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022:面影を抱きしめて

 月明かりに照らされながら、謎の少女が現れて、体感で一分ほどが経過したところで。


 不満げな表情で、彼女はこちらを見た。


「……こんばんは、って挨拶したつもりだったんですが、もしもーし? お返事はなしですかー? アタシの言葉はわかりますー? 聞こえてて、内容も理解した上で無視してるなら、アタシ泣いちゃいますよー? 異世界人差別、よくないです」


 くすんくすん、とわかりやすく泣き真似をする桃髪ツインテールの少女。

 

 ……しまった。


 唐突な登場に衝撃を受けていて、なんのリアクションも取れていなかった。


 これは素直に申し訳ない。


「……ああ、いや、悪い。急だったもんだから、びっくりしちまっただけなんだ。反応が遅れたのは謝るよ、ごめん。それと、えっと、こんばんは」


 挨拶は大事だ、うん。


 俺のせいでウルドガルドの人々に、日本人は挨拶もできないとか思われるわけにはいかない。


 彼女は、俺が別の世界から来たことを把握しているようだし。


「ええ、ええ。こんばんは、です。どうやら、円滑にコミュニケーションを取れそうで安心しました」


 一転して、柔らかい感じの笑顔を見せてくれるツインテールの少女。


 年相応な感じで可愛らしい。


「アタシは……」


 少しの間を置いて、彼女は名乗った。


「……ルナティア。ルナティア・フォン・スレイというものです。気安くルナティアとお呼びくださいな。あ、ルナルナでもいいですよ」


「じゃあ、ルナルナ」


「すみません。やっぱり気持ち悪いからやめてください」


「……ごめんなさい」


 さらに一転。

 冷ややかな視線を向けられて、俺は即座に謝った。


 違うんだ。

 俺、本当は初対面の女の子を愛称で呼ぶようなキャラじゃないんだ。


 ただ、妹の愛理にも自分のことを「アイアイと呼んでー」とか言ってた時期があったなぁ、と懐かしくなっただけで。


 出来心だったんだ。


「わかればいいんです、わかれば」


 俺との距離を詰めつつ、ゆっくりとした動作でルナティアは両手を広げる。


 ……? なんのポーズなんだろう?


「じゃ、ほら。ハグしましょう、ハグ」


「え、なんで!?」


「なに動揺してるんですか。これも挨拶ですよー、アイサツ。ウルドガルドでは常識なんです、ハグぐらい」


 そういうもんなのか。


 ……アイリスは、そんなこと言ってなかったけどなぁ。


 もっとも、アイリスは恥ずかしがり屋さんだからやらなかった可能性もある。


 ウルドガルド式の友好の証がハグだというのなら、それに習いたいとは思う。


 ……そう思うんだけども。


「……ハグするのはいいんだけどさ」


 そう、別にハグはいいんだ。


 美咲ちゃんもハグ好きだし、ギンコもたまに背中に引っ付いてくるし。


 慣れているといえば慣れている。


 ……たださ。


 俺は着替えなどの荷物を持っている方の手と逆の手で首の裏を掻きつつ、視線をずらす。


「どこ見てるんですかー? 人とお話するときは相手のお顔を見ましょう、ってお母さんに躾を受けたでしょう?」


 媚びたような甘ったるい喋り方のわりに、いちいち正論を言う娘だ。


 しょうがなく、彼女の方に向き直る俺。


「……じゃあ、お願いだからパーカーの前を閉じてくれないかな」


「?」


 いや、そこで不思議そうな顔すんなよ。


 俺は、もう一度薄目で彼女の服装を見てみる。


 何度見たところで変わりはしない。


 素肌に黒のビキニ。その上から薄手のパーカーを着ただけの上半身。下半身は、ちょっと攻めすぎな角度でカットされたホットパンツ。


 しかもパーカーにいたってはチャック全開なせいで、豊かなバストも締まったウエストも丸見えだった。


 そんな格好の女の子に平然とハグができたら、それはもう勇者である。


「なんです。素直に喜べば良いじゃないですか。可愛い女の子の柔肌に直接触れられるんですから」


「可愛いって自覚あるんなら、なおさら自分のこと大事にしなよ。世の中、悪い男もいるんだから女の子が夜に薄着じゃ危ないぜ」


 ウルドガルドの治安も、そこに住む女の子の危機意識も俺にはわからないが、わりと真面目に心配だった。


 ルナティア、美人さんだし。


「……過保護な人ですねー」


 呆れ混じりだが、一方でなんか嬉しげに。

 ゆっくりとジッパーを上げるルナティア。


「一応、言っときますけど。このファッションはウルドガルドの女の子では常識なんですからね?」


「……いや、それはないだろ」


 いくら普段から美咲ちゃんやギンコにからかわれている俺でもわかる。


 明らかな嘘だった。


「ちぇっ、さすがに騙されませんか」


 軽く舌打ちしやがったよ、この娘。


 ジッパーを胸元まで上げ、ルナティアは手を止めた。


「ほら、これくらいでいいでしょう。あなたも荷物はそこら辺に置いて、手を広げてくださいな」


「はいはい」


 素直に従う。


 なんだかんだ言っても、ルナティアが折れてくれたのは間違いないし。


 本音を言えば、谷間が見えなくなるくらいまでジッパーを上げて欲しかったけど、そこまで要求するとそれはそれでセクハラっぽい。


 余計なことは喋らずに、おとなしくルナティアの言うことを聞いておこう。


 あんまり汚れないような場所に荷物を置き、俺は軽く手を広げた。


「こんな感じでいいのか?」


「いいですけど。女の子とハグするの初めてってわけでもないでしょうに、なんでそんなにぎこちないんですか」


「ウルドガルド式のハグとか知らねえもん」


「ハグなんて、どこの世界でもおんなじですよ。ほら、行きますよ」


 ぎゅっ、と。

 俺の身体に抱きついてくるルナティア。


 甘い香水の匂いが鼻をくすぐる――結構、好きな匂いだった。


 ……つーか、思った以上に身体を密着させてくるな、この娘。


 すりすりと俺の胸板に頬擦りをしながら、ルナティアは表情を緩ませていた。


 なんだろう。ウルドガルドの女の子って方向性は違えど、みんな人懐こいんだろうか。


 挨拶のハグにしちゃ、いささか情熱的過ぎる気がする。


 美少女とのスキンシップが大好きな美咲ちゃんなら大喜びしそうな感じだ。


 ……まあ、俺も男だし、可愛い女の子にハグされて嬉しくないはずもないんだけど――ルナティアがツインテールだからかな。


 同じくツインテールだった愛理を思い出してしまって、幸いなことに、あんまりいやらしい気持ちにはならなかった。


 パーカーの前が開いたままなら、さすがの俺も若干危ういところだったかもしれないが。


 それにしても――アイリスと皿を洗った時といい、ギンコと風呂に入っている時といい、今日はよく妹の面影がちらつく日だなぁ。



 忘れられていないんだろうな、やっぱり。

 この先も、忘れるつもりはないけどさ。



 ◆ ◆ ◆



 ……ところで。



 ルナティア・フォン・スレイ。



 この人気のない村に――アイリス・クーガーが、今は自分しかいないと言っていた村に、何故かいる少女。


 わざわざ自分から俺に接触してきた上にハグを求めてきた、なんかエロい格好の女の子。


 この娘は、いったい何者なんだろう?


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