十二話 別れの言葉
あれから数十分走ると、いかにもな扉を発見した。「この先があの地下だな」と言った彼は、先の蓋よりも頑丈そうな扉へ近づいていく。
「そこまで土地勘が鋭いのは、最早特殊能力なんじゃないかな」
「いいや、コイツは訓練の内に身に付けたもんだ。そんな高尚な力じゃねぇよ」
訓練で身に付くのかな、それは。是非ともご教授願いたい。
「自分でわざと道に迷って、目的地まで勘だけを頼りに進むわけの分からん訓練だった。お陰でこの通りだがな」
僕なら迷ったまま死ぬ自信がある。止めとこう。
エステが、また懐から武器を取り出した。今度は小さい爆弾とは違う……いや小さいは小さいけど、釘のような形状をした真っ黒の何かだ。
「これは指向性のある爆弾でな。尖った部分に一定以上の衝撃が加わると、ビーム状の爆発が起きる。一本しかないから使いどころに困ってはいたが、まあいいだろ」
壁にそれを押し付けた彼は、右腕を構えた。
「大事そうな代物だけど、使っていいの?」
「いいんだよ」
まるでハンマーが釘を叩くみたいだ。彼が釘を殴ると、現れた拳大のビームが暴れて扉に風穴を開ける。
あれだけ強力な爆撃だというのに、エステの拳は無傷。すごいね、指向性爆弾。どんな技術を用いたらそんな爆弾が作れるんだろうね。
「射程距離十センチ。こういう役割でしか、使い道はねぇよ」
綺麗に開けられた円の穴。内部はマグマのように赤く液状化していて、とてもではないが手なんて突っ込めない。
なのに、エステは間髪入れずに“手”をぶち込んだ。
「こっちは一度傷さえ付ければ簡単だ。どんなに強固で開かない扉だろうと――」
爆発。今までとは非にならない数の爆発音が連続して、いつのまにか扉が跡形もなく吹き飛んでいた。
耳を塞いで下を向いてしまったから分からなかったが、僕はまずエステの腕へ目線を向ける。
「大丈夫?」
いくら頑丈でも、扉を破壊するだけの爆弾を使用したんだ、無事で済むはずがない。
「ああ。痛ぇが、それだけだ」
が、焼け爛れてしまった腕を僕の方へ持っていくと、彼はガッツポーズを取った。
“そっちでも”あるんですね、そのポーズ。問題なさそうで何よりだよ。
「そんなことよりも、だ」
身体に悪そうな煙を放出している扉跡地の先。そちらを睨み付けて、彼は面倒臭そうに首を振った。
エステが何を伝えたいのかは、彼の様子から読み取った。首を“横”に振ったということは……悪い知らせなのは、言葉で表すまでもないだろう。
「大軍のお出ましだぜ、律樹」
次第に煙が薄れ、奥がどうなっているのかが見えてくる。
大広間。真っ白の服の連中が、僕らを待ち伏せていた。一目見ただけで数までは把握できない。つまり、それだけの数。
通りで敵の姿がほとんど見当たらなかったわけだ。外から異常な攻撃を受けているのにも関わらず、地下の奴らがたったの三人しか出回っていなかった。
一人は僕らに気付いたからであって、最初は警戒していたつもりではないだろうが……後の二人は敵の戦力を計測する偵察ってところか。
「――侵入者を二人確認した。これから始末する!」
後はこの大広間に集結して、敵を排除すればいい。言い方を変えれば、「ここを突破されると非常にマズイ、だからここで止める必要があった」だ。
僕らに……少なくとも僕に奥の手は存在しない。数は正真正銘二人。実力も大方見られている。
これはマズイ。何がマズイって? そりゃ勿論、実質の戦力がエステだけってことが、だ。
「お前は下がってろ」
焼けていない方の腕で僕を制止した彼は、悠々と跡地の先へ進み――。
弾丸のような何かが、彼の全身を貫いた。前から、横から、無数の弾が冷徹無慈悲にエステを捉える。
「エステ!」
今のは何だ、銃? それにしては、敵は何も持っていない……いや、指輪サイズのリングが、彼らの前に浮かんでいる。一人につき必ず一つ所有していることから、あれが武器になりえることは理解した。
