状況一変
「(状況はこちらに悪し、と)」
トラノスケは目の前に転がるローブ姿の何かを見下ろしながら呟く。
「(姫様とタツミ殿は大丈夫だろうけども……)」
2人の強さを間近で見てきたトラノスケは、傍にいない主と戦友の実力を心配ないと断言するほどには信頼していた。
主に対しては従者として荒事の際に自分の傍を離れて欲しくないという想いはあるが。
彼が分断された状況でその身を案じているのは、成り行きとはいえ弟子のように扱うようになった獣人の少年の事だ。
「(まぁいい。あいつもそろそろこれくらいの修羅場は自力で乗り越えなけりゃな)」
弟子の存在を頭の片隅に追いやり、倒れているローブの存在を足蹴にした。
「(骨と皮だけの細腕じゃありえない腕力だったが……)」
顔を隠していたローブのフードが外れる。
その『中身』が死人である格好から何らかの目的で山に入った登山者だと推測出来るだろう。
しかしその顔は痩せこけ、血の気は無い。
明らかに死んでいるその様相を見て、トラノスケは納得したように頷いた。
「(死人の類を操っていたようですね、これ。老婆の姿では攻撃能力はない、と言ってましたけど元からある者を魔力で操る分には攻撃能力を持たせられるらしい。……となれば手駒がこれだけとは思えない)」
そこまで呟いたところで、猛吹雪で遮られていた彼の視界が轟音と共に一瞬だけ晴れる。
爆風から目を庇いながら音源の方を見やれば、タツミとドラゴンが向かい合っている姿があった。
「タツミ殿!」
そちらに駆け出そうとするも視界はすぐに雪と風で遮断されてしまう。
「くっ、またか」
同時に周囲に発生する複数の気配。
先ほどのローブ姿の死人と同一の気配を持つソレらは一斉にトラノスケに飛びかかる。
「(狙いはおそらく足止めか? どうやらあのはた迷惑なドラゴンはタツミ殿とサシで戦いたいらしい)」
飛びかかる死人の拳をいなし、足払いしつつ背後から迫ってきた別のローブに向かって投げつけた。
素早くその場から飛び退き、掴みかかろうとしていた次の相手の腹部を蹴りつけて距離を取る。
しかし攻撃された者たちはすぐに体勢を立て直し、攻撃された痛みなど感じていないように機敏に動き出す。
「(死人だから痛みも苦しみもない。致命傷とは言わずとも骨を砕く蹴りで動きが鈍らないのも当然と言えば当然。なら何故さっきのは一撃で倒れたんだ? 先と今の違いは……急所狙いかどうか? これが合っているなら……頭部を潰せば動かなくなると見るべきですね、こりゃ)」
懐に仕舞いこんでいたクナイを数本、指と指の間に挟みこむようにして構える。
「(あちらの思惑通りに動くのは業腹なんで……)とっとと消えてもらいますよっと」
鋭い殺気と共に放たれるクナイ。
それらは複数を同時に投げているというのに機械のような正確さで襲い掛かってくる死人どもの頭部を貫いた。
「これで終われば……楽だったんだけどなぁ」
倒れていたローブたちが吸い寄せられるように一つに集まっていく。
集まったそれらは骨を砕き、肉が混ざる不快な音を立てながら寄り集まって形を変えていく。
「死人の肉を集めた巨大な人型。悪趣味な事をしますね、まったく(ヤマトにもいたな、こんな悪趣味な鬼が……)」
過去に対峙した敵のことを思い出し、すぐに思考を脇によける。
ただ大きくなっただけならば脅威にはなりえない。
しかしそう単純な相手ではないというのは、ソレが放つ威圧感だけで彼には理解できていた。
「それでもそう時間かけてはいられないんで……とっとと倒れてもらいましょうか」
地を這うように姿勢を低くして駆け出しながら懐に手を入れる。
その脳裏に目の前の障害物を蹴散らす十数通りの手段を思い浮かべながら。
仲間たちと分断されたオイチは一人、式神に乗って空へと逃れていた。
「うぁっ!?」
しかしそこは悪天候の影響力が最も強く、暴風に煽られてしまう。
視界も当然のように劣悪だ。
だがそれでも彼女はさらに高く高く飛翔するよう式に念じる。
「(この悪天候を鎮めれば、それはこちらに利する物となる。そしてソレは私にしか出来ない事!)」
決意を胸に袖に仕込んだ札に魔力を込める。
「(普段の魔力の量ではどうにも出来ない。もっと力を込めなければ……)っ!?」
そんな彼女に地上から魔力弾の群れが放たれる。
「(気付かれましたか!? 突っ切りますっ!!)」
突撃しようとする彼女の耳に地上から悲鳴のような咆哮が響く。
ちらりとオイチが地上を見やれば、どうやったのかタツミが巨竜の頭部に立ち、その目に刀を突き立てている姿が見えた。
