表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断層世界のパラノイア  作者: くるい
第四章 クラスメイト捜索編
49/100

四十八話 指針

 ――話すべきことと話さない方がいいこと。


 しばらくはそれらを整理することに時間を費やしていた僕だったが、逆に混乱する始末だった。

 情けない。


 一先ずアリシーはギンラとあっくんを治したのと同じ病院に連れて行き、治療してもらうことになった。


 ギンラ以外は病院へ向かい、今は治療室の外にて待っている次第である。


 正直、今自分がどうしたいのかなんて分からなかった。

 何せ鈴峰律樹という人格とリッキーの人格二つが強制的に組み合わさってしまったのだから――。

 時間が経てば立つほどに頭がこんがらがり、どうしていいか分からなくなってくる。


「鈴峰君」


 隣に立っているあっくんが僕を呼び、僕は顔だけをそちらへ寄越す。


「僕は君の事情を知らないから何とも言えないけど、話してくれるのならきっと力になるよ」


 心強い言葉。それだけに胸に深く突き刺さり、僕の言葉は喉に支えてそこから外に出なくなる。


 力になっちゃ、駄目なんだ。

 きっと僕の力になったら、彼らは無事では済まない。


 脳内に浮かび上がったのは、ルリさんと共に三姫との凄絶を極める争いをした過去。

 あの戦いでエクサルに敗れ、エステにも敗れ、最終的にはルリさんが教えてくれた禁術を暴走させてしまった。


 ――あの時のことは、鮮明に記憶に残されている。だからこそ、怖い。恐ろしくて、たまらない。


「うん、考えとくよ」


 微妙な返事だけをして、僕はリセルさんの座るソファに腰掛ける。


「リッキーさん」

「……」


 座ったと同時に声を掛けられたが、戸惑った僕はやはり黙っているしかない。

 少しの間そうしていると、リセルさんは突然僕の両手を握り締めてきた。

 驚きにびくんと跳ねた僕を、彼女の言葉が追撃する。


「あ、あの、リッキーさん!」


 ここで無視を決め込むのは流石に気が引ける。


「……なんでしょうか?」

「こ、こういう時、私はどうしてあげたらいいんで、しょう?」


 リセルさん、それを本人に訊くのはどうなんですかね。


「とりあえず、もう少しだけそっとしておいて下さい」

「……はい」

「まだ考えなきゃいけないこともありますから」


 そう言いながらも。

 僕の頭にはずっと、ずっと、最後の出来事が焼き付いて、離れなかった。


 鈴峰律樹としての最後の日。ルリさんと交わした、その言葉を――。



 ◇



 まるで夢を見ている感覚だった。意識はあるのに感覚はなく、現実味もなく。

 ただ自分を自分の中で見守っているような感覚で。


 誰かが、僕に覆い被さっていた。その白く細く、しなやかな両の腕が自分の背中に回されている。


「――律樹さん!」


 ああ。そうか。そうなんだね。

 この声は、ルリさん。貴女だったんですね。


 魂を消費する禁術。魂の殆どをレイジと戦うための(サインダ)に変えてしまった僕の心は、ぽっかりと大穴が空いてしまったようだ。


 虚無の瞳に光は差さず、陰鬱な視線がルリさんに合わさる。


「よく聞いて下さい」

「……」


 喋らない。どうやって喋ればいいのか分からないのだ。

 それでもルリさんだけを見つめ、最後に残された欠片だけの心が僕を現世に留めている。


 瞳から大粒の涙を溢し、彼女は僕の首元に埋もれてえずく。


 周りにはもう、誰もいなかった。

 エクサルも、グリーフも、レイジも、ローンギングも、エステも、竹内洋助も。

 戦いは終わった。荒野に残されたのは――遺ったのは、僕ら二人だけ。


「聞いて下さい。律樹さん」


 泣き止んだ彼女は再びそう遺し、僕に最期をお知らせする。


「律樹さんは、まもなく死にます」

「……」


 そんなことは分かっている。無理矢理生み出した力に身体も魂も耐えきれるはずもなく。

 ぼろぼろになった肉体。魂と言うのも差し支えがあるような、心の残りカス。


 居心地の良さに包まれた僕は、全てを受け入れるだけだった。


「魂とはその人の存在です。それが無くなれば、人は人では無くなります。律樹さんの魂は、もう取り返しが付かないくらい傷付いてしまいました」

「……」

「ですから、私は最後の賭けを、貴方に託します」


 声を震わせ、身体を震わせ。泣いていた彼女は、僕に優しい口づけを施した。

 長い。永遠とも取れるような、悠久の時。


「傷付いたことを、貴方は忘れます」


 一言も語らない僕の前。深い口づけを交わした彼女は、僕の頬に涙を落とした。


「この世界に居たことも、私と居たことも、全てを忘れます」

「……」

「魂は実体でないのです。ですから――全てを綺麗さっぱり忘れてしまえば、貴方の魂は傷付いたことを知らないので、大丈夫です」


 つまり彼女は、こう言っている。

 私と共に過ごした全ての時間を忘却し、破棄し、完璧に捨てて。それでも生きろ。


 その言葉が耳に入っても、心の壊れた玩具は反応を返さない。


 普段なら反発もしただろう。はっきりと断っただろう。

 しかし今は、彼女の言葉は“耳に届いている”だけだった。


「きっと。きっと。律樹さんも幸せになれる日が来るはずです。ですから一旦、全部。忘れて下さい」


 銀色のペンダントを創った彼女は、それを僕にかけさせて――。


「これが、貴方の傷を時間をかけて癒すものです。何年もかけて傷が治った時、“私”以外のことは全部思い出すようにしています。ね、律樹さん。私は嬉しかったのですよ。律樹さんに出逢えて。出逢わせてくれたことにも感謝しなければなりません。ですから――私は、貴方を必ず助けます」


