第6話
「やばい、やばい、やばい、やばい。」
マリリンがしゃがみこんで頭を抱えてブツブツとつぶやいている。
脱兎のごとく逃げ出した私たちは、たまたま空いている教室に飛び込んで一休みしているところだ。
せっかくおめかししたのに、繊細なレースの散りばめられた美しいドレスが汚れてしまいましたわ。
「洗浄」と心の中でつぶやくと、ドレスが瞬く間に綺麗になった。
まぁ、素敵。
魔法ってなんて便利なんでしょう。
マリリンにもかけてあげましょう。
手のひらをマリリンに向けて心の中で「洗浄」とつぶやく。
彼女はびくっと体を硬直させて、自分の体を両手でかばう仕草をした。
魔法が効き、彼女の乱れた姿が元通り綺麗になる。
マリリンは「口封じかと思いました」と、へなへなとその場に崩れ落ちた。
まぁ、失礼ですわね。
プンプンと憤慨していると、マリリンがじと目で言う。
「…お嬢様、何てことをしてくれるんですか…。王子殿下の暗殺なんて…また大それた真似を。」
とんでもないことを言いだしたマリリンにぎょっとして、私はあわてて、「暗殺じゃありませんわ。リアム様が運命で結ばれる予定の令嬢との出会いを邪魔しただけです」とかぶせるように言う。
すると、マリリンの目から精気が消え失せて、死んだ魚の目の様に見えた。
「何を根拠にそんな妄言を…。ポンコツ具合が劇的にヤバい方向にすすんでいますね…。ひどいです。
せっかく手に入れた夢の職場なのに…。ああ、なんて不幸なんだ…。」
ぶつぶつとマリリンが何か言っているが、とても失礼なことを言っている気がするので気づかないふりをする。
窓を開けて外を眺めると空は晴れわたり、清々しい風が吹き込んで私の髪をなでる。
花の香がほんのりとその風にのって爽やかに春を告げる。
乙女ゲームですもの。桜は必須ですわね。
後で満開の桜をぜひとも鑑賞しませんと!
「マリリン。そろそろ入学式の会場に向かいましょう。」
私が意気揚々と教室から出ようとすると、「お待ちください」とマリリンに体ごと止められる。
「あんな事件を起こしておいて、どんな神経をされているんですか…。
あ、忘れていました。お嬢様は頭が緩いんでした。
とりあえず、現状を確認します。
いいですか!私たちはずっとここにいて、入学式までの時間をつぶしていました。
口裏を合わせてくださいね!私たちはずっとここにいたんです!」
肩をつかまれ揺さぶられて、ちょっと頭がくらくらする。
すごい勢いでマリリンに説得されるので、思わずうなずく。
マリリンは私から距離をとり、「そこから動かないで!」と幼い子に言うように私に何度も念を押し、何やら魔法道具を取り出して外と通信を始めた。
マリリン…敬語を忘れていますわよ…。
賢明な私はそのことを指摘することなく口をつぐむ。
外部とやりとりする様子は、さながらスパイ映画で活躍するエージェントみたいで、とっても素敵。
有能さでは公爵家随一といっても過言ではない。
通信を終えるとマリリンは深いため息をついて、私に近づいて言った。
「状況を確認しました。王子殿下はご無事のようです。現場に居合わせた者も軽い脳震盪を起こしたくらいで皆無事でした。」
私はほっとする。
「よかったですわ。リアム様に何かあったら自分を許せませんもの。
それに、あの天才的なリアム様が私ごときの魔法でどうにかなるはずがございませんわ。
お付きの皆様も主人公も何かしらの対策はされているはずですし。」
にっこり笑って、会場に向かおうとすると、ガシっと肩をつかまれる。
「まだ、話は終わっていません。
事件は公にされていませんので、何か聞かれましたら、お嬢様は知らぬ存ぜぬを通してくださいね。
いいですか!これは、公爵家の死活問題です!絶対に隠し通すのです!」
「わかりました。」
私はにっこりと笑ってマリリンにうなずく。
マリリンは私をじっと凝視して、深いため息をついた後、悲し気に肩を落とす。
そんなマリリンを優しくハグしてなだめるように背中をポンポンたたいて言った。
「さて、時間も押しています。参りましょう。」
すぐに式場へ向かいたいのに、がばっと顔をあげて目つきを鋭くしたマリリンのお説教が止まらない。
「魔法の使用は禁止です。
そもそも、あんな殺傷力の強い魔法をいつから使えるようになったんですか…。
聞いていませんけど?
報連相は大事だと日頃からあれほど口をすっぱく申しておりますのに…。
ああ…。お嬢様と魔法。最悪の組み合わせです。負の相乗効果。恐ろしすぎます…。
お嬢様、聞いていらっしゃいますか?
いつも行動を起こす前にご相談くださいとあれほど申しておりますよね…。そのスカスカの脳みそを少しは活用してください。
本当にどうしていつもぶっとんだ方向に暴走されるのですか?
後始末するこちらのことも少しは考えてください。寿命が縮む思いをしています。どなたかに、老けたと指摘されたら、お嬢様のせいですからね!
魔法の件ですが、公爵家に戻ったらじっくりと話し合いましょう。」
何かあると真剣に怒ってくれるのは、マリリンだけ。
じんわりと愛を感じて嬉しくなる。
そういえば、疎遠になる前のリアム様もこんな感じで私を叱ってくださった。
少ししんみりしたが、今はとにかく時間がない。
私は高速で首を縦にふりマリリンに恭順を示すと、そっと彼女の腕をとり、さりげなさを装ってなんとか強引に式場へ向けて彼女を連れ出した。
リアム様、待っててくださいまし!