「テメェら、そんなしょっぱい攻撃で俺を落とせると思ってんのか?」
全身から血を吹き出しながらも尚、彼は微動だにしていない。よく見れば、撃ち込まれた弾は彼に掠った程度の傷しか与えていないようだった。なんて肉体だ、人間じゃない。
「おい、律樹。訊きたいことがある。お前は……この世界で、生きる意味を持ってるか?」
波状攻撃。飛び交う弾の中、彼は全ての攻撃を受け続けながら平然としていた。
そんな中、彼は背を向けたまま僕へ質問を投げ掛ける。
ダメージは着実に蓄積しているはず。この状況で、僕に話しかけている余裕があるのか。
「持ってねぇなら、無理にでも作れ」
敵の攻撃が止まることなく続く中、彼は一握りの爆弾を手にした。僕に何か大事なことを言いながら、爆弾を握り締めて敵の弾に爆破されないようにしている。
「エステ……今は喋ってる場合じゃ」
「今は黙って聞け。この世界はなんでもあるようで、実はなんにもないんだよ。生きる意味をここに見い出せなきゃ、そいつはここでは生きていけない」
一つ、爆弾を放る。それは攻撃の嵐をくぐり抜け、遠くの敵を数人散らした。
「まずテメェは、それについて考えやがれ。人を殺したことを後悔したり、何か考えるのはその後だ。そんなもん、全部終わってから考えりゃいいんだよ」
入り口で、彼は一歩も動かないまま、爆弾を放る、放る、放る、放る、放る。ある物は空中で爆発し、エステの目の前で拡散し、敵の中で被害を生む。
次第に、相手はエステ一人によって気圧されるようになっていた。表情も、余裕綽々だった顔付きから切迫した面持ちへ。
「もう一度訊く。お前は、この世界で生きる意味はあるか?」
こんな状況で人に何かを教えるってのか。もしそうなら、とんだ実践主義者だ。
「あるさ」
僕は、確かにそう答えた。
この世界は、エステの言う通り何でもあって、しかし何もない。だから、何もない人は何をすることもなく腐っていく。
僕の生きる意味。今は大それた理由も、意思も、何もないけれど。それしかないと、言えるものがある。
それが、僕の生きる意味だ。
「そうか。じゃあ、それを絶対に捨てたりするんじゃねぇぞ。その意味を見失った奴は、ここでは本当の意味で死んじまう。だがな、その意思さえ持ってりゃ、全てを背負うことができるし、守ってやることもできるし、そのための覚悟も手に入る」
全身傷だらけの彼は、更に弾を受け、真っ赤に染まっていく。最早誰だか分からないレベルまで。
「お前平和主義者ってこの前言ったか? その考えだと俺のとは全然合わないかもしれんが……まあいいだろう、よく聞け。自分に忠実になれ。人を殺すことを躊躇するな。相手にも相手の事情がある、だが俺らにも事情がある。だからぶつかれ。その場の後悔は敵を冒涜する行為だ、情けも同じだ。だが、全てが終わったら目一杯悔やんで考えて後悔しろ。そうして、最後にソイツら全員の全てを背負え。過去も、今も、未来も、ソイツらが背負う物も、全部背負ってその分自分が精一杯生きるんだ!」
血みどろになったエステが、ありったけの怒声を大広間に放った。最後は僕に言い聞かせるというか、自分が納得するため、のように聞こえた。
「一度でもそうしたら、もう自分は絶対に死んじゃいけねぇ! 死んだら今まで背負った奴らの全部を投げ出すことになる! だからどんな手を使ってでも、どんなことをしても、敵を全員殺せ!」
一瞬、場の全てが止んだ。飛び交う弾は消え、相手の攻撃の手が止む。それが何でか分からなかったが……多分、それは。エステの雄叫びが耳に届いたからだ。
静寂の一瞬、開戦の火蓋をぶち切った。
「お前らの分も、全部俺が背負ってやる! だから――お前らも、もう俺に全部預けちまえよ」
戦慄。何も、メリーさんみたく見える力を露にしているわけでもないのに、心が凍り付く程に動けなかった。