 僕から身を離し、彼女は僕の頬を、そっと撫でた。


「今から五年間。耐えていて下さい。その間に、私は全てを終わらせます。世界を終わらせます。この夢から皆さんを、解放します。ねぇ――律樹、さん」


 溜めた涙を手で掬い、ルリさんは、別れを告げる。


「――元の世界に帰ったら、律樹さんは、きっと愛する人と結ばれます。ですから」


 その想いは固く。目をきゅっと閉じた彼女は――最後に微笑んでみせた。


「さようなら」


 それが、彼女から一方的に託された――。

 別れの、言葉だった。



 ◇



 深い溜め息を吐いた僕は、その場で額を押さえた。


 本来であれば戻るはずがなかったルリさんとの記憶。

 それでも戻った要因はカオナシとの接触か、灰色の女との邂逅か、リセルさんの行為か、それら全てが重なった結果か。


 ――爛れた全身を眺めた僕は、これが心の綻びかと嘲笑う。

 リセルさんを含めた周りの全員が僕の状態に気付かないということは、即ち実際の傷ではないということだ。

 僕だけに見える、深刻な傷跡。アリシーにあげたペンダントが治療薬だったみたいだが、それが手元にない以上二度と心の傷が塞がることはない。


 なるほど、ペンダントをアリシーに渡した辺りから身体に異常が現れ始めていたのはそういうことだったのか。

 アリシーが傍に居ると収まるのはペンダントがあったから。それで説明が付く。


 さぁ。

 こうなってしまった以上、僕という存在がいつまで保てるのか分からない。今日中に死ぬかもしれないし、一週間は持つかもしれない。

 半年持てば十分なのだが……。

 まあ、長くは持たないだろうな。


 だからといってアリシーからあれを返して貰う選択肢はない。万が一あれに万が一の修正プログラムがあったとすれば、ルリさんとの記憶だけでも消される可能性がある。


「リセルさん」


 僕はゆっくりと顔を上げ、彼女と目を合わせた。沈んだ様子のリセルさんには悪いと思いつつも、訊きたいことは言っておかなければ。


「僕の禁忌っての、どこまで見えました?」


 そう。自分が知る範囲での禁忌は「魂を変換する力」「記憶の封印」の二つ。どちらも詳細まで知られてしまっているのであれば、隠せないことも自然と増えてくる。

 その場合の言い訳は、事前に考えておきたかった。


「はい……。どういうことでしょうか?」

「僕から感じる禁忌がどんなものなのかってことです」


 すると。首をふるふると横に振ったリセルさんは下を向いた。


「残念ながら、それが何なのかまでを知る術はありません」

「……なるほど、分かりました。ありがとうございます」


 つまりほとんどを知らない。なら結構だ。禁忌を考慮する必要はなくなった。

 ――リセルさんが嘘を吐いていなければの話だが、まず彼女は嘘を吐くタイプではない。大丈夫だ。


 とにかく、これからの動きを決めよう。

 一度頭をリセットし、鈴峰律樹とリッキーの目的を二つに分けた僕は、優先順位を付けて考える。


 一番先に達成すべきなのは、引き続き友達の捜索だ。本来ならば少しの時間も惜しいが、記憶が戻ったからといってアリシーを捨てようだなんて腐った考えはしない。

 ここは僕の耐久力を信じてふんばる。それだけだ。


 それともう一つ。記憶が戻って更にやりたいことが増えた。


 僕は――アリシーの無くなった腕を、治す。もしも旅の途中に叶うのなら、最初に治してやりたいくらいだ。

 それには部位欠損を治せる人が必要不可欠だが、少なくとも僕は四人知っている。

 今更言う必要もないのだが、“その中でも治してくれそうな人物”は一人しか見当たらない。


 消去法だ。まずレイジは論外。グリーフも止めた方がいい。共闘はしたものの、あの時は利害が一致しただけで仲間ではないのだから。

 ルリさんはもっと駄目だ。今までのような関係でもないし、そもそも――彼女にはまだ会える気がしない。よしんば会えたとして、頼める状況か?


 以上を踏まえ、唯一頼めそうなのはエクサルだった。幸いにもアリシーは“メリーさん”のクラスメイトだったし、彼女と直接の面識はある。


「……ルリさんめ」


 正直、鈴峰律樹の方はどうしていいか、何をすればいいのか具体的には考えが出せていなかった。


「?」


 思わず一人言を呟いてしまった僕に反応を示したリセルさんだったが、返事はしないでおこう。


 全く。

 ルリさんが本当に救えない性格なのは、今まで散々見てきたから分かったよ。

 彼女はいつも一人で突っ走る。勝手にやることを決めて、今度は一言も発せない僕に言いたいだけ言い遺して居なくなってしまった。


 ――僕が本当に、ルリさんのことを一生思い出さないとでも思ったのか?

 独り言のつもりで一人涙を流していたルリさんが、憎らしい。


 ――ああ、今回もまたルリさんは。

 彼女は五年後に世界を終わらせると言っていた。戦いが終わってから二ヶ月は経過しているから、後四年と十ヶ月か。


 具体的にルリさんが何をしでかすのかという予測はついていない。けれど“僕ら”を解放するだなんて物言いからして、このまま彼女を放っておいたら世界規模でただでは済まないのは明らかだ。

