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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第八章 災厄の想い、消滅の残香編
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八十六話 変わらないままで

「ん……と、これでいいんだよね」


 黒装束を着込んだ少女が、荒れ果てる大地の中央で巨大な陣を描いていた。規模が規模なだけに上空から見下ろさなければ分からないほどの、巨大な陣。奇妙かつ複雑に傷付けられた大地は、異様な白銀の輝きを放っていた。

 びゅう、と砂が吹き荒れる。だがそれらは刻み込まれた魔法陣を汚すことなく、弾かれるようにして遠くへと流されていく。


「私ね。あなたには色々と言いたいことがあるんだよ。でも、いいや」


 頭の後ろで括られた髪の毛が、風で乱れて空を舞う。淡い緑色が、白銀に照らされてほんのりと輝きを帯びた。


「ああ。だけど一個だけ、言わせてね。わざわざ言葉に出さなくたって分かっていると思うけど」


 そこには少女しかいないはずだった。誰もが一目見るだけで達人の気を発していることが分かってしまうような、熟練された佇まいの少女は腕を組んで一人呟く。

 誰にも届くことはない、小さな声だ。


 りん、と鳴るような美しい声音が僅かな震えを残して発せられる。

 どこまでも地面を這う白銀の中ですっと立つ漆黒の少女は、どこか幻想的な妖しさを放っていた。


 微風だけが吹き抜ける物静かな空間で、少女の声が響く。


「別に私、諦めたわけじゃないから」


 それは、誰に向けられたものだったのか。


 一人孤独に風に煽られる少女の髪が、急激に変色した。鮮やかな緑色が完璧に抜け落ち、透き通る銀色に。同時に瞳も銀に輝き、少女は宙へと浮かび上がった。

 彼女を中心に白銀の奔流が渦を巻き始める。

 それらは白銀の空間を飲み込み、一つの巨大な術式を編んでいた。


 絶対にして絶大。

 圧倒的な規模と力を組み込まれた改変式。


 しかしその大胆な行為は、誰にも気付かれることはなかった。レイジもエクサルもグリーフも、憐華ですら察知することは叶わない。

 どこまでも広がり続ける白銀が、荒廃した大地を包んで覆っていく。


 どこまでも、どこまでも。




 ◇




 アリシーが港町に帰ってきたのは、あれから更に二日経過した日の夜だった。

 それまでは宿で生活をしつつ、基本的にはグリーフの隔離空間内で隠れていることにしていた。極力気配は断っているものの、至近距離――この町までレイジかメリーさんが入って来た場合はどうしても気付かれてしまうそうだ。


 無論、グリーフだけなら話は別だが。

 単に僕らの技量が足りないだけである。憐華さんも力を覚えたばかりの人なので完璧に力を隠すということもできないのだ。

 中途半端にこそこそしていると却って怪しいらしい。


 僕はそれを下手糞なストーカーみたいなもんだと勝手に思うことにしたが、多分そこまで間違ってはいないだろう。

 あの時の獣人とかが良い例だ。いや、警戒してなかった時は本当に気付かなかったんだけどね……。“下手にアリシーに化けたりしていなければ”どうなっていたことか。

 どうもならないか、決着が遅いか早いかの違いでしかない。


「……あのさ?」


 帰って来たアリシーは一言も喋ることなくぶっ倒れてしまい、それから目を覚ましていない。ただの疲労らしいので心配するほどでもないが、一体外で何をしていたと言うのか。

 グリーフ曰く、不完全なまま覚醒したルリさんが覚醒状態維持のためにアリシーの体力を急速に奪っていったのだとかなんとか。とにかく長時間の活動ができないらしいことは分かった。次にアリシーが起きるのを待つしかないだろう。

 その際にルリさんも眠りから再覚醒するかは定かではないが、そうなればまたアリシーの意識が奪われるという可能性を考慮して、すぐにでも憐華さんへ魂を移して貰うこととした。何年も連れ添ったため、適合率的な面で考えても憐華さんの方がいいらしい。

