三十二話 帰還①
僕のことなどすっかり忘れてしまったかのように、男は炎を身に纏う。
そして、踊り狂った人形のような不規則な動きを形成し、燃え盛る炎の剣を構えて凍竜へと斬り掛かった。
「《ヒール・アタッチメント》」
呪文か何かも唱えつつ、鬼神の如く巨体へと肉薄する。その太刀筋は美しく、凍竜の爪を断ち、尻尾を斬り落とし、牙をも折った。突き出された爪が一度だけ男の肩口を抉り取ったが、その傷は戦闘の内に回復してしまう。
何がどうなってるんだ。
しかし――全く事態は掴めないが、これを利用しない手はない。
それを途中まで見届けてから、僕はまず爆風で転がっていったリベルと全身装甲の男を助けに動いた。
いつの間にか弓使いとフードの姿は消えていたが。僕とは違って、言った通りに撤退したのだろう。
広場の端に横たわるリベルは、腹に風穴を空けて力ない瞳で僕を見つめた。血の流れは大方止まっていたが、既に流れた血液の量は多い。腹からは内臓が見え、とても助けられる状態ではなかった。
漂う血臭に吐き気を催すが、なんとか我慢する。
「俺のことは……放って、行け」
ごぽりと固まった血塊を吐き出して、彼は絶望的な表情で言った。
それは、自分がもうじき死ぬと悟っている双眸だった。僕でもそりゃ分かる。リベルは多分、助からない。
「そんなことはできません」
だが。強く否定し、僕は自分のインナーを破る。それを包帯代わりに傷口へと巻き付け、傷の露出とこれ以上の出血を防いだ。白かった服は血液によって真っ赤に染まる。
「お……い」
筋肉質で重い図体を、力を振り絞って担ぐ。リベルは、蚊の鳴くような声量で言葉を吐いた。
「置いて、け。お前に、俺は連れてけない」
「嫌です」
細い身体に鞭を打って、無理矢理にでもリベルを担いで歩く。これでも、筋肉は詰まってる方なんだ。人ぐらい持ち上げられないでどうする。
幸い、凍竜と何者かも知らない誰かが戦闘を行ってくれているので救助に邪魔は入らない。それでも重々しい足取りで大破した装甲の元まで歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。なんとか、なぁ」
彼は自嘲気味に笑って、額からだくだくと血を流し続ける面を上げた。その風貌から覇気は消えていない。
「ちょっと鎧を脱ぐから、そこの剣取ってきてくれ」
大破した部分から抜け出ようと手を掛ける彼にはいと頷き、剣を探す。
その剣は広場の端に転がっていた。べっとりと赤い血が付着していたものの、刃は鋭さを保っている。どうにかして剣を拾い、リベルを抱えながら剣を引き摺るようにして持って行った。
「助かったぜ」
鎧から這い出てきた彼は剣を杖代わりに立ち上がり、ぜえぜえと呼吸を荒げている。
その胸から右脇腹にかけての深い裂傷は見るに耐えない。頭部の打撃痕も酷く腫れ上がり、出血は髪を赤黒く染めていた。
「さ、俺は凍竜とケリ付けてくる」
だというのに、戦意をギラ付かせる戦士の瞳には、撤退の二文字は刻まれていなかった。
「その傷じゃ……」
「おめーさんはソイツ抱えて逃げな。加勢できる状況でもないだろう?」
彼は、獰猛な笑みを叩き付けた。剣を振り上げ、己を鼓舞する姿からは一人でも倒すという意気込みがまだ滲んでいる。
「――あら? もうやっつけちまったぜ」
そこで。
無駄死にするだけだと制止をかけようとしたところ。先程の男が、飄々と帰ってきた。信じられない言葉を軽々しく放った男に目を丸くするが――。
見れば、広場から外れた遠い場所で竜が頭と胴体を切り離されて絶命している。その通りの木々は軒並み薙ぎ倒され、所々が焦げていた。
軽薄な笑みを作ったその男は、僕の肩を叩く。
「……で。俺をここに連れてきたのは、お前?」
先程の質問だろう。だが、そんなことを問われても僕には分からないのだ。
