八十二話 錯綜の思惑
「……不愉快じゃのう」
鈴峰律樹は力を失い、どさりと地へ崩れて堕ちた。
息絶えたわけではない。
ぴくりとも動かない全身から灰色の靄が現れ、チカチカと明滅しながら肉体を行ったり来たりと繰り返している。
レイジはふんと鼻息を洩らし、彼の元へ自分も降り立つ。
「ラプスめ、やはり貴様が原因じゃったか」
既に魂すら空になっていた鈴峰律樹がこうして生命活動を続けていられたのは、一重にラプスが延命させていたからに過ぎない。自らの存在を魂と偽って鈴峰律樹と同化を果たし、ここまで強制的に活動させる。
これの性質の悪いところは、主導権を鈴峰律樹に渡していたところだ。
鈴峰律樹が禁術を使えないというのは、そもそも自分の魂すら存在していないからといった理由であった。
ラプスが何を目的として鈴峰律樹の魂へ潜伏していたのかは謎に包まれるものの、レイジはそちらには目も向けない。
何故なら、レイジの“目的”は既に達成されていたからだ。
「……ちと遅いが、な」
憤怒で形造られた大槍。
鈴峰律樹を貫き滴る血液が、ぽたりぽたりと地に染みを生んでゆく。レイジはその大槍を、今度は何もない空間に向けて突き刺した。すると先端がばきりと破砕し、“白銀”が空を舞う。
さながら雪のように。
神々しい銀景色をそこから拡散させ、中心部から一人の女性が現れた。
「……今すぐ離れて下さい。さもなくば」
透き通るような銀色の髪は背中と胸元まで伸び、鋭く細められた銀の瞳がレイジを見据える。精緻なまでに整った鼻筋、その下の口元が不愉快そうに開かれることから、相当な怒りを秘めているのだと誰もが理解する。一見弱々しそうに映る、白磁のような雪のような白く艶やかな肌。身に纏っている薄手のワンピースが風で揺られ、どこまでも可憐で美しい印象を持たせる。
だが、放つ雰囲気は想像を絶するほどに怖ましい。
細く、すっと伸びた右腕が、レイジの方に伸びた。
その右手から白銀に彩られる力の塊が現出する。美しさとは正反対の、圧倒的破壊と破滅をもたらす“災厄”の力。
レイジはまるで嘲弄でもするかのように、堂々と不遜な態度で腕組みをした。
「貴様は“エルリア”ではないな」
「アヤクスィダント、とは呼ばないのですね。レイジ」
「どう呼ぼうが妾の勝手ではないのか? 貴様は“憐華”じゃな」
「あなたからすれば、どちらも変わりはないでしょう? 今はどちらも“災厄”なのですから」
憐華、と呼ばれた女性は烈火の如き怒りを内に秘めつつ、レイジを威嚇する。
「そのように肉体を禁術へと変質させ、貴様はどうするつもりだ?」
「さぁ。エルリアさんと行動を共にしていく内、私にも行使できるようになってしまっただけですから。私がここに現れた意味、分かりますね?」
「ふ、くふふふふ――貴様が現れる。一つしかなかろうな。端からそこの者が絶対的な瀕死に陥った時、貴様が助けに来るようプログラムされていたのじゃろう」
「……何が面白いんですか」
「滑稽過ぎて笑えてくるな、憐華よ。実に滑稽じゃ、今にも腹を抱えて笑ってやりたいくらいにな」
「滑稽なのは、貴女も同じことでしょう?」
憐華はそう唾棄し、能力を発現させた。
「《ディスタブ》」
白銀の力が拡散し、見えぬ力が瞬時にレイジを穿つ。根源的な破壊を一心に受けたレイジは、面白くなさそうに舌打ちした。
「ここで貴様を潰してやりたいところじゃがな――望み通り、消えてやろうではないか」
「……いいえ。ただでは、逃がしませんよ」
レイジは憐華の発動させた力に顔を歪めながらも、用はないとでも言わんばかりに逃走する。憤怒を防衛に回し、憐華の発動した力を全て捌きながら次元の狭間へ逃げていった。
レイジのその動きたるや、鮮やか過ぎて、憐華も舌を巻くほどに綺麗さっぱり消滅してしまった。
「……あれを当てられただけ、時間稼ぎにはなりますか。いいとしましょう」
既にレイジがこの戦場から脱出したことで、憐華は纏っていた災厄を解除する。
