標にしてみるか」
それと、後でいろいろと調達しなければならない。
パーティで共用していたものとかあるし、そういったものは当然持ってきていない。
今日の帰りに市場で買い物をするか。
そんなことを考えている俺に、店主が声をかけてきた。
「ロイドも隅に置けないねえ」
「……おばさん、何か勘違いしてないか?」
「隅に置けない?」
サラがこてんと小首を傾げる。
相変わらず、その瞳は純真で穢れを知らない。
「こんなに可愛い女の子を引っ掛けるなんて」
「ひどい言い草だな……」
「?」
よく意味が分からないのか、サラはきょとんとしている。
どうか、そのままのサラでいてほしい。
「おばさん、しばらく……とりあえず一月ぐらいは部屋を借りたいんだけど」
「分かった、あの二部屋は空けておくよ」
「よろしく」
「別に一部屋でもいいんじゃないかい?」
「アホか」
店主の戯言を聞き流し、サンドイッチを食べ終えた俺は立ち上がる。
いったん部屋に戻り、迷宮探索用の装備に着替えた。
とはいえ大したものではなく、パッと見は旅人のようにも見える身軽な服装だ。
迷宮探索は長丁場になる以上、身軽で丈夫な服装が重用される。
タンクでもない限り、重い鎧などは着込まないのが普通だった。
その上に、灰色の外套を纏う。
ちなみにこの外套はモンスターの毛皮から作ってあり、魔法抵抗力が高い。
モンスターの中には魔法を使う種族もいるので重宝していた。
「さて……」
荷物の大半はここに置いておく。
しばらくはここを拠点にすると決めたからだ。
そもそも迷宮に生活用品まで含めた大荷物を持っていっても仕方がない。
壁に立てかけてある木製の杖を手に取り、腰に護身用の短剣を装備する。
後は昼食や回復薬、水筒、地図……その他諸々を詰めたバッグを背負った。
よし、準備は完了だ。
「終わった?」
ちょうどそのタイミングで、サラも部屋に入ってくる。
彼女も冒険者の基本を押さえた動きやすい恰好をしていた。
簡素な革鎧で要所を守っている。少し露出が多く、前衛にしては無防備すぎる気がしないでもないけれど、まあアタッカーならそのぐらいでいいのかもしれない。
腰には、すらりとした一本の長剣が吊られている。
「ああ。行くか」
「うん!」
俺たちは街に繰り出した。
まだ朝早いけれど人通りは多く、がやがやとした喧騒が鳴り響いている。
冒険者ギルドに向かう冒険者の姿も多く見かけた。
微妙に視線を感じるものの、それらをスルーして俺たちはさっさと進んでいく。
両開きの扉が大きく開いている冒険者ギルドの中へと入り、迷宮へと繋がる通路の方へ。
「こっちに行くと、そのまま迷宮に繋がってるんだよね?」
「そうだ」
サラの表情が、ぴくりと歪む。
ピリッ、と空気が変わったことをサラも察知したのだろう。
そう、ここから先は迷宮。モンスターが支配する未知の領域。
街中とは、明らかに空気が異なる。
「……ロイド」
「良い緊張だ。新人はそのぐらいで丁度いい」
僅かに不安そうなサラに対して、俺は意地悪く笑う。
「そういや、モンスターとの戦闘経験は?」
「外のモンスターなら、何体かは倒したことあるよ」
「なら、ビビって何もできない心配はなさそうか」
「むぅ。それはひどいなぁ」
少しむくれたサラを横目に、俺が先導してらせん階段を下っていく。
降り立った地面の感触を確かめる。
周囲は薄暗く、けれど壁や土を構成する鉱石が仄かな灯りを発しているのが分かった。
そもそも本来なら真っ暗なはずだから、光源がよく分かるというものだ。
「ここが、迷宮……」
サラはぽつりと呟く。
そう、ここがマルグスリア迷宮の地下一階層。
冒険者たちの、始まりの地だ。
――地上よりも、僅かに冷たい空気が支配していた。
「どうした?」
「あ……何でもない。わたしも、やっと冒険者になれたんだなって」
「感慨にふけるのは、一人前になってからだな」
肩をすくめると、サラは頬を赤くした。
「……そうだね。じゃあ、先に進もう!」
「まあ、ここに留まっていても得るものはないからな」
洞窟のような細道を、俺たちはサラを先頭に進んでいく。
俺が後衛でサラが前衛な以上、この隊列は自然とそうなった。
「それにしても……」
「何だ?」
「わたしたちより先に迷宮に入った人はたくさんいたのに、そんな気配は全然ないんだね」
「迷宮内は広いからな。地下へ続く階段もいくつもある」
マルグスリア迷宮は、地下へ進むほど広大になっていく三角錘状の構造物だと推測されている。俺の体感でも、それは間違いないだろうと思っていた。
それでも、地下一階層の時点で他の冒険者パーティに遭遇することはあまりない。
奥深くに潜るほど、その可能性は下がっていく。
もちろん俺たちがさっきまでいたスタート地点は話が別だけれど。
「……待て、サラ」
「うん」
どうやらサラも気づいたらしい。
禍々しく、異様な殺気。
この先をうろついているモンスターの気配に。
「――やるぞ」
俺が杖を構えると同時、岩陰からゆらりとモンスターが姿を見せた。
醜悪な顔つきに、緑色の体にぼろ布を巻きつけた小人。
――小鬼だ。
数の多さが取り柄といわれる、繁殖力の強いモンスター。
そのモンスターの敵意を見て、サラは静かに腰の剣を引き抜いた。
さて、お手並み拝見だ。




