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05:偽りの婚約

「礼儀として自分のことを先に話そう。とはいえ、既に君が知っているとおりだ。僕は帝国陸軍第一師団の中隊長にして、少佐の任を仰せつかっている如月龍進だ。それで、君の名前は?」

「……睡蓮(すいれん)……、と申します」

「良い名だ」


 龍進は目を細める。


「それで、睡蓮。君は昨晩、僕を殺そうとこの家に侵入したわけだが、それより少し前に、四谷三番町において大蔵省の役人が、浅草においては帝国第五銀行の頭取が、それぞれ何者かに刺殺されるという事件があった。その件に、君は関係しているのか」


 彼女は両手を膝の上に置く。なにも隠すことはない。自分はもはや死んだも同然なのだ。ただ、目の前の青年の気まぐれで生かされているにすぎない。


「……お二人とも、私が殺しました」

「そうか」


 淡々とした受け答え。龍進は特に驚いた様子は無く、質問を重ねてくる。


「過去、何人を殺めた?」

「よく覚えていません。ですが、両手では数えられないくらいは殺したと思います」


 そう伝えても、相手の表情は変わらなかった。


「なるほど。では、君に一連の指示をしていたのはどういう人物なのだろうか」

「……石榴(ざくろ)という若い男性……少年です。いつも、突然、私の家にやってきて、殺す相手と日時を伝えたら、すぐに立ち去ります」


 睡蓮は、たとえ官憲に捕らえられようとも、口をとざすようには言われていなかった。いや、正しくは、捕らえられること前提で、肝心なことはなにも知らされていなかった、というべきか。