「律樹君、本当に。本当に。久し振りですね」
憐華は、死に掛けたままラプスの延命によって一命を取り留めている鈴峰律樹の胸元に手を当てる。白銀の粒子が瀕死の彼を覆い、瞬く間に致命傷を癒していった。自分で焼いて止血した腕は、元通りに生えてきて元の形を保つ。その他無茶によって引き起こされた全身の骨折及び筋繊維の断裂を修復し、ゆっくりと当てていた手の平を離した。
グリーフと竹内が鈴峰律樹と憐華の下にやってくるのを確認して、憐華は静かに微笑んだ。
「久し振りですね、竹内さん」
「お前……」
竹内が驚くのも無理はなかった。
仮にも憐華は救出する対象だったのだ。それが突然鈴峰律樹を助けるために現れ、弱っているとは言えレイジ撃退してしまったのだから。
かつてはただの教え子だった憐華は、アヤクスィダントと全く同質の力を身に付けてここにいる。永く同化してしまったことで、肉体そのものが変質してしまったのか。
彼女の出現にはグリーフも予期していなかったことで、表情には驚きと戸惑いが浮かんでいる。
だが憐華はというと。困ったように首を傾げ、竹内とグリーフの両名を見て、踏ん切りをつけたらしく。
こう切り出した。
「ぶっちゃけちゃいますよ。私が引っ張り出されたということは――本当に、何もかもが終わる寸前ということです」
それがあまりにも突拍子のないものだった上に、爆弾発言そのものだった。竹内とグリーフの顔付きもより険しいものとなる。
「レイジの言う通り、私は律樹君を守護する最期の壁でした。エルリアさんは最初からこうなるだろうと考えて、敢えて私と離れ離れになったのですよ」
憐華は、鈴峰律樹の頬を愛おしそうに数回撫でてやる。意識のないその身体をゆっくりゆっくり抱き締め、心底ほっとした様子で続きを口にした。
「ふふ。律樹君、いっつも無茶するんですよ。私は今までずっと、彼が頑張っているのを見てきました。全く、世話が焼けるんですから」
まるで赤ん坊をあやしている気分に囚われてしまいそうなほど、憐華の口調からは優しく甘々とした雰囲気が流れ込んでくる。
「こんなにボロボロになってまで、無理しちゃうんですから」
なおも気絶している鈴峰律樹を一頻り優しく撫でて、憐華は甘く蕩けていた表情を無へと戻す。
竹内は、それを伝えるべきは鈴峰律樹ではないのかと言いそうになって、その思考を見透かされてでもいるように途中で遮られた。
「ちなみに、律樹君には認識阻害を掛けています。なので、たとえ意識が戻っても私のことを“憐華”だと気付くことは絶対にありません。勿論、教えるのは止めて下さいね。彼も私も困ってしまうでしょうから」
「そうする必要があるのか?」
「その方が都合が良いのです、なので絶対というわけではありませんが……」
鈴峰律樹を寝かせ、憐華は“災厄”を収める。力を使用する際にのみ色が変質するのか、銀色に輝く髪が黒く染まる。同じく瞳も漆黒に染まり、「ふぅ」と一息吐いた。
「あなたが憐華さん、ですよね。詳しいことをお聞きしてもよろしいですか?」
「はい。そのために私はここに残っています。皆さんの誤解を解くために」
憐華は“誤解”と強調させて言い放った。その言葉にはグリーフも竹内もピンと来なかったが、続く台詞に両名共に納得する。
「エルリアさんのやろうとしていることですよ」
この世界の破壊と再生、再創造。
それが、これまでの認識だった。
エルリア・アヤクスィダントはこの有様に見切りを付け、今まであったこと全てをなかったことにせんとしている。
この世界を完璧に終わらせ、元通りに戻すのだと。鈴峰律樹もそのように認識していた。
しかし、憐華はそうじゃないと否定する。
「エルリアさんは、確かにこの世界に遷移と変革をもたらす術式も組んでいます。それに使用する“災厄”はとてつもなく禍々しいものですから、勘違いされてもおかしくありません」
憐華は言う。
