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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第六章 悲哀はただ希望を信じる編
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六十二話 永きの停滞

 まずは近況報告をしよう。


 何となくではあるものの、欠かさず続けていた地図の作成。作業室で机に張り付いていた僕は、息抜きでもと近況を題とした日記を書いていた。



 あれから早くも一年が経とうとしている。一年、と言ってもこちらに年単位での計算があるかは謎でしかないので、自分で数えただけなのだが。

 ともかく、数え間違ったりなどしていなければ、後数十時間で一年という時間が経過することになる。

 因みに日数の計算は陽が昇って降りてで一日換算だ。


 さて話は大きく変わるが、僕が現在住んでいる首都エクサルは遠くに栄える『ティリカ』との提携によって『貿易都市エクサル』へと正式な名へと形を変えて活動している。


 一年も前は都市の大部分が消滅していたここも、【ローンギング】のエネルギーを一時的に借りることで完全に復旧していた。

 お陰で残った避難民もそれぞれの家が与えられ、当時組織されていた救助隊なども役割を終えて都市の管轄管理などの業務へシフトしている現状、無法地帯とならなかったここはとても平和な人里へと変貌しているのである。


 これだけでも充分な変化だ。しかし、この一年で変わったのは治安だけではない。

 半年前から進められていたティリカと貿易都市エクサルを結ぶ街道が、先月にやっと開通したのだ。

 勿論安全面にも考慮した道なので、徒歩の移動でも二週間から三週間程度で行き来することができる。

 加えて量産配布した人力車を使えば移動時間は三分の二まで短縮が可能だ。道さえなかった時代と比べ、かなりの進歩が見えている。


 そして何よりは通貨の定着である。ティリカの通貨をそのまま運用しているのだが、それもここ一年の間で住人に深く浸透していた。

 元々この都市は物々交換が主流だったみたいだが、それもこれもコンスタリエとエステが上手くやってくれた結果なのだろう――ああ、エステは途中から音信普通になってしまい、途中からはコンスタリエがかなり頑張っていたようだが。


 大きな変化と言えばこれくらいか。

 あと個人的な感想としては『配布所』の存在があればいいなとは考えはしたのだが、通貨のある今ではあまり必要ないのかもしれない。少なくとも何かしらの仕事をして働いている内は、だが。