 多分、彼女はまた“禁術”に頼る。そう考えるのが妥当だ。

 絶対に止めなきゃならない。これ以上無茶をさせたら、ルリさんは今度こそ。


 力の限り拳を握り、僕はこれからのことを決める。


 後五年。

 ルリさんが禁術を使用するまでの猶予。

 発動する前に、必ず彼女を助ける。僕が助けられるんじゃない。僕が彼女を助けるんだ。

 もう、戦いは終わった。三姫は恐らく、自らルリさんを狙おうとはしないだろう。


 彼女は血迷っているだけだ。


 僕は彼女の傍にずっと居たいし、元の世界になんて帰りたくもない。そんな世界で愛する人を見付けられるはずがない。


「憐華さん――か」


 ふとレイジの妄言を思いだし、僕は一笑する。

 ルリさんの身体が憐華さんの物だというのは、まぁ本当のことだろう。


 ――そりゃあまた皮肉な話だが。


 グリーフと竹内洋助はルリさんの身体の人を取り返すべく動いていた。それが憐華さんなら、僕に一切のことを話そうとしなかったのは頷ける。

 どうして気付けなかったんだろうな。憐華さんとルリさんを照らし合わせてしまった自分が、過去にいるというのに。


 いや、いい。そういうのはもういい。僕が今大好きなのはルリさんただ一人で、彼女が居なくなってしまえばそれで終わりなのだ。


 もしも全てが終わらされて、憐華さんと共に元の世界に戻ったとしても――僕は憐華さんを好きにはならない。

 もしルリさんが勘違いをしているのなら今度こそ言ってやろう。恥も外聞もない。彼女に届くのであれば、なんだってやってやる。


 僕が好きなのは――やっぱり、ルリさんなのだから。


「終わりましたよ」


 治療室の扉が開いた。中から治療をしてくれた女性の声が飛び出し、リセルさんと僕は立ち上がる。


 扉から女性と一緒に、傷が治ったアリシーが歩いてくる。血で染まっていた髪の毛は綺麗に洗われ、傷付いた肌は元通りになっている。

 彼女が笑顔を向けてくれたのを見て、僕は笑顔を装う。


 そして誰にもバレないように、下唇を噛み締めた。



 ◇



「無事で何よりですよ」


 店で待っていたギンラに迎えられて、僕らは客室に案内された。

 あの病院はランサーの治療技術に似たようなところがあるのか、意識をも失っていたアリシーは、もう元気になっている。


 なので帰るまでの道程で、大抵の事情は話した。


 何度も何度もアリシーに謝ると、彼女は笑って許してくれた。

 僕の記憶が戻ったことを告げると、アリシーは心の底から嬉しそうに、まるで自分のことのように喜んでくれた。


 それが僕の胸に突き刺さって。


「皆さんにお話ししたいことがあります」


 こうして皆に自分のことを話す決意はできても、アリシーと目を合わせるのが辛い。


 どうしてかって? 決まってる。それだけ“アリシーに好意を寄せている”からだ。

 どうしようもない。僕はクズだ。


「これから結構大事なことを話すかもしれません。なので一応、内密にということで」


 四人には僕と対面するように座ってもらい、テーブルを挟んだ反対側の席に僕が座る。


「話している途中に質問があれば、遠慮なくどうぞ」

「あの」

「はい?」


 まだ何も話していないのだが。真っ先に口を開いたリセルさんに視線を投げる。


「リッキーさんは、記憶が戻られたのですよね」

「ええ、まあ」

「それに関係するのですか?」

「はい、お察しの通りです」


 でなければこんなタイミングで話は持ち掛けない。

 どうしてもしなければならないというものではないが、皆にも少なからず関係のあることだ。