どうしたもんかと考えている内に男が背中のリベルに気付いたようで、回答は保留となった。
「ああ、まあ、それは今はいいや。とりあえずその男降ろせ。応急処置だけ済ませてやる」
それが真剣な顔付きになったのを見て、僕はリベルを大地に寝かせた。
この男ならなんとかできるかもしれない、知らぬ男にそんな大それた期待を込め。
「……ふむ」
巻き付けた服を剥がし、患部を覗いた彼は顔をしかめた。
一通り傷を確認して――彼は、小さく、だが確かな言葉を淡々と放つ。
「悪い、助からん」
悔しそうに顔を上げた男。悲壮に満ちたその表情は、僕を拭いきれない悲しみへと追いやった。
「そんな……。なんとか、できないですか?」
「無理なもんは無理だ」
きっぱりと切り捨てた台詞に、僕は口ごもる。薄々、理解はしてた。リベルの衰弱は激しかった。どんどん弱る彼は、長くは持たないのだろうと頭の隅では分かっていた。
でも、諦める訳にはいかなかった。諦めたくもなかった。
リベルは、僕が知る数少ない人間の内の一人だ。
最初はただただ腹立たしい奴だと思ってはいたが、そうではなかった。この人はこの人なりに突っ走っているだけの、優しく強い人物だった。
そんな彼を、どうしたら見捨てられようか。
「――何か、僕にできることなら、何でもします。何か、手は」
「だからねぇよ! 死にかけの人間までは助けられない!」
強く言われ、自分の無力さに血が滲むほど拳を握った。
……この男なら、なんとかできる気がしたのだ。だけど、無理だった。
リベルは更に弱っていく。大量の血液を失った今も微量の血を流し続け、体温が下がっていく。
「リッキー。お前に、言伝を……頼みたい」
仰向けのまま、彼はゆっくりと右腕を動かして僕の手を取った。その手は、冷たく弱い。いつもの力強さは、どこにもない。
「はい」
僕は、彼の手を握り返して頷いた。リベルは死ぬ。その現実は、彼自身から嫌というほど漂ってくる。
ならば聞かねばならない。彼の、最後の言葉を。
「グループの宿をアルベルトに任せてやれ、と……上階の受付に伝えてくれ」
ここに来て、自分の死後の話とは。アルベルトが誰だか知らないが、伝えてみせよう。
「はい、分かりました」
「それと。エステさんに会ったら、こう言っておいてくれないか」
そこで無理が祟ったか、リベルは弱々しく咳き込んだ。口から血塊が溢れ、ごぽりと彼の頬を伝う。それでも、彼は言った。
「俺を拾ってくれて……ありがとう――」
ぱたりと、声が途切れた。
ずるり。
彼の手が完全に力を失い、地に落ちた。その瞬間、頭が真っ白になって視界が明滅する。まるで自分が、壊れてしまったかのようだ。
ああ。
死んでしまったのだと僕が理解することができたのは、それから数秒後のことだった。
「必ず、伝えます」
二度と届かない返事をリベルに向け、くたくたの身体に鞭を打って立ち上がる。
「畜生……!」
瞳から涙が溢れた。人の死を間近に触れた。人が死ぬってのは、そういうことなのか。
胸が重く、どんよりと濁って行き場を失う。
どうしようもない。
しばらくは、リベルに聞こえてしまわないように声を押し留め、静かに泣き続けるしかなかった。
◇
それからのことだ。
フードと弓使いが、吹き飛ばされたアリシーともう一人を連れて戻ってきた。どうやら広場付近で火炎が吹き上がったのを不審に思い、戻ることに決めたらしい。
アリシーの右肩から先は、無くなっていた。凍竜に薙ぎ払われた際の衝撃が原因で、凍らされた腕が粉々に砕け散った――という事実を知った僕は、彼女に何も言ってやれなかった。
頭がぐるぐると不安定に回りながらも、その四人に凍竜とリベルの死、それから突然現れた男のことを話し、まず凍竜の死体を確認。フードがそいつの構造を研究し、どのようにして冷気を発生させるのかを研究するみたいだ。