 もう二手に分かれて行動する必要もなくなったのだし、丁度いいのだとか。


「これ、どうなってるのかな? 律樹君」


 アリシーの帰宅と同時刻に宿へと帰ってきた彼女――アウゼン=セラは、壁際にもたれかかっている僕に憑きまとっていた。


 憐華さん以外に僕を君付けで呼んでくる奴がこんなところにいた。すっかり忘れていたよ。

 そう言えばセラもしばらく居なかったみたいだけど、どこで何やってたのかな。


「なんと言いますかね。色々だよ、ルリさんは案外近くに居たんだなってこと」

「それはさっきも言われた! 私が言いたいのは、どうしてアリシーの体の中にそのルリさんってのが居るってことよ」

「それ、説明必要?」

「当たり前でしょ、別に話せないことでもないわよね? 事と次第によっては全然許さないけど。これっぽっちも許さない」

「……」


 まあ、彼女からすりゃそうだろうな。確実に別れを告げたはずの僕がひょっこり戻ってきて「アリシーの中にルリさんがいるよ」だなんて。

 確かに意味が分からない。


 僕も分からない。

 自分がどれだけのことをしているのか。

 麻痺してんじゃないのか。普通、こんなことになったら“普通”でいられるわけがない。


 尤も僕は普通じゃないけれど。普通に見せかけているこの僕は、一体。


「――まぁ、こんな感じなわけだよ」


 セラの知らなかったことを説明してやると、彼女はかなりひきつった笑みをしてくれた。半ば予想通りだけど。


「ふぅん、ふぅん……はぁ、全く面白くもないし笑えもしない事態になってるわけね」

「そうなるんだよ。誤ちに気付いてからでは遅いけど、こうして考えてみるとやっぱり僕は駄目な奴だった。今更言っても後の祭りなことに違いはないけど、こうした方がよかったんじゃってことが多過ぎて」

「誰だってそうじゃない? それ」

「そうかな……そうかもしれないけど」


 セラは僕の頭を小突いた。ほんの軽くではあるが、拳先が額を掠めたために若干痛い。

 気にするほどでもないけれど。

 肉体の程は。

 心の程は、その限りではない。


 痛い。


「その時失敗したからこそ、後の自分がその行動について指摘することができる。それが成長ってものでしょ? だったら律樹君は成長できてるし、間違ったけどもう間違えない。やり直しができないんだから、別にその話を聞いて私が律樹君を責める点は一つも見当たらないんだけどな」

「……ありがとう」

「責めて欲しいんなら責めるよ? これが駄目でそれが間違っていてだからお前は駄目だーって、罵倒されたいんならしてあげるけど。でも律樹君は責めて欲しくもないし軽蔑して欲しくもないし、貶されて楽になりたい口でもなさそうだからね」

「うん、流石に遠慮願うよ。僕はマゾじゃないんで」

「どうかなぁ?」

「え?」


 いや、本当に本当のことを言っただけなのに。


「ま、律樹君がドマゾかなんてのはどうでもいいんだけど」

「ドなんて欠片も言ってない」

「言ってたよ」

「……? 言ってなくね?」

「そこまでムキになっちゃう? そっかそっか……私ですら引くわよ、引いていい?」

「……」


 止めてくれ。僕はマゾじゃない、それで話は終わりだろう。何度も何度も掘り返さないでくれ。


「それでさ、意地悪な質問していい?」

「おおう? 話の流れ変わったの、コレ」

「ドマゾの律樹君に意地悪な質問するね」

「ちょっと待って、突っ込みどころが多過ぎて突っ込めない」

「――もしもアリシーが死なないとルリさんと結ばれないってことになったら、律樹君はどうするのかな?」


 ……。


 ――それはとても、意地悪な質問だった。

 少なくとも笑い話の時間を強制的に真っ二つにぶった斬られるくらいには、空気が淀んで冷たくなった。

 僕の瞳がセラの瞳と交差する。


 本当はこれだけを言いに来たんだな。

 別のそれまでの掛け合いが無駄だったとは言わないけど、セラはこの問いを投げ掛けたくて僕に接触したんだろう。


 答えは、ない。


 考える。現実にそんなことがなかったとしても、仮説が現実だとして考える。

 答えは、浮かばない。


 何故、セラはこんなことを僕に質問するんだろうか。

 僕は。


「ルリさんと結ばれたらアリシーが死ぬってことだよ」


 長らくの沈黙をどう取ったのか、こう言い換えてきた。

 やはり僕は――答えない。

 答えるだけの回答を持ち合わせていなかった。


 とっくの昔に答えは決めていたはずなのに。その質問は、あんまりにも。


「返事なし? それってどういうこと? 律樹君は誰が好きで、誰のために今を生きていて、誰の為に命を賭しているの? それなら答えなんて決まったようなものなんじゃないの?」

「……」

「どうして何も喋らないの? だって律樹君は既にアリシーを見捨ててるじゃん。その時点でアリシーは律樹君に捨てられてるのに、命が関わってくると捨てられないの? それは、アリシーに何かしらの感情を抱いているから? 恋愛、友情、それとも同情? だとしたら」

「その質問に意味はあるの? 今、セラは僕に意地悪な質問をしているんじゃなくて、誘導尋問でもしているように思えるんだけど」

「だとしたら、君は何も分かっていないよ。中途半端に想いを向けられることの痛さが、辛さが、ちっとも分かってない」


 僕の言葉は完璧に無視した上で、彼女はそう言った。


「……」


 僕は、何も言い返すことができなかった。思うことは沢山あるが、ありすぎて取り留めが付かない。纏まらない。

 なんでセラはそんな意地悪を聞くんだ。


 中途半端な想いが何にもならないのは分かっている。でもそれとアリシーを“殺す”ってのは。

 違うんじゃないのか? 同じだってのか?