それほどまでに、彼の意思は堅牢で揺るぎない鋼鉄の心だった。
「……ぶっ殺せ!」
しかし、そのまま気圧されたまま黙っている敵ではない。彼が言うように、相手には戦うだけの理由や意味や、覚悟がある。だから、ぶつかり合うだけの話だ。
平和主義者だって? ああそういえば言ったな。下らない。あんな物、前の世界の前の国でしか通用しない下らない幻想だ。昔の僕は、ここでは一切役には立たない。
ここで何の覚悟も無しに戦いの場に立っているのは……僕だけだ。
そんなんだから、いつまで経っても仲間である彼一人に気圧されて、動けていないままでいる。
敵は我を取り戻したように武器を取り、エステへ向けて一斉に襲い掛かる。リングから弾を飛ばしたり、独自の方法でビームやら何やらをぶつけてきたり……いずれも遠距離攻撃で、誰も近寄ってはこない。
近寄れば他の皆の邪魔になると踏んだのか、それともエステとの単純な殴り合いじゃ勝てないと思っているのか。
相手を知ってか知らずか、彼はその場から一歩も動かなかった。
ただ迫りくる攻撃を全て受け、あまり得意としない遠距離での爆弾攻撃を続けている。彼なら敵陣に突っ込んで一人ずつ潰していった方が良いはずなのに、何故?
まさか。
僕は気付いた。彼がどうしてそこから動こうとしないのかを。
単純明快。エステは、自身の身を呈して僕を守っていたのだ。
確かに入り口から動けば敵は倒せる。得意な近接で片っ端から潰していけば、耐久力と実力の両方を合わせて必ず彼が消耗勝ちをする。
だが、それだと“戦えない”僕が敵の誰かに狙われて殺されてしまう……と、彼は考えているんだ。
そうでなきゃ、聡明な彼が一歩も動かない理由がない。
「――エステ!」
僕は叫んだ。鬼神のような気迫と脅威を撒き散らしている、血にまみれた人を怒るために。
なんで僕を守ってるんだ、僕のことなんざどうだっていい。僕も、彼に言われてようやく覚悟した。
後悔するのは、全てが終わってからだ。例えその覚悟がエステを裏切る覚悟になっても……今はただ、自分で決めたことを遂行するだけ。
僕は――ルリさんの味方だ。
「僕のことは気にするな! 僕だって覚悟してる、自分の意思もある。エステはこんなとこで僕を守ってくたばる奴じゃないだろうが! 自分の意思を一番に考えてないのは自分じゃないか、だから行け、生きて勝ってくれ、エステ!」
下手すれば、僕は死んでしまうかもしれない。けれど、こんなとこでエステに悪策を打たせるのはもっと駄目だ。
「ッハ、分かってたのかよ、馬鹿野郎が」
「当然だよ、いいから行ってくれ。エステが負けたらそもそも意味ない」
フッとエステが笑って、僕の方へ振り返った。
「後悔すんなよ」
「ちょっとは信用してくれないかな?」
「信用できねーよ。だが、任せたぞ」
僕が返事をしようとした時には、もう、そこにエステは居なかった。
代わり、それまで撃たれていた無数の弾が僕の方へ飛んでくる。
「へ?」
叫ぶ余裕すらない、とりあえず回避しようと横の壁に飛び込んだ僕は――。
右腕の肘を撃ち抜かれた。
「……ぐっ!?」
無様に転けて地に身体を擦り付けた僕は、痛みに耐えかねて端で縮こまる。
え、なにこれ。
僕だっせぇ。冗談抜きで、なにこれ。痛い、なんか右肘穴空いてないかな? 骨砕けてないかな? ヤバイ。
自分のスペックの低さには絶望しかなかった。
メリーさんにボコボコにされた痛みよりはマシだけど、いやもうそういうことじゃなくて。
あれだけ格好いい台詞吐き出しといて秒で倒れる辺りが、まあ僕の限界なんだろう。
てか、こんな弾を受けて掠り傷で済むエステは人間じゃない。
「……ハァ、ぐ……っ」
なんとか身体に鞭を打って立ち上がった僕は、中の様子を確認した。
大広間を見渡せば、エステが残り数十名を相手しながら、見事に善戦している。受け続けた傷はどこにいったのやら、真っ赤な化物は本当に片っ端から敵を叩き潰していた。