男は、鎧を失った剣士、筋肉野郎の傷を治し、アリシーの鼓膜と肩の出血を癒し、ひとまずは町に来ることになった。彼がどうしてここに現れてしまったのかまでは知らないので、そういった話は町に着いてからということで決着が付いたが。
リベルの死体は僕が背負い、凍竜の死体はフードが念動力で持ち帰る。
地獄のような戦いは、一応勝利で終わった。町に着くまでの時間は、時間が経っていないかのように短かった。
◇
グループに帰還してから、リベルの死と凍竜の討伐成功を受付嬢に伝えると、彼女は寂しそうに「そうですか」と言った。リベルの遺言でアルベルトに宿を継がせるという旨を伝え、報告は終了。
ここで、今まで知らなかった者達の名前を紹介しておこう。
僕がフードと呼んでいた人物が、アリス・レイシス・シャインハート。因みに女。
剣士がバルム・メイス。
弓使いがエミル。
最後に筋肉野郎がアルベルト・ハウル。聞けばリベルと彼は兄弟だったそうで、一時期はどちらが宿を運営するのか言い争っていたみたいだ。そりゃ似ているに決まってる。
報告を済ませた後は、リベルを土葬して墓を作る。場所はグループの脇にある庭になった。
……さて、帰宅だ。
と言っても、宿に帰るだけなのだが。
例の男は上階グループの宿に泊まることとなった。部屋は僕らの隣。
そして、あっという間に一日が経過する――。
もう朝だ。
極寒ではない夜を経験したのは、いつ振りなのだろうか。
――初めて、か。
生温い夜も明け、陽が立ち上る。これで作物被害や凍死者が出なくなるのは喜ばしい限りだが、たまには寒さに震える日もあった方がいいんじゃないか。と思ってしまう。
僕は、汗だくになりながらもすやすや寝ているアリシーを眼下に入れて、表情を固くする。しかし直ぐに負の思考を取り払い、ベッドから立ち上がった。
彼女に背を向け、そうした顔を無理矢理ほどいて無表情に直し、部屋から出ようと一歩踏み出す――。
「リッキー」
右腕をがしりと掴まれ、しっかりと僕の名を呼んだ言葉が届いた。
「起きてたんだね。アリシー」
「うん? ……そうだけど、なんで分かったの?」
アリシーは寝起きが悪い。それは把握済みだ。
「最初から分かってたよ」
寝起きのことは言わないでおいた。だって可愛いし、もしもそれが気になっていつの日か朝に強くなってしまったら、あのアリシーは二度と拝めないわけだ。
それは悲しい。
「ねぇ、こっち向いて?」
しかし。そのことには言及されず、彼女は寂しそうに耳元で囁いた。
大丈夫。大丈夫。
自分に言い聞かせて、アリシーへと振り返る。
「……――ごめん」
彼女を見た瞬間、様々な光景がフラッシュバックした。無表情に固めたはずの顔は、だらしなく歪めて涙を流してしまう。
だから。無防備な彼女に抱き着いて、それら全部を誤魔化している僕が居た。
彼女のあるべきはずの右腕は、肩からぽこりとした肌色の突起物が出ているばかりで、そこには何もない。あの男では治せなかった――生々しい傷の残り。
……僕は、駄目な奴だ。
「リッキー、泣かないで。こんなの大したことはないんだよ。本当なら、私は死んでた。でも、こうしてリッキーと居られるだけで、私は幸せ。だから……だから」
くぐもった言葉は、悲痛な泣き声に変わって、ぽとりと床に落ちた。
「……」
無言のまま。アリシーを抱き締める腕を強めた僕は、情け無さすぎる自分を叱る。
何やってんだ。
辛いのは、僕ではなくてアリシーなのに。どうして僕が彼女を不安がらせて、悲しませて、励まされてんだ。
クソ。
アリシーを見ると、死んだリベルが頭に焼き付いて離れなくなる。――彼女も、一歩間違えれば死んでいたのだ。その光景が、ずっと離れない。
「……リッキー。お腹空かない?」
ホラ。
なんで、僕が助け船を出されてるんだ。情けない。
「そうだね。美味しいご飯、食べに行こっか」
「……うん」
元気なく返事をした彼女に、僕は何の励ましをしてやることも出来なかった。