 じゃあ僕は、今まで何度もアリシーを“殺して”きたのか?


「ねぇ。律樹君って、アリシーに嫌われる覚悟あった?」

「……」

「ないよね。誰かを選択するってことはそういうことなんだけど、あの子は優しいからね。律樹君はそんなの全然考えなかったんだと思う。律樹君はこの前のあれで綺麗さっぱり示しが付いたつもりで居るみたいだけど、全くそんなことはないんだよ」


 僕は、答えない。


「アリシーは今でも律樹が好き。そして私が知っているのは、律樹君もまた彼女に想いを寄せちゃってるってこと。ただ律樹君はアリシーを好きである前にルリさんのことを好きだった。でもアリシーには律樹君しかいなくて、表面上は大丈夫を貫いていても、いつの日か一人で泣いていたのを私は知っている。その最中にルリさんがアリシーの中で目覚めて、一体どんな思いだったんだろうね?」


 そんなのは分かっていた。よりにもよってアリシーの中にルリさんがいるなんてのは皮肉過ぎる。

 それでも僕はここに来た。


 全部終わらせたいから。でも、でも、でも。

 答えは出ない。


 もう滅茶苦茶だ。こんな運命を呪ってやりたいくらいに滅茶苦茶にぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて、正直もうお手上げだ。

 どうすればいいってんだ? 何をしても正解なんてない。アリシーに会いに来ても来なくても、どっちの選択を取っても駄目だ。


 それは“甘い”のか。だからアリシーを“殺せ”ってのかよ。

 捨てて殺してルリさんを取って。


 それなら、僕は。

 そんなことをするくらいであれば、僕は。

 僕は。


「答えるつもりはないの?」


 最後にセラが言った。

 それでも僕は――何も、答えなかった。

 何故なら。


「――あー止め止め。ごめんね律樹君、ちょっと卑怯だったかな」

「いや……当然のことを言われたんだと、思うよ」


 答えないことこそが、答えだったからだ。


「いやいや、私の質問って自分で言うのもなんだけど大分酷かったし……そんな質問されたら律樹君は答えられないでしょ?」

「答えられるわけないだろうね」

「答えられなくていいんだよ。もしも律樹君がどんな答えであれ回答を寄越してたら、多分殴ってた」

「んな理不尽な」

「理不尽だよ。だってこれは私の自分勝手なお節介だからね、だから気にしなくてもいいのよ」

「……」

「あ、でもでも『二人とも忘れてセラを抱く』って答えだったら抱かれてたかもしれない」

「……」

「ぶん殴るよ?」

「こっちの台詞だよ……」


 無視したくらいで沸点突破するな。

 ぶん殴るぞ。


 目前まで迫っていたセラの両肩を押す。やけに抵抗されたが、それでセラは僕から離れた。

 僕は立ち上がる。


 この人、僕とほとんど身長変わらないんだよなぁ。むしろ少し高いかもしれない。

 これでも数年間の人生で成長したはずなんだけど……伸びてない? まさか、肉も野菜もちゃんと食べたぞ。人並みに寝たはずだぞ。

 寝る時間が悪いかもしれないけど。成長期に過剰な鍛錬をしたからなのかもしれないけど、でもそれじゃ僕よりハードなことしてるエステが巨大なのは何故だ。

 差別だ。


 どうしてこう、僕の周りの人達には高身長の女性ばかりがいるんだろうね。

 差別だ……これは違うか。


「心にもないことを言うものじゃないよ」

「えー」

「心にもないことを言うな」

「命令された!」


 セラは、がーんと効果音が出そうなほどに嫌な顔をする。


「心にもあることかもしれないじゃん!」

「三度目は言わないよ」


 そこは冷静に対処する。セラさんが僕に好意を持っているはずがない。百歩譲ってライクの感情があったとして、ラブはない。


「まぁそうなんだけどね。別に律樹君のことは好きでもなんでもないし。私はホラ、頑張り屋さんは好きだけど、もっと甲斐性のある人が好みだから」


 しかしそこは男。

 ここまではっきり言われるのはちょっと来る。心外だとまで言うつもりはないけど、そこまではっきり言う?