残りの敵はエステにしか注意が行っておらず、僕には見向きもしていない。
それはそれでよかったけど、僕の意味って一体どこにあったのだろうか。メリーさんが僕を連れてきたのも、正直意味があったのか分からない。果たして“災厄”の臭いとやらは、僕のどこに潜んでいたと。
「……ん?」
エステが敵の数を十体以下に減らした頃。僕は、奥へと向かう扉が開いていたことに気が付いた。
敵が来そうな様子は毛ほども感じられなく、奥は閑散としている。
口端が、ニヤリと吊り上がるのを止められなかった。
……一旦整理しよう。
敵は最初、数十を抱える大軍だった。強いて数を数えるとすれば、恐らく四十付近。
彼らが僕らの情報を耳にしているともなれば、エステの戦力が桁外れに違うのは頭に入っているだろう。エステの性格からして、僕を助けるために自己を犠牲にすることは“さっき”を除けばあり得ない。
先程彼は僕に戦わなくていいと言ったが、そのありがたい言葉を蹴ったことで、もう彼が僕を守る理由はなくなった。
敵からしても同じだ。この時点で僕を人質に捕っても何ら戦況に変わりが出ないって分かっているはず、つまり僕の優先順位は必然的に下がる。
僕は今、誰にも見られていない。
それもそうだ。狙ってもない弾に当たって重傷を負うようなガキに構ってる暇はない。
そこを狙う。タダでさえどうでもいい敵なのに、怪力無双しているエステに仲間のほとんどは潰されているのだ。応援が駆け付けないことから、少なくとも今は誰も来ないだろうし、そんな中、僕に注意を向けている暇があるか?
ないね。一つでも注意を逸らしたら、その瞬間にお陀仏だ。
右腕の痛みはなんてことはない。超痛いけど、メリーさんの比ではないから、大丈夫。
「よし――っ!?」
ぐらり。
え? こんな時に?
今のは、僕が走ろうとモーションを取った最中の出来事だ。
大地を揺るがす地響きが地下を蹂躙し、地盤を破壊する。大広間が音を立てて崩れ、天井が“禍々しい力の奔流”と共に落ちてきた。
ああ。確実に、メリーさんだ。地上での戦いにまで気を配る余裕も視野もなかったが、今回の地震で再確認する。
一体彼女はどんな暴れ方をしているんだ。こんな場所にまで地形の崩壊を招くような戦い方とか、僕が今まで見たマンガやアニメでも見たことがないぞ。ぶっ飛び過ぎている。
とにかく、この事態でまずい状況にあったのは、通路に居る僕じゃない。
大広間、右端のところ。エステが敵の一人を潰そうとしているところに、馬鹿デカイ天井が直に落下していた。
「……エステ、逃げろ!」
この轟音の中では、僕の声なんて聞こえるはずもなく――。聞こえたところで意味はなかったろうが。
上を向いたエステは、凍り付くような無表情だった。
戦いの終わりは、呆気なかった。瓦礫が地と激突する破壊音だけが大広間に浸透して、静寂が辺りに充満する。天井が落ちたというのに、空は見えない。上も瓦礫でまみれて、まだ外が拝めるわけではないみたいだ。
敵味方もろとも巻き込んだ巨大な瓦礫は、幾多の血液が付着して転がっている。その中にはエステの血液も付いているのか……まあ、僕以外の息づかいも、足音も、声も、何も聞こえないのは確かだ。僕だけが残った空間で、右肘から血を流しながら先に進む。
「まじ……か、よ」
普通に考えてエステが死ぬはずがない。あれだけの攻撃を受けてもピンピンしていた彼が、瓦礫如きで命を失うとは考えられないのだが。
「だ、大丈夫か!」
叫んでも誰も返事してくれないので、生きていても僕がそれを確認することはできない。
くそ。いくらなんでも、メリーさんを恨むことなどできなかった。根本の原因は彼女にあるかもしれないが、本気の戦いで僕らを巻き込まないようにするだなんて、そこまでの配慮は無理だ。僕もそのことは最初から念頭に置いた上で別行動を提案した。