 知ってくれていた方が、動きやすい。


「まず。禁忌が僕にある時点でリセルさんは気付いているでしょうが……僕は、あの荒野を作った原因の一人に当たります」


 出だしから爆弾を投入。

 リセルさん以外の全員が少なからず驚きや困惑を見せていたのを確認して、続ける。


「リセルさんが知っている荒野の争いで間違いありません。その戦いには僕が参加しています。加えてあっくんとアリシーの二人には過去に話しましたが、僕が『サインダ』を身に付けた原因の人もそこに居ました」


 それとなくルリさんのことにも触れ、問題に移るとする。


「この戦いは、その人を殺すために仕掛けられた戦いでした。僕は勿論、守る側です」

「それってエルリア・アヤクスィダントさんって人のこと?」

「あ、そう……ん? えっ」


 あっくんが発した台詞に答えようとして――僕は言葉に詰まった。


「あれ?」

「鈴峰君、前におかしな噂について調べていたよね。名前を挙げていたけど、その人のことじゃないの?」


 頭の回転が早いのはいいことだけど、あれだけの情報でよく分かったな。というかよく覚えてたな。

 そんなこともあったねと思い返した僕は、一つ咳払いする。


「うん、まあ、そうです。結果的に僕は倒れ、一時的に記憶を失いましたがね」


 ここで気を付けなければいけないのは、エクサルの都市事件については話してはいけないということだ。


 彼らの認識で言えば宝玉は街の生命そのもの。そんなものを盗った僕は悪者一択なわけで、アリシーやリセルさんはともかくあっくんとギンラの二名には不信感を植え付けてしまう。

 いくらメリーさんの持ち物を取り返しただけだと言っても、本人すら居ないのであれば言葉に重みがない。


 僕の信用が落ちない保証があればまた別だが、そんなものはどこにもないからな。リッキーは信用できても鈴峰律樹を信用できなければ意味がない。


「ですが――結果から話すと、エルリア・アヤクスィダントは生きています」

「それは良い報せじゃないの?」


 片眉を上げたあっくんに首肯し、僕は吐き捨てる。


「そうだね。彼女は今から四年と十ヶ月経過の後、この世界を滅ぼすらしくて」

「え」


 強く反応を示したのはアリシーだった。

 がたんと机を震わせたアリシーは、困惑の色が強く内包された瞳で僕を見つめる。


 まあ、世界は滅ぶだろう。異世界召喚を崩壊させれば、この世界の維持は不可能になる。しかし……僕らが死ぬことはない。

 その真実を説明することはできないし、したところで信じられないだろうが。


「正確に言うと、この世界に生きる全ての生物を元の世界に送り届ける――と、記憶を失う寸前の僕に彼女ははっきりと言いました」

「……そうなんだ」


 アリシーが嫌に落ち込んだ様子でしゅんと縮こまる。唐突な話の規模によほど困惑してしまったか、どこか思い詰めた顔をしている。


「ですが。成功する確証もないですし、僕はそれを止めたいと思ってます。――そんな規模の力を行使すると、彼女の存在自体が危ういので」

「これから行くの?」

「いや、まずはセラさんやキルトナの捜索を優先させるよ。エルリア・アヤクスィダントの居場所を僕は知らないし、まずは情報収集から始めたいと思ってる」


 どのみち旅を続けるのに変わりはない。じゃあ何故話したのかといえば、一つ懸念があるからだ。


「こういうことを話したのは、皆さんに気を付けて欲しいことがあるからです。彼女が世界を滅ぼすための準備を進めている今、それが直接の原因かは定かではないですが、世界各地で災害が起こっているらしくて――」