 それに連絡手段が手紙しかないのは不便だ。携帯でもあれば申し分ないのだが、そんなものはこの世界の技術では作れないのでとうの昔に諦めている。


 ――などと書き記したところで、筆を緩やかに動かす手を止めた。


 毎日書かない日記など日記と呼べるのかどうかは定かではないが、まあいいだろう。


 日記用の本を閉じ、今日はもう地図を書き足すつもりもないので筆をしまう。椅子から立ち上がってそれらを棚に入れ、一つ伸びをした。


「不便だなぁ」


 常より動きの鈍い身体に溜め息を吐いた僕は、軽く足を引き摺りながら作業室を後にした。





「お疲れ様です、律樹さん。今日はお帰りで?」


 階段を降りて一階に着くと、丁度登ろうとしていたギンラにばたりと出会った。


 コンスタリエにでも用があるのかなと思いつつ、返事をする。


「そうだね。疲れたのもあるし、また明日来るよ」

「待っています。ああ、そうだ。資料は役に立っていますか?」

「地理の資料のこと? あれならかなり役に立ってるよ。お陰で地図作製も捗るよ、趣味もここまで来るとって感じはあるけど」

「いえ、ご立派ですとも。助けになるのであれば何よりです」


 それでは、とギンラは上へ消えていった。


 そう、ここは救助隊の拠点になっていた建物。この都市を動かす役割を持った、自警組織『ワイル=ルーリア』の本部だ。


 そこで僕が何をやっているのかと言えば、まあ見ての通りである。

 部屋に引き込もり、趣味とは名ばかりの気休めをして気を紛らしては時折ここの連中に護衛術を教えたりする――とまあ。


 腐り切って為すべきことも失った、そういう者だ。


「……ったく。どうしたもんかな」


 この後は、そうだ。

 今日は、久し振りにアリシーに呼ばれている。


「さ、陽が傾く前には向かっとこうかな」


 途中で菓子でも買って行こうかと悩みながら財布を取り出したが、そこまでの余裕がないことに落胆する。

 ただ、安い物なら買えなくはないなと、一人頷いた。



 ◇



 渦巻く世界の異変、情報の変遷。それらは留まることを知らずに侵食を繰り返し、ほんの少しずつこの世をこの世でない物に変化させている。


「しかし、見付かりませんね」


 ぼそりと呟いたのは、蒼の瞳を曇らせる眉目秀麗な女性。目の色と同じ鮮やかな髪が揺れ、儚げに空を舞い、身に纏わせる紺青の着物が風に揺れる。

 それだけで風情があった。


「どこにいるのやら。皆目見当が付かないな」


 その美しい声に返答を寄越したのは、黒髪の男。かなり年季の入った黒系のスーツを着ているが、当人が既に着崩しているのでそれほど気にはならない格好だ。


 この世の終末。それまでの短い猶予。

 アヤクスィダントを捜しているのは、グリーフや竹内洋助も同じだった。


「んで、グリーフ。鈴峰律樹の方はどうするんだ」

「伝えますよ。それに、協力関係を願い出るだけの価値はある相手です」

「そうだな」


 隈が深く刻まれる眼は、伏し目がちに同意を示す。どうにも疲労が窺える竹内洋助を心配そうに眺め、グリーフは辺りへ警戒の色を強めた。


「今日は休んで下さい、その力は使いすぎれば死に至ります。眠っている間、私が安全を確保しておきますから」

「……悪い、頼んだ」


 よほど疲れていたのか、言ったきり彼は動かなくなった。様子を見届けるグリーフは、錆び付いた大地の中心でたった一人“悲哀”を顕す。


「……害種。そう、呼ばれているみたいですね」


 二人を食い散らかそうと出現した灰色の異形を遠距離から一撃で屠り、能力を行使する。

 竹内洋助の存在がそこから消え失せ、グリーフは冷笑を湛えた。


「根絶やしにして差し上げましょう」



 ◇



 道中で買った菓子はほんのり甘いクッキーが一袋。

 安いからといった適当な理由で購入した。まあ手土産みたいなもんだ。


 それを持ってアリシーが住む住宅街へ入り、彼女の家はどこだったかと思案する。


 既にアリシーは半年以上も前から家を貰ってリセルさんと暮らしているので、僕と一つ屋根の下で寝ていた時代はもうないのだ。

 そして一度離れてしまうとそう頻繁に会うこともなくなってしまい、こうして今も彼女の家を把握していないほどだった。


「あー、なんか。色々変わったなぁ」


 本当に色々あった。


 メリーさんとエステが都市から去ったその日。

 死んだと思ったアリシーが生きていて、彼女の気持ちやメリーさんの思惑なんかも聞かされ、混乱した頭は立ち直るのに時間を要した。


 ルリさんのペンダントが砕けて消えてしまった。

 僕が戦ったのはラプスという者だということを知った。

 今回の害種による襲撃での死者が半数にも昇ることも伝えられた。


 最後に僕が戦えなくなったことを知った。具体的には肉体に深いダメージが残り、身体が上手く動かせなくなっている。まあそれについては雷を神経に繋げれば動かせるからいいのだが、何よりの問題は“禁術”が使えなくなってしまったということだ。


 本当に最後の最後でしか使えない奥の手ではあったが、手が残されていたのは大きかった。それが、ない。

 弱ったこの身体では以前のように戦うのも難しく、僕はここで旅を止めることにした。本来の目的は何もルリさんを捜すことではなかったのだが、アリシーも僕と共に旅を中断して都市に住んでいる。リセルさんに関しては元々安全な場所へ届けるつもりだったので、まだいいのだが……。


「この先、どうしよう」


 僕は諦めてしまった。ルリさんを助ける力はもうどこにもないのだと、心が折れている自覚がある。今度メリーさんに出会ったらきっと戦わなければいけない。だがそんなのは無理だ。

