1、伯爵令嬢は焦げ芋で、謎めいた少年の胃袋を掴む。
伯爵家の夏、北の領地の別邸で、その日、モンテス伯爵は長男と狩りへ、伯爵婦人は長女と優雅に読書――、末娘(十歳)のコンスタンテは森の奥で芋を焼いていた。
「なぜですのッ!!」
東屋の庭に、令嬢の苛立った叫びが響き渡る。
そこは本邸から見えない森の奥の選び抜いた実験場。コンスタンテは焚き火を前に唸っていた。
彼女が今、興味をもっているのは、避暑地の社交でも、村で生産されるツルツルの輝く布地でもなく、輪切りの芋を『如何に上手く焼くか』だった。
(友人が話していた、あの『パリリ』とした黄金のお菓子……どうしても再現したいの)
母の伯爵夫人が知れば卒倒するだろう。
『あなたはいずれ公爵家に嫁ぐ身!包丁など握る必要はありません!』
そんなお説教が予想される。だが、コンスタンテの知的好奇心は淑女教育の枠を軽く飛び越えており、彼女の手は今や、コック長と同じスピードで芋が剥けるほどなのだ。
それでも、現実は厳しい。
「弱火では水分が残り、強火では……もう、またですわ」
串の先の芋は、見るも無残な「消し炭」へと変わり果てていた。焚き火の直火で芋を焼けば、当然の結末といえる。
「ああ、食材が不味くなりました……あとで料理長にサンドイッチにしてもらってお父様達と一緒に食べましょう」
父(兄も巻き込む予定)にとって不穏な言葉を呟いた、その時だった。
ガサリ。
背後の茂みが大きく揺れた。
コンスタンテが弾かれたように振り向くと、そこには一人の少年が立っている。
年齢は自分と同じ十歳前後だろう。煤けた黒髪に、鋭い灰色の瞳。服はボロ布のように破れ、裸足の脚は傷だらけ。
異質だったのは、その目だ。子供の体でありながら、その瞳は底知れぬ静謐さを湛えていた。
しかし、その神秘性は次の瞬間に無残に崩壊する。
少年は焚き火の上の芋を視界に捉えた瞬間、喉を「ゴクリ」と鳴らし――そのまま糸が切れた人形のように、地面へ崩れ落ちた。
ドサァッ!!
「きゃあああ!? 死体になったわ!」
「ま、まだ生きてる……」
「喋れるのね!?」
コンスタンテは慌てて少年に駆け寄った。
「ちょっと、貴方! 大丈夫ですの!?」
少年は微かに瞼を持ち上げ、掠れた声でこぼした。
「……お腹空いた……三日、何も……」
「三日!? まあ、なんてこと!」
コンスタンテは衝撃を受けた。伯爵家の食卓では考えられない事態だ。彼女は反射的に、手元の串から『比較的、炭化していないマシな芋』をいくつか引き抜いた。
「さあ! これをお食べなさい!」
しかし少年の頭の中で厳格な父の教えがよぎる。
(ならぬ。下界の食べ物は安易に口にしてはならぬ……)
教えに従ってコンスタンテの申し出を拒否しようとしたが、芋の焼けた匂いが少年の灰色の瞳を揺らす。
(でも……三日食べてないし……)
『……たるもの、飢えを知れ』
(なんで?)
『人間の食は――』
(キュルルルルー)
盛大に鳴り響いた胃袋の悲鳴に、父の法度は遠くへ消し飛んだ。
「あの……炭でごめんなさいね? でも、これが一番マシなのですわ。塩をかけたから、そこそこ美味しいはずよ!」
差し出された、縁が真っ黒に焦げ、中央は白っぽく乾燥した歪な円盤状の何か。それでも香ばしい香りの誘惑に少年は恐る恐る手に取りそれを口に含むと、全力で顎を動かした。
「……っ、ごふっ」
少年が噎せたのでコンスタンテが水筒を差し出す。
(硬い。そして、口中の水分が全て奪われる。……でも噛み締めると焦げた苦みと、微かな甘さと塩が合わさり、舌の上を撫でる。美味しい……!)
三日食べていないから、大体の食材は美味しく感じてしまうのだが、少年はこの事には気付かず、その「硬い木片」のような芋を夢中で飲み込んだ。
「…………どうかしら? やっぱり硬いですわよねぇ?」
不安そうに覗き込んでくる、スレンダーな美少女。
少年はもそもそとした物体を嚥下した後、ゆっくりと起き上がり、不思議そうに彼女の掌を見つめた。高価なドレスを着て、亜麻色の髪を輝かせる少女。およそ下働きには見えない高貴な姿。
「……美味しいです。……ただ、もっと油分と、薄く切れば……さらに美味しくなるかも……」
「天才ですわーーーーーー!!!」
森に絶叫が響き渡った。