「アルベルトさん」
宿の受付まで寄った僕は、ぶっ壊れた机に板を敷いて何やら忙しそうに書き物をしているアルベルトに声を掛けた。
リベルのことは、思い出す。だが、誰も何も口に出さない今、僕だけがどんよりとした空気を阿呆みたいに出して悲しんでいるわけにもいかないのだ。
「なんだ? ちょっと忙しいんだ、手短に頼む」
「報酬金の前借りってことで、お金貸してくれません?」
微苦笑した僕に、アルベルトの「はぁ?」という呟きがもろにぶち当たった。
「何、お前ら金ねーの?」
あはは。そうは言われましても、ねぇ。
凍竜を倒して得られる報酬は、その場ではいと渡せる物ではない。凍竜を討伐したことによる町への利益やら何やらを計算して、初めて僕らに分配されるのだ。
どうしてそうなったのかというと、あれがグループが出した依頼だったから、というのもある。
公的な場所だからこそ、直ぐに決めることはできないのだろう。加えて金を発行し、管理しているのもグループだ。無闇に多額の報酬を支払ってしまえば、通貨自体の価値が壊れる可能性さえ現れてくる。慎重にもなるさ。
と、言うわけで。一文無しの僕らは、忙しそうに仕事をしているアルベルトにいやらしい相談をしている次第であった。
因みに損傷した服は全て新しいのに代えて貰っている。これは先日に受付嬢さんが取り替えてくれた。幾らなのか検討は付かないが、正直有り難い。
「ありませんね」
「少なくとも自信満々に吐ける言葉じゃねえな」
鬱陶しそうに顔をしかめた彼は、懐から何かを取り出す。――あ、銀貨。
乱暴にもそれが僕に投げられ、なんとか銀貨を掴むと、
「持ってけ。返さんでいい」
ぶっきらぼうに言った彼にお礼を言い、アリシーを連れて宿を後にした。
僕らが向かった店は、先日足を運んだ飯屋だ。
例のシーズを食べた店である。あの時は二度と行くもんかと言っていた覚えがあるが、食糧難という事情が含まれていたのなら前言撤回するのは当然だろう。
それに、アリシーが気に入っていたみたいなので、そこで食べることにした。
「銀硬貨一枚をぽんと出すのは、流石に気が引けるなぁ」
毎度お馴染み――に今後なりそうなシーズを二人して食べながら、ふと考える。金でないだけマシというものだが、それでも銀の価値が高い。まあ……仕方ないか。
「リッキー。見られてる」
「え?」
ぽつりと、不機嫌そうにアリシーが言うので、僕は周りをキョロキョロと見回した。すると、他のお客達が僕と視線が合った瞬間に目を逸らす。
その光景に、僕は眉をひそめた。
コイツらが見ていたのは、完全にアリシーの“右腕”だ。どういう気持ちで僕らを眺めていたのかは知らないが、許せない。
凍竜と戦ってこの町を平和にしたのは、他でもないアリシーなのだ。僕は何もできなかっただけだが、彼女は違う。
なのに、どうして戦ってもいない有象無象に奇異の眼差しを向けられなきゃいけないんだ。
許せない。
怒りが沸々と沸いてくる。
が、コイツらにそのことを言うべく席を立とうとした僕を、アリシーは止めた。
「そういうものだよ。でも、気分悪いからもう出てもいいかな」
「だけどな……」
「いいの」
悲しそうに首を横に振った彼女は、まだ食べ残したシーズをそのままにして、逃げるように店から出ていってしまった。
「クソが」
小さく悪態を吐き、まだ残る料理をそのままに会計を済ませる。やっぱ、駄目だ。こんなとこ、二度と来ない。
苛々している僕は、銀硬貨を投げるように店員へ渡す。どこか怯えた様子の店員からお釣りを引ったくり、僕も続いて外に出た。
「アリシー……」
彼女は、脇にある裏通りの道の壁に背を預け、声を押し殺して泣いていた。ぎりっ、と奥歯を噛み締めた僕は、涙を流す彼女の元へと歩く。
ここで奴らに怒鳴り散らかしてもいい。だが、怒るとすれば、それは僕の役目じゃない。