そして一瞬、彼らの視線が交錯する。
「(行け)」
その声無き言葉に頷きオイチは、迫る魔力弾を回避するために札への魔力注入を中断し、式神の操作に集中する。
その間にも上空への飛翔は止まらない。
タツミの妨害によって狙いが甘くなっていた魔力弾をすべて避け切り、その勢いのまま黒雲へと突っ込む。
「ううっ!?(あと、少し!!!)」
雷が雲の内側を縦横無尽に走る。
人間など触れただけで消し炭にするだろう雷光。
死の一撃を最大出力の結界で防ぎながら、彼女はひたすら雲の中央を目座した。
「(雲を発生させている魔力。中央にあるソレを破壊すれば、この雷雲は消える!!)」
中断していた札への魔力注入を再開し、同時に迫る雷を防ぐ為に結界を張り続ける。
「くっ……」
しかし果断なく打ち据えるように降り注ぐ雷の鞭を結界で受け続けながら、別の札に魔力を注ぎ込むのは彼女に大きな負担をかけていた。
歯を食いしばっても漏れ出る呻き声、額から流れる汗は彼女にかかる尋常ならざる負荷を無言で語る。
それでも彼女は式神の操作、結界の維持、札への魔力注入のどれ一つとして疎かにする事はない。
それは疎かにすれば終わってしまうと彼女が理解しているからだ。
雷に当たれば死に、式神から落ちれば死に、この天候をどうにか出来なければ死ぬ。
となれば無茶を承知ですべてを必死にこなそうとするのは当然の事だ。
そして彼女の苦労はこの後、死と隣り合わせの綱渡りを5分もの間、続けてようやく実を結ぶ事になる。
彼女の目の前には荒れ狂う雲の中央。
そこに鎮座する青白い魔力の塊があった。
彼女はそれ目掛けて符を構える。
「集力変転・急々如律令!!」
彼女の言葉と共に札に込められた魔力が指向性を持って噴き出す。
魔力の塊は、常に外の魔力を取り込む。
すべてを滅ぼさんと荒れ狂っている天候は取り込まれた魔力が生み出した賜物だ。
その力が今、彼女の札によって逆転する。
青白かった魔力の塊は、突如として内包する魔力を無作為に外へと吐き出し始めた。
そこからは早く魔力によって集められていた雲はすぐさま散り散りになり、雷を落とす事も吹雪を起こす事も出来なくなった。
札はそのまま中空に留まり、今もその効果を継続している。
この札を何とかしない限り、天候操作は出来なくなったという事だ。
「(自然を介さない力の使用は正直辛いのですが……上手く行きましたね)」
降り注ぐ日の光に思わず頬が緩むも、それも一瞬のこと。
今はまだ戦いの最中なのだ。
気を緩め、隙を晒すわけにはいかない。
自身に言い聞かせ、そして状況が一変した事で見えるようになった眼下の戦場を彼女は見つめた。
「タツミ様っ!!」
ドラゴンの巨大な爪を刀で受け止めて、枯れ枝のように吹き飛ばされるタツミに悲鳴を上げる。
冗談のように高々と空へ放り出されたタツミの姿に彼女は即座に式神を操作して飛翔するが、先ほどまでの無理が祟り思うように速度は出なかった。
「駄目です!!」
落ちるタツミに追いつこうと必死に手を伸ばすが、しかし彼女の手は届かない。
そのまま地面に叩きつけられるかと思われたタツミだが、彼は中空を無様に吹き飛びながら、まるでそこに地面があるかのように足を振り下ろした。
同時に腹の底に響くような異音。
そして物理法則に反逆するかのように空高く跳ぶタツミ。
突き出された彼の手は伸ばしていたオイチの手をしっかりと掴んだ。
「よくあいつの天候を壊してくれたな」
式神の背に一瞬足を付き、そして彼はすぐさま竜目掛けて跳ぶ。
「ありがとう、オイチ」
式神の背から跳ぶ一瞬、自身の身を案じてくれた彼女を安心させるように呟きながら。
「うぉおおおおおおっ!!!」
傷が出来た顔で、タツミは竜に一撃を見舞うべく空中にいながら刀を大上段に構える。
変わらぬ頼もしい姿に、オイチはほんの僅かな時間、ここが戦場である事も忘れて見惚れていた。
「も、もう! タツミ様は本当に!!」
戦場を忘れていた事を、自身の顔が真っ赤になっている事を誤魔化すようにオイチは声を上げると式神を彼の元へと向かわせる。
その速度は先ほどタツミを助けようと必死になっていた時よりも速かった。
「(ほぉ、よもや天候を崩されるとは思わなかったねぇ)」
降り注ぐ日の光に眩しそうに目を細めながら、竜は心中で笑う。
「(さてそろそろ潮時だろう。餞別も揃った事だし……最期に一勝負吹っかけようか)」
どこまでも自分本位に最上位に位置する竜は笑う。
「(さぁ、決着の時だよ。タツミ)」
空中でこちらを睨みつけ、刀を振り下ろさんとする最後の相手たちを彼女は楽しげに睨み付けた。