 それが世界に刻まれた転移の禁術を破壊している証しなのだとすれば。

 もう、禁術は発動してしまっている。最悪のケースでは、こんなところだろう。


 その場合、どうすれば止められるかなんて僕には分からないが――いつも通り、ただがむしゃらにやるだけだ。


「なのでいつ災害が降り掛かっても大丈夫なように、各自で準備をして頂ければ幸いです」


 エステの町では異常な量の雨が降った。それだけならまだいいが、地震や竜巻などの災害が発生すれば大問題だ。


「それと気を付けて欲しいことがもう一つ。“カオナシ”という生物には気を付けて下さい」


 麻袋から一枚の白紙を取り出した僕は、それの特徴を簡単に絵で書き記し、テーブルに置く。


 カオナシは一度戦った人間を執拗に追う傾向がある。

 その情報は合っているはずだ。エステが何度も追われているのは事実だし、僕も二度襲われた。

 ならば、その仲間も狙われる可能性が充分にある。


「出会ったらまず接触を拒絶。絶対にカオナシの言葉には耳を貸さず、すぐに撃退をお願いします」


 カオナシという存在がどうやって活動しているのかは知らないが、殺しても一定期間を置いて復活してくるのは確実。つまり、そろそろ復活しても不思議ではないということだ。


 それぞれがそれぞれの顔付きでカオナシの似顔絵を見ている。のっぺらぼうに、白装束だ。

 あれ、僕の絵が下手ってわけじゃないよね、それなりに忠実だとは思うんだけど。


「ひとまずは以上になります。気を付けて欲しいことの二点を覚えてくれればそれで十分ですが、聞きたいことがあれば」

「……一つ、宜しいですか?」


 カオナシの描かれた紙から僕へと目線を移し、前置きをしたギンラが怪訝そうに顎の下に手を被せている。


「どうぞ」


 よりにもよって質問者がギンラとは。

 どんな話を振られるのかと身構えた僕に、彼は言う。


「貴方は――この世界の、何ですか?」

「……?」


 質問の意図が汲み取れなかった。予想のどれとも違った彼の質問に迷った僕は、聞き返す。


「どういうことですか?」

「まるでこの世界の根幹を知っているような口なので、気になっただけです。貴方も我々と同じ立場にあるのならば、“此処”について知り過ぎている」


 規模が多きいとそうとも見られかねないのか。本当に全てを知っていれば、それが一番いいんだけど。


「いいえ。僕は皆さんより少しだけ詳しい程度です。この世界の表層を少し、彼女から聞いただけで」

「ではその“彼女”とやらは知っているわけですか」

「ええ、まあそうなりますかね」

「なるほど」


 ギンラは顎を引いて一息吐き、どこか合点のいった顔付きでこう述べる。


「では、その“彼女”に伝えて下さい。『私はこの世界に連れられたことに納得はしていないが、逆にまたこの居場所を奪われたら今度こそ何も残らない』と」


 まるでルリさんが“連れてきた”と分かっているかのように、ギンラは言い終えた。


「分かりました」


 しかし、それには全面的に同意だ。

 ルリさんには悪いが、今更自分の故郷に帰されたところで何がどうなるというのだ。

 今から五年後なら、尚更である。もはやまた異世界に送られるのと、何ら変わりがない。


 会った時、僕の意思も合わせて伝えておこう。


「他に何もないのでしたら、そろそろ終わります」


 誰にも認知できない爛れた腕の皮膚を睨み、 痛む全身に気を配る。皆には黙っているが、今日は活動の限界だ。

 休んで心が癒えるとは到底思わないが、そろそろ寝たい。


 その後は誰からの質問もなく、僕の話は終了した。



 ◇



 ここの店主であるタッピスは、明日の昼頃に装飾に使用する材料を持って帰ってくるそうだ。

 なのでこの店の自室に当たる部屋は寝室が二つばかり空いており、僕、アリシー、リセルさんでその内の一つを借りることにした。


 これが修学旅行のノリであれば、今頃僕はあっくんとギンラの寝室だろう。

 今の気分で言えばそっちに行きたかったのが正直なところだ。そうも行かないのが実情なのだが。