「エルリアさんは――この世界を壊そうとも、昔あった元の世界に復元しようとも、ましてや全員を元の世界に送り返してしまおうだなんて、思っていませんよ」
それを聞いて、グリーフも竹内も沈黙した。
会話が生まれないことを察すると、憐華はこう告げる。
「ただ。この世界がこれからも続いていけるように、エルリアさんはあまねく“安定”をもたらそうとしています。その上で、エクサル、レイジ、それにグリーフ――近い内に消えゆくあなた達を、一つ一つの“個”にしようとしているだけなのですよ」
安定。それは、この世界がこの世界ただ一つで存在していけるようにすること。崩れた生態系を繋げる為に強制転移してきた“転生生物”を絶やさないようにするため、エルリアは世界を変える。
しかしその変化に生物達は気付かない。誰も何者も知らぬ内、世界は一つの存在として定着する。
最初から最後まで、水面下で事を終了させる。
それこそが、この世界を破壊してしまったエルリアが出来る償いだ。
――と。
「長い話でしたね。それだけでしょうか」
「……っ……もしかして、知っていたと?」
「知りませんでしたよ。あなたから話を聞くまでは、全く。その上で言っているのです、それだけでしょうか?」
憐華の話を、グリーフはそれだけかと吐いて捨てた。冷淡な声調に、感情は欠片も籠もっていない。憐華は少しだけ顔を歪め、ゆっくりと息を吐いた。
「……それだけです」
「そのようなことばかりをしているから命を狙われるのですよ。どこかが欠けていて、周りが見えていないのです――が、あなたに言うべきことではないですね」
「どういうことでしょうか?」
「百歩譲って、前者の行動はよしとしましょう。しかし、彼女はどうして私達を“自分”の一部だと考えないのです?」
「……」
「私達を消滅させるのではなく、別々の個体としてこの世界に産み堕とそうとしている。どのような方法を取るのかは知ったことではありませんが、どうせ自らを削るのでしょう。その行為が、本当に“他人”のためになると本気で思っているのなら」
悲哀をその身に宿したグリーフは、右手を憐華の胸元に突き付けた。
「救えませんね」
ゆらりと漂う悲哀の力は、霧散して空に溶けていく。その力は誰をも傷付けることなく、悲しんでいるかのように、青白く光って消える。
「今度は私から問いましょう。律樹さんに正体を明かさないのは、何故ですか? 答えなさい、憐華さん」
「それ、は」
「今が最後の機会ですよ。律樹さんが気を失っている今しか心情を吐きだせる場所はありません。あなたは私達やエルリアと違い、人間ですからね。無理をする必要はどこにも」
「――言えるわけ、ないじゃないですか」
憐華は視線を下に逸らして、言葉の途中で静かに拒絶した。その目に涙を溜めていたのを見て、グリーフも憐華から目を離した。
「だそうですよ。律樹さん」
そして、放った名前は。
「ああ……うん、ありがとうございます。グリーフさん。そのくらいで十分ですよ……十分過ぎます」
「――え?」
呼ばれた少年はむくりと上半身を起こし、驚愕に目を開いた憐華を優しげな瞳で見やる。服に付いた汚れを粗方払って、ようやく立ち上がった。
「どうして、いつから……あなたは」
「いやぁ……グリーフさんが脳内に語り掛けてくるもんですから、ほとんど最初から、です」
少年は苦笑いをしつつ、いつもの調子でそう答えた。
大怪我は綺麗さっぱり治っているが、破れて焼け焦げた服が痛ましい戦いの跡を残している。
「僕には正体が認識できないんでしたっけ。まあ、でも……感覚的には認識できなくても、頭で理解ができればそれでいいです。憐華さん、なんですね」
「……」
憐華は返事をしない。しかし、否定もすることはなかった。ただただ黙って、彼を見つめている。涙は、もう流れていなかった。
「……なんと言ったらいいんですかね。久し振りです……多分、四年振りではなく、“二年振り”ですよね。憐華さん」
少年――鈴峰律樹は、そう挨拶をして軽く笑ってみせたのだった。