……しかたない。僕にはどうすることもできないんだ。あんな瓦礫を退ける力はないし、傷の手当てもしてやれない。エステは生きている、そう信じるしかない。
僕は、紫の輝く玉を手に入れるだけだ。
「……死なないでくれ」
当初の目的とは大幅に予定が狂ったが、僕のやることに変わりはない。右肘を押さえながら、僕は大広間を後にした。
◇
あの建物が破壊されたのだと気付いたのは、目的の“核”を手にした後だった。
大規模振動で敵味方全滅の被害に遭ってからしばらく経つ。鈍く光輝くそれを片手に弄んでいた僕は、どうやって脱出するかを考えていた。
大広間の扉から地下に降りたところに“核”はあった。様々な管が通されて、その機械の中心部に嵌められていた玉から、黒紫の魔力のような何かが流れ出していたのを視認して、迷いなく掴み取った。
「ってことは、あの一際高い建物は倒壊したわけか」
それなら、大広間の上が瓦礫で埋まっていたのは理解できる。
――で、どうやって地上に出ようか迷っていた僕は、核を奪われてすっかり動きを止めた機械の前で考えていたわけだった。
これまた呆気なく手に入れてしまった核。妙に達成感がなくて気持ちが落ち着かないが、まあいいだろう。
「まだ敵は残っているのかな」
動力源である核を奪い取ったために、もう街は回復しない。このことから、敵が残っていれば異常に気付いて真っ先にここまで来るとは思うんだが……。
どうなんだろうか。とりあえず、大広間まで戻ってみないことには何も情報が得られない。
肘も、そろそろ治療しなけりゃ化膿する危険がある。清潔な布でも巻きたいところだけど、この場じゃ無理か。
「メリーさんが大層な物扱いするコレは何に使うんだか分からないし」
彼女から溢れていたオーラと、核から洩れている物が同じような雰囲気だったので、力の塊かそれに準ずる何かだろうということまでは予測できる。メリーさんの力を使って街を再生しているのだと仮定付ければ、納得だ。
まあとんでもないってことだけは見ただけで感じられるけど、僕に扱えるかはまた別の話なんだろうな。
大広間。なんとか上まで上がってきた僕は、その惨状にお手上げ状態だった。行きよりも酷いことになっているのに溜め息を吐いて、上と下を交互に見る。天井から中々にでかい瓦礫が幾度も落下してきて、下の瓦礫にぶつかってかち割れていた。
なんて形容したらいいか分からない。上は辛うじて落ちてない瓦礫で一面埋め尽くされているし、下も同様に、瓦礫でゴミ屋敷が形成されている。先に散々見た死体も、血液も、今は何も見当たらない。
地獄絵図とも言えないし、焼け野原とも言えない。まるで解体現場の建物みたいな惨状だ。
「ちんたら行ってると、上から落下する瓦礫に潰されそうだ」
とはいうものの、この傷で足の踏み場も存在しない凸凹の瓦礫を登ったり降りたりするのは至難だ。行くだけなら可能だけど、スピードが伴うとなると厳しい。
唯一の道――エステが破壊した扉は、幸いながら瓦礫で埋まっちゃいなかったが、行くなら今だ。このまままごまごしていたら、そのうち瓦礫で道が塞がれてしまう可能性が高い。
頭ではそう分かっていた。
しかしいざ行動に移そうとすると、足がすくむ。向かう途中に瓦礫が落ちてきて潰されるんじゃないか、目の前で唯一の出口を塞がれてしまうんじゃないか、そもそも歩けないのではないか。そんな、様々な妄想が先行して僕に嫌なイメージを過らせ、結果立ち止まってしまう。
エステがこの場に居ない今、核を送り届けられる人間は僕だけだ。
ということを考えているのをふと冷静に省みて、鼻で笑った。僕は何がしたいのかと。最初はメリーさんと一緒にさえ居たくなくて、エステも同様で。なのに、たったあれだけの短い同行でそんな気持ちは消えた。
ところで、僕は、何をするつもりだった?
