10.リンゴをかじる
急いで“実りの森”を横断したかったが、疲労と打撲や傷の痛みで立てなくなった。
ホピじいは、近場の物置小屋から荷車を引いてくると、私、つまり潔子の体をズルズルと荷台に引きずり上げ、あるだけの毛布で包み、さらにロープでゆるく固定した。
「お嬢さま、えらいすんません。
ガタガタゆうて揺れますんで、気いつけてくんなはれ」
ホピじいは、ふさふさに伸びたヒゲをベルトに挟むと、前ハンドルを握って背中を丸め、足早に荷車を引く。
頭の上から丸いものが転がってきた。
私は仰向けに寝転がったまま、リンゴの一つに手を伸ばし、かじりついた。
夜空を覆って絡み合う樹木の黒い影の隙間に、星が見える。
「ホピじい」
「なんでっか?」
「これ美味しい」
「こないだ採った春リンゴです。
せやけど、そんな残りもん、ボケてますやろ」
「んー?」
「身がボロボロして美味しないんとちゃいます?」
「そうかしら…」
「町で売れんかった分はジャムにしますよって…」
「いいわね」
「またアップルパイを焼いていただければ…」
「ええ、いいわよ」
私はケーキ作りはおろか、料理もしたことがない。
だが、職業的な訓練により、必要な嘘は平然とつける。話し方を変えることにも抵抗はない。
とはいえ、この純朴なデジタル被造物を騙すことに奇妙なやましさを感じていた。
そのうち、荷車を引くホピじいの呼吸が荒くなり、ヤカンのようにピイピイ言い出した。
私は話しかけるのをやめ、黙ってリンゴをかじった。
「お嬢さま」
「なに?」
「水路に着きました。傷の手当をせなあきません」
ホピじいはバケツを下げ、アカシアが群生する土手を越えて姿を消すと、水を汲んで戻ってきた。
私は手を貸してもらい、柔らかな下草に身体を横たえた。
彼は薬箱を隣に置くとランプを灯し、節くれだった小さな手で、汚れを洗い流し、傷口を縫い、薬草を煎じた薬を塗り、包帯を巻いてくれた。
「お待たせしました。
ほな、お家に帰りましょか?
ちょっと狭いでっけど、ワテらの森小屋でもよござんす。お嬢さまのお役に立てるゆうたら、うちの嫁はんも喜びます」
「ありがとう。でも、このままエルフ村に行くわ」
「しばらく動かんほうが、よろしいんとちゃいますか?
お嬢さまに何かあったら、ワテ…」
ホピじいは涙目でヒゲを引っ張ったり、手を揉んだりしていが、それ以上は反対しなかった。
ただ、袋に藁をつめて頭の下に押し込んだり、毛布の位置を直したり、少しでも心地良いように工夫してくれた。
私たちがエルフ村の境界にたどり着くころ、山向こうの空が白み始めた。
エルフ村は、モミやマツの針葉樹林が裾野に広がる山の連なりに挟まれた風通しの良い丘陵にあった。
その傾斜の先に塩水湖が果てしなく広がっている。
本来は災害や外敵が存在しない世界だ。
エルフ姿のアバターたちは、思い思いの場所にひっそりと、家を建てて住んでいる。
ただ一つ、村の中心に広い屋敷がある。
主は、セブンス・センサーズ第一世代の生存者、村の長の“美子さま”だ。
塩水湖に日が差すと、その煌めきの中、建物が逆光に黒く浮び上がった。
私は屋敷に向かった。
その途中で、葉子が駆け寄ってきた。
潔子と同じ第二世代だ。
私は葉子と組んだことはないが、顔見知りではある。
臆病で線が細く、ブラッド・ワームとの闘いに腰が引けているという印象がある。
「今までどうしてたのよー!」と葉子はかん高い声で潔子の両手を包んだ。
私はゴブリンの話はせずに、木から転げ落ちて大変だった、という作り話で誤魔化そうとした。
葉子は、潔子の安否を心配してたわけではなさそうだ。
はるかに気がかりなことがあるようで、うわの空でオロオロしている。
「みんな潔子を待ってる。大変なことになっちゃって…」
「何か異変が?」
背筋が寒くなった。まさか別のゴブリンの群が村を襲ったのか。
「ブラッド・ワームが出たの!」
「どこに?」
「輝きの湖に。いっぱい」
あの一見透明に輝く湖の底を、血の色をしたバケモノが泳ぎ回っているということか。
葉子は泣き出した。
「こんなとこまで、やだよお!
みんなで一晩中見張ったけど、あたし怖かった」
「それで美子さまは?」
「昨日から犯人をさがしてて…」
ファンタジアは、セブンスたちの創作世界だ。
したがって、生きとし生けるものは村人の誰かの被造物のはずだ。
そう考えるのが当然だ。
しかし、
「さっき聞いたの、
犯人は七菜子だって!
あの子がブラッド・ワームを造ったのよ!」
葉子が叫んだ。