 じゃなかったらこんなところで一年も腐っていない……か。


「あ、ここか」


 適当に探し回っているとそれらしい一軒家が見つかる。そうそう、ここがアリシーの家だ。


 二階建ての立派な建物。一階にリビングやアリシーの部屋などがあり、二階にリセルさんの部屋がある。まだ三回ほどしか来ていないが……。


 如何にもリセルさんが好きそうなクッキーを片手に、僕は訪問を報せようと扉を叩いた。


「はぁい」


 寝惚け眼で出てきたのはリセルさんだ。若干乱れた寝巻きで登場というとてつもなく無防備な格好なのだが……知らない人が訪ねて来てもこれならちょっと問題だぞ。


「久し振りですね。アリシーに呼ばれてたんで来ましたが、彼女は?」


 中を覗く限り彼女の姿は見えない。家には居なさそうだが。


「あ、そうなんですか。アリシーさんは出掛けていますよ、そろそろ戻ってくるかと」

「了解です。ああ、これは御土です」


 アリシーは居ないが、クッキーの入った袋を手渡す。香ばしい匂いが鼻腔を刺激したのか、彼女の半開きだった目が輝いた。


「わあ、ありがとうございます。後で食べましょう」


 受け取った彼女は半歩下がり、僕の入室を促す。また可愛らしい内装になってるなと見渡しながら、僕はリビングでアリシーを待つことにした。

 まあ、久々にリセルさんと二人で話すのもいいだろう。





「それで、お身体の具合はどうなんですか?」


 暖かいミルクをカップに入れて運んできた彼女は、それを二つテーブルに置いた。因みにどこの家でもそうなのだが、家具、食器、調理器具はほとんどがティリカから輸送された物である。元からあった鉄製などの物は数も少なく製造ができないので高価値になってしまったお陰か、あまり実用する人はいない。

 中にはコレクションをする人もいるみたいだが……その話は置いておこう。


「そこそこですね。良くはなっていないけど、悪くもなっていないような感じです」

「そうなのですか。でも律樹さん、少し気を付けた方がいいかもしれませんね。律樹さんの内から発される“禁忌”が強くなってますので」


 ちびちびミルクを飲みつつ、そうなのかと頷いた。


 リセルさんは禁忌の力――不老不死を持つ代わり、他の禁忌を察知する力を持っている。

 で、彼女にはラプスと似た禁忌を僕から感じるのだと一年前に宣告されていたのだ。以前よりも禁忌が強まったというのなら少し怖いが、実際のところ特に異常もないのであまり実感も湧いていない。


「禁忌か……。僕が突然害種になったりしたら、躊躇なく始末してくれて構いませんからね」

「律樹さん、そういうことは言わないで下さい。悲しいです」


 ゾンビではあるまいし流石に大丈夫だろうが、僕が僕でなくなった時に頼れるのは仲間の皆だ。どんな状況でも速やかに対処してくれるのが一番いい。


「僕は本気ですよ。そうなるとは思いませんが、もしもです。禁忌の存在はよくわかりませんが、それがこの身体にある以上はいつどうなっても可笑しくありませんからね。まあ……なるべく消極的なことは言わないようにします。すみません」