「もう、戻ろうか?」
「……そう、する」
精神的にかなり摩耗してしまっている彼女を横から抱き、少しの間慰める。それが心の安らぎになったかどうかはさておき、一先ずアリシーは泣き止んでくれた。
帰り道。
一度でもそういった感情を持ってしまうと、そこらの通行人でさえも思わず睨んでしまう。
一度も気が休まらないまま、宿に着くこととなった。
それがあまりにも早かったのか、扉を開けた途端にアルベルトが顔を上げ、訝しげに僕らを睨めつけた。
「飯食いにいくんじゃ……なかったのか?」
「ええっと。軽食しか摂らなかったんで」
「ああ、そう」
どこか適当な調子で返事をした彼は、すぐに目線を下へ移した。まだ仕事の方は終わっていないみたいだ。慣れないのもあるだろうが、大して時間も経過していないからに違いない。
そういえば、時計はどうしたのだろうか。あれば便利なのだが、まだ一度も見ていないぞ。
「そうだ。例のアイツがお前らと話したがってたぜ。自室で待たせてあるから行ってやれ、俺も余裕ができれば向かう」
アルベルトは書き物を続けながらも、ふと思い出したように言った。
そうだった。後々話を付けるとかで終わっていたもんな。残念ながら僕もよくは知らないが、経緯とこの町のことなら教えられもするだろう。
「分かりました。アリシーも来る?」
「行くよ。リッキーだけじゃどうにもならないもん」
「……なんか釈然としないけど、分かったよ」
即座に答えられ、僕は乾いた笑みしか浮かべられなかった。
実に頼りない。
◇
僕とアリシーの部屋の隣。数回ほど扉を叩くと、どたどたした足跡がやってきて扉が開かれた。
「おっ、やっと来たな? 折角俺から行ったのにお前らと来たらいねぇからよ」
「朝ご飯食べてたもんで」
「はぁ? 俺まだ食ってねぇんだけど」
「なら後で奢りますよ」
テンションの差が凄まじい。朝っぱらからこれで疲れはしないのだろうか。
凍竜の時も大概だったが、基本がこの性格なんだろうな。
「そりゃありがてぇぜ、昨日からなんも食ってなかったんだ。死んじまうとこだった」
笑いながら言う辺り、この男の度量の広さが窺える。勝手も分からない地にも関わらず、全く堪えていないのがその証拠だ。
「じゃあ、とりあえず自己紹介しますね。僕はリッキーです」
「私はアリシード・ソニアだよ」
「おお、悪いな。まだ言ってなかったか。……アグリル・エスペランサー、それが俺の名だ」
若干言い淀んだが、彼は直ぐに元の調子に戻って、
「ん、驚かねぇの?」
紫色の瞳に疑念の意を乗せ、訳の分からないことを放った。
一体何に驚けというんだ。名前を聞いただけで驚くも何もないだろうに。強いて言えば、凍竜を単身で倒したことが驚愕に値するが。
「……まあ、そうなったりもするよね」
一人納得していたアリシーは、言葉を続けた。
「アグリル・エスペランサーさん?」
「ランサーでいい、馬鹿丁寧なのはめんどくさいからな」
「分かった。ランサーには理解できないかもしれないけど、とりあえず一から話を聞いて欲しい。質問は最後まで聞いてからお願いするね?」
「うん? まあ、把握はしたぜ」
それから僕を見た彼女は、更に続けてこう言った。
「リッキーもちゃんと聞いてね。大事な話だから」
――えっ。それって僕にも関係ある話なの?
「まあ、なんだ? 立ち話もなんだからよ、とりあえず座ろうぜ」
そうランサーが提案し、部屋へと入っていく。「そうだね」とアリシーが頷き、続けて中に入ってしまう。
「僕が記憶喪失だから、アリシーさっきああ言ったのかな」
……考えても回答はでなさそうだ。
一人彼女の言葉に頭を悩ませていた僕は、どこかもやもやとした“何か”をそのままに、室内の扉をくぐった。
聞けば自ずと分かる。そう思い直して。
長くなってしまったので二つに分けます。来週とは言わず、月曜日には更新したいと思います!




