9.ゴブリンとの闘い
ゴブリンどもが襲いかかってきた。
孤立し恐怖に圧倒されそうなとき、人は恐怖を克服するために、理性をかき集める。
だが、理知を超えた恐怖に打ち勝つのは怒りだ。
最も強い力は、理性と怒りの結合によって生まれる。
すなわち復讐…
私は刑事時代、復讐心を殺した。組織として活動するには邪魔なものだった。
今は違う。
孤立無援の中、私は私であって潔子であり、そしてこの世界を守護すべき者だ。
こいつらは潔子を犯し、七菜子の世界を汚した。
生き延びた少女たちに唯一残された平和を脅かした。
私は吹き荒れる狂飆となって剣を振るった。
私の正面に立ったゴブリンは、咆哮を発し、牙と爪を剥き出す。だが、怯むことは許されない。
立ち止まれば背中を攻撃される。
だから、私は一切の躊躇なく、全力で正面の敵に襲いかかる。
敵の手や腕を切り裂き、脚を撫で斬り、身体を削ぎ斬り、その場に撃ち倒す。殺さず、苦痛にのた打ち回らせる。
すぐに踵を返し、背後の敵を襲う。
これを繰り返すことで、背後に空間を作り続ける。
しかし、少しずつ隙を突かれ、傷は負う。
潔子の身体を爪が切り裂き、牙が食込むたびに、痛みと怒りに私は叫んだ。
正気を失いそうだ。
苦痛と疲労に痛めつけられ、全身から汗が吹き出し、ゴブリンの血と饐えた体臭に息が詰まった。
最後の一匹が逃げ出すところを、踵の腱を切断し、両腕の肘から先を斬り飛ばしたところで、私は膝を落とした。
もう一歩も動けず、うずくまった。
この世界は異常だ。
何もかも、あまりに生々し過ぎる。
そして、その生来の姿が美しく穏やかで無害であるがゆえに、
…悪意に対して無防備だ。
息が整った。
と思った途端に私は吐いた。胃液の苦みと悪臭が口内を満たす。
地面がぐらりと傾き、私の肩や側頭部を襲った。
私は意識を失い、暗闇に包まれた。
気がつくと、月光の中、人影が見えた。
明らかにゴブリンではない。
子どもほどの背丈しかない。
節くれだった葡萄の幹の蔭からこちらを覗いている。
丸々と小肥りした体型、赤ら顔にどんぐり眼と大きな鼻、ふさふさの白いヒゲ。空色の服を着て、頭には先の尖った帽子を被っている。
目を丸くして、息苦しそうに、ふうふう息を吐いている。落ち着きなく足踏みし、体を揺すっていた。
この場から逃げ出すべきか、私を助けるべきか、考えがまとまらない様子だ。
ドワーフか。
潔子から、デジタル被造物のことは聞いていた。
「お前か?ドワーフってのは…」
私が尋ねると、彼は怖がって後ずさりした。
「ごめんなさい」
私は潔子であることを思い出した。
「ちょっと思い出せなくて…
あなた誰?」
捨てられた子犬のような情けない顔になると、見開いた目から、みるみる涙が溢れてきた。
「ワテや、ホピじいや。
お嬢さま、ようけ頭どつかれて、ボケたんかいな?」
「そうね」
私が立ち上がろうとしてよろめくと、ドワーフが駆け寄ってきた。
「お嬢さま、無理したらあかん!
ワテがお手伝いします」
「ありがとう、ホピじい。じゃあ、お願いがあるの」
「コイツら悪モンや!どないしたりまひょ?」
「ロープを持ってきてくれる?
縛り上げて拷問するから」
「ひっ!」
ドワーフは悲鳴をあげたが、短い手足でかいがいしく手伝い始めた。
潔子が果樹を手入れするために生み出した被造物だけに力は強い。
私は潔子を襲った親分らしきゴブリンを木に縛りつけた。
「まず、名前を聞こうか?」
ゴブリンはまたもニヤリと嗤うと、勢いよく体を反らし、みずから自分の後頭部を幹に叩きつけて破壊した。
「貴様あ、潔子じゃねえなあ」
という捨て台詞とともに死体になった。
仕方がない。
私はドワーフを呼んだ。
「まだ生きてるやつを一匹連れてきて」
ドワーフがズルズル引きずってきたゴブリンに親分の顔を見せた。
「こいつの名前は何だ?本当のことを言ったら解放してやる」
生き残った七匹を隔離してそれぞれに、同じ質問をした。
答えを拒否した者は、一本の手脚もなくなり、生きながら己の内臓を見ることになる。
“ゴルディアス”
七匹のうち五匹はそう答えた。
私は嘘を言った残り二匹をさらに痛めつけた。
一匹は「ゴルディアス」と言い、もう一匹は拷問に耐えきれずに死んだ。
あのゴブリンの親分は、少なくとも仲間内では“ゴルディアス”と呼ばれているようだ。
「お嬢さま、もうよろしいか?」
ドワーフがおずおずと近寄ってきた。
「ええ、用事は済んだわ!
あと、これだけ」
「何をしてはるの?」
「こいつ、親玉の首と手首を切り落してるの。
お姉さまたちに見せるから」
私は血まみれのまま、ホピに向かって振り返り、微笑みかけた。
「ホピじいの手斧を貸して」
ドワーフは背を向け、両膝に手を当ててかがみ込むと、胃の中のものを吐き出した。
「うえーっ!
お嬢さま、堪忍してくんなはれ!」