 ただ、悪い方ばかりの考え方をしても駄目だ。もっと良い方に好転する考えを持たなければ本当に悪いことが起きそうだし。


「たとえ律樹さんがそうなったとして、皆さんは貴方を見捨てたりしません。勿論私もですよ、なので心配しないで下さい。必ず助けますから」

「それ、真顔で言われるとなんだか恥ずかしいですね」

「ん? どうしてですか」

「いえ、ただなんとなく」


 だってそれ、こんな僕でも大事って言ってるようなもんだろ。なんだか背中辺りが痒くなる。


「む……そうですか」

「ところでリセルさん、アリシーが僕を呼んだ理由ってなんだか分かります?」

「い、いいえ? さっぱりです」


 ん? なんだ今の間。


「本当ですか? 顔が嘘って言ってますよ」

「ほえ……なんですかそれ? 私そんなこと言ってませんよ」


 気のせいか? まあ確かに彼女は嘘を吐かないからな……気のせいなんだろう。うん。


「知らないなら仕方ないですね。アリシーが帰ってくるまで気長に待ちますよ」


 半分ほど減ったミルクを一口に飲み込んで、テーブルへ置いた。また淹れようとしてくれたリセルさんに断りの仕草をし、一つ伸びをする。

 ミルクだってティリカにあるらしい牧場で誰かが頑張って搾取したもんだ。牛のように確立された方法でもなし、それだけに高価になってくる。

 そう何杯も飲んでいいものではない。


「そうだ。この前近隣の山岳地帯へ調査しに行ったんですが――」


 開拓より未開の面積が八割を越すこの世界はとにかく発見が多い。最近の調査を彼女に報告しながら、しばらく時間を潰していた。






 アリシーが帰ってきたのはそれから数時間経ってのことだった。何やら大荷物を抱えていた彼女は僕を見るなり「あ」という顔をしてリビングへ入ってくる。


「もう来てたんだ、ごめんね」

「いや、暇だったから先に上がってただけだよ。てかそれどうしたの?」


 一般によく使われる麻の袋が三つ、はち切れんばかりに膨らんでいる。何を買ったらそうなるというのか。


「ん、今日はリッキーも呼んで久し振りに三人でご飯食べようと思って、いっぱい買ってきたんだよ」


「え、それ全部食材なの?」

「ううん。お酒とかも入ってるよ」


 アリシーはそう返事をし、袋から取り出した大量の食材達を別けていく。


「もしかしてご飯食べるために呼んだ感じ?」

「うん、最近会わないからさ。何、ご飯食べて来ちゃったの?」

「食べてはいないよ。ただいきなりだったからなんの話されるのかと思って内心びくびくしてたけど」

「なにそれ、別に怒ってないし」


 若干頬を膨らませた彼女は流し目でこちらを見て溜め息を吐いた。袋の中身を整理している最中なのですぐ視線は外れたが、ちょっとだけ機嫌を損なったみたいだ。


「ごめんごめん。それ、手伝うよ」

「いいよ、一応客人なんだからそこで座ってて。すぐ終わるから」


 右手で軽く制され、立ち上がろうとした僕は素直に席へ座り直した。なんか無理に手伝おうとしたら怒られそうだ。

 適当にくつろぎながら、両手で作業をする彼女を眺める。


 結局彼女の怪我と右腕は、知らぬ間にメリーさんが治してくれていた。どうしてあっくんを使ってまで僕を勘違いさせたのかは今でも理解できない部分もあるけれど、それでも治してくれたのだ。感謝はすれど、恨むことなど何一つない。

 ……ルリさんを殺そうとするのは、止めてくれなかったけど。


 って、あれ。


「今更なんだけど、酒飲むの?」


 彼女が酒を飲むところなど見たことがなかったが、飲むのか。しかもよく見なくても酒の量が食材よりも多い。飲兵衛だったのか。知らなかった。


「ううん、飲もうと思ったのは今日初めてだよ」


 え、初めて? にしては買う量が馬鹿過ぎる気がするんだけど。


「ならもっと少な目で良かったんじゃ」

「何言ってんの、リッキーも飲むんだからこのくらい必要だよ」


 ちら、と僕を睨んだアリシーはそう言う。え、今日飲むつもりなの。全然そんなつもりじゃなかったんだけど。


「酒、弱いんだけどな……」

「たまにはいいでしょ。それとも明日何かあるの? 何かあるならまた今度にするけど」

「いや、特にはないけどさ……そうだね、少しだけ貰うよ」


 以前二回ばかり酒を飲んだことがあるが、どちらも酒豪のせいでぶっ倒れた経験がある。なので酒なんて二度と飲むか馬鹿野郎と誓ったものだが、別に酒自体は嫌いではなかった。まだ二十歳ではないけど少量なら問題もなかろう。


「よし、私はご飯作ってくるよ」


 大方別け終わり、アリシーはテーブルから必要な食材を抱えてキッチンへ向かおうと身体を反転させる。


「リセルはその食材いつもの棚にしまっておいてー」

「はい、分かりました」


 随分と生活感が増したようで、役割分担が目の前で自然と行われていた。そうか、うん。そうか、そんなに時が経過したんだなと痛感させられる。今日だけで何回思ったんだろ。


「僕も手伝いましょうか?」

「いえ、律樹さんの手を煩わせるまでもないですよ」


 手伝おうと席を立とうとして、あっさり断られた僕は静かに座り直した。なんとなく阻害感があるのは僕だけだろうか……気にしないことにしよう。


 とまあ、今日は久し振りに二人と食卓を囲めるのか。一家団欒ってわけじゃないけど、楽しみだ。


 申し訳程度にバラバラに置かれた酒を綺麗に並べつつ、料理が完成するのを待っていた。

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