ルリさんに惚れて、彼女と居たいと思って――彼女のことを知って。他は要らなかったし、求めてもなかった。
つまるところ、僕は彼女と付き合いたかっただけ。他のことなんざこの世界には何一つとして期待してなかった。
あれだけ深いことしといて、それだけなんだよなぁ。それがなんだ? 突然先生には訳の分からない忠告をされて、メリーさんに襲われて、その時点で彼女からはどんどん離れて行った。
メリーさんの過去を知って、何やら変な目的のために同行させられて、そこでエステと出会った。カオナシとやらに襲われて、過去を抉られて、続きましては“アヤクスィダント(仮)”と来た。その敵さんは何やら“ルリさん”と思わしき人物だった。
どうだ。頭ごっちゃごちゃだよ。整理の付けようもないさ。だって、あくまでも僕は普通の男子高校生だ。特殊な力も持ってはいないし、特別な環境で育った変人でもない。
それでも、選択はしなけりゃいけないのだ。絶対に。そうでもしなければ、先には進めない。
何が言いたいんだって?
単純だ。僕はルリさんの味方だけれど、メリーさんの敵でもエステの敵でもない。それだけ。なのにエステを裏切ってしまうかもしれないといったのは……どうしても、僕はルリさんを優先するからだ。
もしも上でメリーさんと戦っている敵が本当にルリさんだったら? 僕は、メリーさんに渡ったら厄介であろうこの玉を渡さないだろう。そうすれば必然的にエステもメリーさんも裏切ることになる。
なあ、エステ。一人になって冷静になってしまった僕は、今更悩んでいるんだ。僕はどうするべきだい? お前なら迷わないだろう?
僕はずるい人間でさ。人に依存はできても、思想には依存できない。だから善悪の判断で相手は選べない。
だから、こういうことで決めるんだ。
僕は一歩、瓦礫に足を踏み出した。歩き難いがしょうがない。進めるスピードの限界を維持して、先へ進む。
結局、さっきの考えは僕の気持ちを整理し直すためだけの無駄な時間だったのかもしれない。でも必要だった。消耗していた僕にとって、目的の再確認は重要案件だ。
こんなんは、どうなのかな。僕はカオナシとの戦いで、記憶の端の「燐華さん」に再会した。そこで気付いたんだ。これを言っちゃ失礼だけど――ルリさんが燐華さんと似ているんだ。立ち振る舞いも、ちょっとばかしお茶目な性格も、雰囲気も。
ごめん、エステ。メリーさん。やっぱり僕は、二人を裏切るよ。好きなだけ恨んでくれ、それが僕の選択だ。
僕は、一人ぼっちの彼女を、見捨てられない。
「くっそおおおおお!」
だから、こんなとこで負けてられるか。出口は目前。左手に核をしっかり持って、僕は死ぬ思いでぐちゃぐちゃな足場の大広間を駆けた。
「――え」
だが、現実は酷く無情である。
僕の真上に、滅茶苦茶なサイズの“天井”が落下してきた。もう出口は目前なのに、どうして……? 間に合わない。避けられない。僕は上を見て、限りなく無表情になった。
「ああ」
エステも同じことを考えてたのか。自分ではどうにもならない事象、それに直面した時、人は何も考えられなくなる。
無だけが、瞬時にして僕の心を覆い尽くした。
その時。有り得ない程の衝撃が背中を襲って、僕を大広間の出口へ吹っ飛ばした。狭い通路まで一気に吹き飛ばされた僕は、何も考えられないまま大広間の方を虚ろな瞳で捉える。
そこには。
傷だらけのヒーローが。
笑顔で僕を見下ろしていた。
「頼んだ――りつ」
そして。それは、天井に押し潰されて、瞬く間に見えなくなった。