 うん、甲斐性はないね。全く。自覚はしてるよ畜生。


「でも、あれだねぇ。律樹君が童貞でさえなければもっと話は簡単だったのかもしれないね」

「は?」


 心外だ。

 いきなり何言ってくれてんだこいつは、ちょっと一回本気で黙って欲しい。大体なんで僕が童貞だって断言できるんだ? そもそもそういう行為ってのは大切な人とするべきことであって、その相手が見つからないからって童貞などと蔑称で呼ばれる筋合いは断じてない。

 それにそういったことは自分が責任を取れるようになってからするもんだ、うっかり妊娠なんてさせてしまったらどうするつもりなんだ? 前の世界でもそういう奴はいたけどな、僕は常々思ってたぞ。


「え、違うの?」

「……」


 そうですね僕はそんな経験生まれてこの方一度もしたことありません。悪いか? 悪いのか?


「否定はしないけどさ……関係ある?」

「あるある。律樹君がもっと女を知っていれば、二人共と付き合っちゃうって選択肢も出てくるはずなんだけどねぇ? 何せ純情だからねぇ、その年齢で」

「いや、それは」


 というかお前も同年代だろ。


「別に何人女をはべらせようと律樹君の勝手だよ? 多分だけど、そうなったらそうなったで二人も素直に受け入れてくれると思うよ」

「……」


 そんなことは、考えもしなかった。

 アリシーともルリさんとも一緒に過ごすだなんて――まぁ、そういう考えもあるのかもしれない。誰かを選ばずに全てを選ぶ、と。

 確かにここは、日本というか地球の枠組みから外れた世界。一夫多妻が悪ではないし、実際そういう奴もいるのだろう。


「でも、誠実じゃない」

「言うと思ったよ、言うと思ってた。これだから未経験ってのは奥手なんだから、全く困っちゃうわ」

「……そういうセラは」


 言い掛けて、セラに口を塞がれた。


「今の質問は誠実?」

「ご、ごめん」

「分かればよろしい。つまり、そういうことだよ。誰か一人を選ぶスタイルもいいけど、必ずしもそれだけが全てじゃないってこと。現にアリシーは律樹君と離れ離れになって悲しんでる。あーあー贅沢な悩みだよね、モテ男君?」


 必ずしもそれだけじゃない。

 アリシーは僕と離れて、悲しんでくれている。

 彼女は僕を好いてくれている。

 僕は彼女が好きだ。


「からかうのは止めてくれ……まぁ、ありがとう。でもね、やっぱりそれはできないよ」

「うん、律樹君はそう言うと思ってたよ」


 僕は考えてみた。

 アリシーが隣に居て、ルリさんが隣に居るという仮想の未来を。

 二人と出掛け、食卓を囲み、日常を過ごす。何事もなく平和な日々。


「想像できないんだよな、そんなの」


 今更になって「僕とは釣り合いが取れない」とか抜かすつもりはないけれど。そんな想像は、情景を思い描くことさえできなかった。

 なんでだろうな。セラの言う通り、僕が二人を選んだとすれば了承してくれるのかもしれない。


 けれども僕には、そんな器量はない。

 多分、それだけのことだ。


「なぁ、セラ。そういえばセラも数日居なかったけど、何してたの?」

「うん?」


 セラは少し考えるようにしてから、顎に右手を当てて片方の眉をつり上げた。


「あ、言ってなかったっけ?」

「少なくとも僕は何も聞いてない」


 この町だと、出掛ける用事といったら食材調達か? この町の仕組みをまだ理解していないから何とも言えないが……。


「ほら、律樹君が捜し出してくれたんでしょ? 帰ってくるまで、私はキルトナと会ってたのよ。リセルさんとは面識ないからってことで、外に出てたわけ」


 キルトナ。その言葉が耳に入った瞬間、僕は表情が固まった。セラに悟られないようにあぁと頷き、思考を張り巡らせる。


 リニアル・ネルス・キルトナ。すっかり置いてけぼりにしてしまった彼が、その後どうしていたのかは知らない。

 港町に来て顔を出してもいいんじゃないかとは言いはしたが……。


 このタイミング、あまりいい予感はしない。その後のレイジとの関わりがどうなったかは気になるが――少し、探ってみようか。


「キルトナって今どうしてるの?」

「しばらくはこっちに滞在するみたいだね。アリシーはあんな調子だから会っていないし、また近い内に会ったりするんじゃないかな?」

「了解。その時は僕も同行するよ」


 何の関係性もないかもしれないが……一応、警戒はしておくべきだろう。


 僕はセラにそう伝え、グリーフの元へと向かうのだった。

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