「ねぇ、リッキー」


 布団を首元まで掛けたアリシーは、仰向けになって寝ようと奮闘していた僕に顔を向け、囁くようにして呼んだ。


「……どうしたの?」


 僕は、少しの気まずさを湛えて彼女と視線を交わす。


 実は、あれからアリシーとは一言か二言しか会話をしていない。

 一方的に僕が気まずいなと感じていたのもあるが、それ以上にアリシーの雰囲気が落ち着き過ぎていたからだ。

 今までと何も変わっていないはずなのに。記憶が戻ったことで、心の距離に隔たりでも生まれてしまったみたいだった。


「やっぱなんでもない。って言おうとしたけど、言うね」


 彼女は目を閉じる。今、何を感じているのか。彼女は何を思って話しかけてくれているのか。

 アリシーを見たまま返事もせずに黙っていると、閉じられた目がゆっくりと開かれた。


「――私じゃ、駄目?」

「……え?」


 時が、止まった気がした。すっ頓狂な顔して凍り付いた僕は、返答する言葉が見当たらないまま脳内だけをただただ廻らせる。


「ごめんね」


 次いで、身体を反転させてリセルさんの方に向いてしまった彼女は、小さく呟いた。


「本当は、こんなこと言っちゃ駄目なのは分かってるよ。だってリッキーには最初から好きな人が居たんだし、その話は、一度聞いたし」

「……アリシー?」

「少なくとも、今言うべきじゃないよね。頭の整理も付いてないよね。でも今のリッキーはなんだか遠すぎて、今言わなかったら全部終わる気がした。だから、黙って聞いて」


 アリシーは。

 言われた通り。情けなくも口を閉ざした僕に、背中を見せたままの彼女は言った。


「リッキーが好きだよ」


 その声は震えていて。自分の身体の状態が気にならなくなってしまうほど、寂しくて。


「リッキーは、どう?」


 好きだよ。

 と、言ってしまえばどれほど楽になれたか。だが奥歯を噛み締め、僕は喋らない。


 アリシーのことは好きだ。でもそれと同じくらいに好きな人がいるから、そんなことは言えない。どちらかだなんて比べられないし、比べる権利は僕にない。

 何より無責任過ぎる。


「……そうだよね。今のは忘れていいよ」


 ずっと黙っていると。

 遂に、彼女は僕を拒絶するように布団を頭まで被って姿を消してしまう。分かるのは彼女の泣き出しそうな息遣いと、布団に覆われて尚も震える身体だけ。


 そこまでされて、やっと喉から言葉が飛び出した。


「正直なところ、僕は自分がどうしたいのか分かってない。まだ、頭の中で記憶の整理も付けられていない状況だよ」


 けれどもそれは、ただの自分語り。そこにアリシーを思いやる言葉は、一切入っていない。


 これが記憶喪失のままの僕であれば、違っただろう。

 いや。記憶を失ったまま今を過ごしていれば、こうはならなかったのだ。彼女だけは僕の過去を知っているから、絶対に口にはしなかったに違いない。


「今日皆に話したのだって、半分は自分の気持ちに整理を付けるつもりで話したんだ。だから僕は、まだ自分が分からない」


 そんな彼女の気持ちは痛いほどに分かった。分かってしまった。


 だから、僕は、真実をただ話そうと思う。

 けれども、それはきっと、悪いことなんだと思う。

 でも、ここではぐらかそうとは思わなかった。


「だから、失礼を承知で言う。僕はアリシーが好きだよ。でもそれと変わらないほどに、“彼女”のことが――好きだから。ごめん、返事、できない」


 言い終えて、心の底から自責の念に駆られた僕は両拳を握り締める。

 これは僕の本心だ。


 ――アリシーを確実に傷付ける、醜悪な本心だ。


 血が出るほど奥歯を噛み、拳を握る。今すぐ自分を殴りたかった。流石にそんな真似はしてはいけないが、気の済むまで殴りたかった。


「……そっか」


 くぐもった声でアリシーが呟き、それきり誰も言葉を話さない。


 リセルさんの安らかな寝息だけが、静まり返った寝室を満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