「殺す理由は聞いていたのか」


 首を横に振る。


「なにも聞かされていません。聞いてもいけない決まりでした」

「その石榴という少年と君は、いつ、どこで知り合ったのか」

「昔、私が女中として働いていた遊郭が検挙されて、行き場所を無くしたとき、彼に声をかけられました。彼は仕事の代価として、住まいを用意し、給金をくれました」

「仕事のやり方は彼に習ったのか?」

「はい。彼と、あと何人かいました。どこかの山奥で、二年ほど教え込まれました」

「君と同じように仕事を習った者は他にいたのか」

「私を含めて五人です。ですが、最後に生き残ったのは私だけ。二人は修練の途中で死んで、あとの二人は最後の試験で私が殺しました」


 二人を殺したときのことを思い出す。一人は年上の女性で、もう一人は年下の男の子。

 彼らの急所を捕らえるのはとても簡単で、勝敗が決するのには、十分もかからなかった。

 石榴は、睡蓮のことを筋がいい、と褒めてくれたが、二人の屍を前にしても、別に喜びの感情は沸かなかった。

 自分は、言われたとおりのことをしただけ。言われたとおりのことをすれば、報酬がもらえる。


「その石榴という少年の素性を、君は知っているのか」


 再び、首を横に振る。


「なにも教えられませんでした。それに、もし、詮索すれば命が無いこともわかっていましたので」

「だろうな」


 あっさりと龍進は納得した。

 それから、彼は急須の茶葉を入れ替え、お茶のおかわりを差し出してきた。


「こちらから聞きたいことは以上だ。君から尋ねたいことはあるか?」

「…………」


 一瞬、困ったが、率直に聞くことにした。


「……私を捕まえない理由を教えていただけないでしょうか」

「いや、すでに捕らえている」

「お風呂を沸かしてくださって、ご飯もいただけた理由は」

「刑務所でもそれくらいのことはする」

「腰縄にかけられていません」

「君を取り押さえることくらいたやすい」


 睡蓮はそれ以上に何を尋ねるべきか分からず、口をつぐみ、視線を湯飲みの中に落とす。

 お茶に映る睡蓮の顔は表情に乏しく、彼女自身も今、自分がどのような感情を持っているのかがわからない。


「質問は以上か?」

「……はい」

「また知りたいことが出来たら、気兼ねすること無く尋ねるといい」


 それから、龍進はお湯のみを膳の上に置くと、


「煙草を吸ってもいいか」


 そう言ってマッチを擦り、煙草に火をつける。そして、なにかを考えるかのように視線を斜め下に向けながら、煙をゆっくりと吐き出す。

 こちこちという柱時計の振り子の音だけがしばらく続く。

 三分ほどが経った後、彼は煙草の灰を落とし、静かに言った。


「……さて、これから君の処遇を決めなければいけない」

「…………」

「司法の手続きに則るならば、警察の留置場に連れて行くか、陸軍の憲兵隊に引き渡すことになる。だが、僕としては君をこの家においておきたいと考えている。そうすれば、君の背後関係に関わる者が姿を現すかもしれないからだ。いわば君は人質だ」


 龍進は煙草の火をもみ消し、


「とはいえ、君をここにおく以上、対外的になんらかの肩書きは必要になるだろう。そこで、決めた」


 睡蓮の顔を正面から見据えながら、淡々と告げた。 


「――君には、僕の婚約者になってもらおう」

「………………?」


 彼女は、一瞬、なにを言われたのかわからずに、龍進の顔をまじまじと見つめる。


「……婚約……者……?」

「ああ。そのように振る舞ってもらう。僕の仕事柄、直近で舞踏会などの社交の場に連れ添ってくれる女性が必要になってね。君にその役目を担って欲しい。勿論、諸々が落ち着いたら婚約は解消してやる。その後、どうするかは君の自由だ」


 さすがに彼女も戸惑いを隠せなかった。目を何回か瞬かせる。


「君は女中として働いていたというだけあって、所作についても問題無さそうだ。どうだろうか」


 こちらを見つめる青年将校の冷ややかな目は、断れば命はないことを告げていた。

 もともと生きる意味など知らない以上、ここで殺されても構わない。ただ、別に断る理由も無い。

 睡蓮は小さく息を吐く。


「かしこまりました……」


 一旦、そう答えたものの、すぐに言い直す必要があることに気づいた。

 座布団を後ろに降りて、居住まいを正すと、畳の上に三つ指を突き、ゆっくりと頭を下げる。


「……旦那様、そのお役目、謹んでお受けいたします」


 相手が戸惑い、わずかに眉をひそめたように見えた。


「家の中でまで畏まる必要はない。対外的な場に出るときだけ、婚約者を演じてくれればそれでいい」

「…………」


 真意を測りかねて顔を上げると、龍進が目を細めて付け加えた。


「僕に本物の婚約者、本物の家族はいらないということだ。帝国軍人として、いずれ、我が命をこの国に捧げると決めた以上、結婚や家族など意味が無いからね」

「……はい」


 龍進は己の着物の懐からなにかを取り出して、掌に載せて見せた。

 黒と白、二つの小さな球状の粒。大きさは金平糖ほどで、匂いは無い。


「そうとなれば、君には足枷代わりに、これを飲んでもらう」

「…………」

「黒い方は、毒だ。一日後には意識を失い、二日後に死ぬ」


 睡蓮は、微かに己の眉が動くのを感じた。


「そして白い方は解毒薬だ。一日経つ前に、僕から直接、君に飲ませる。新たな毒と一緒にな」


 つまり、彼から毎日、解毒剤をもらわなければならない以上、逃げ出すことは出来ないということだ。

 龍進が、黒の毒薬を親指と人差し指に挟んで近づけてくる。


「口を開けて」


それくらい自分で飲めるのに、と戸惑っていると、彼に言われた。


「飲むふりをして隠されても困る」


開いた口の中に、彼の指が差し入れられる。上唇に指が一瞬触れ、舌の上に丸薬がそっと置かれる。


「飲みたまえ」


 白湯の入った湯飲みを渡され、喉の奥に流し込む。意外にも甘い味がした。

 正直に言って、面倒なことだ、と思った。別にそんなことをしなくとも、生きる意味など知らない自分が、ここから逃げ出すことは無いというのに。

 彼は睡蓮が毒を飲み干すのを見届けると、静かに立ち上がった。


「さて、僕はもう少し仕事をしてくる。君は自分の部屋で休むといい。ここの片付けは後でやる」


 そう言って、彼は家の奥へと歩いて行った。

 柱時計の小さな規則的な振り子音だけが聞こえる客間に一人残された睡蓮は、僅かに眉間に皺を寄せる。

 休めばいい、と言われても、先ほどまでずっと寝ていたこともあり、眠気はみじんも感じられない。

 囲炉裏の火が消えた部屋を見渡し、少し考える。

 家の中まで畏まる必要は無い、本物の家族などいらない、とは言われたものの、それは裏を返せば、『将来の妻』らしく振る舞っても構わないという意味だろう。

 睡蓮は小さく息を吐くと、炉端に置かれたままの膳の片付けを始めた。

 

    *


 台所仕事を終え、睡蓮は布団に入ったものの、まんじりともせずに一時間が経とうとしていた。やはり眠くなるわけがない。

 彼女は天井板の波打つ模様をぼう、と眺めながら、先ほど、龍進から言われたことを頭の中で反芻する。

 自分が、青年将校の婚約者を演じ、偽りの家族になる。その指示に戸惑いは隠せない。

 無論、彼が軍人である以上、使えるものは使うということなのだろう。それに、しかるべき時がくれば、その役目からも解放されるという、期限付きの婚約者だ。

 とはいえ、ずっとこの世から消えたいという望みを持ち続け、ようやくそのときが訪れたと思ったら、偽りとはいえ、他人と契りを結ぶ前提の関係になるとは、さすがに考えてもいなかった。


 布団の中で寝返りを打つ。

 長い前髪が一房、枕の上に垂れる。

 大きく息を吸って、吐く。

 何故か、いつもよりわずかに脈が早い。


「……婚約……、家族……」


 その言葉を、舌の上で転がす。

 何故か、微かに甘美な感覚を覚えた。

 そして、彼女の脳裏に不意に思い起こされる、朧気な記憶。

 幼い頃、草原の中で、泣いていた自分。そして、傍らに立っていた少年。相手の顔は霞がかかったように思い出せないが、彼が自分に言った言葉は辛うじて覚えている。


――君は本当の家族が欲しいと思ったことはあるのか?

――一目、見たとき、君を妻として迎えたいと思った。


 ……いや。

 彼女はもう一度、寝返りを打った。長い前髪が視界を覆う。

 まさか、未だに、生きることに未練でもあるのだろうか。私は、昨晩、死んだのと同じなのだ。ただ、軍人の気まぐれで生かされているに過ぎない。

 軍人は期限が来たら自由にすると言っていたが、それは、嘘だろう。

 そのときは、確実に自分は殺される。軍人の刃によって切り捨てられるか、はたまた業火に放り込まれ生きたまま焼き殺されるのか。いや、解毒剤を渡されなければそれで終わりだ。

 だから自分が生きる意味などどこにもなく、これからも、意味などは見いだしてはいけない。

 静かに目をつむると、視界が暗闇に覆われた。

 外からは、寂しげな秋の虫の声と、葉擦れが聞こえる。秋の気配が深まっていく。


 そんなとき。


 ぽろん……、と、どこからかピアノの音が聞こえてきた。家の中からだろうか。

 静かで、優しく、そしてどこか悲しげな音色。

 曲名はわからないが、どことなく月夜を思わせる旋律。

 一体、誰が弾いているのだろう。もしかして、あの軍人だろうか。

 確かめたい気もしたが、演奏を聴いているうちに、自然と瞼の重みは増していき、やがて彼女は深い眠りに落ちていった。

本作をお読みいただき、ありがとうございます。


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