06:人斬り少女、婚約者の務めを果たす ~あたたかい朝食~
午後十二時を回っても、会議は終わらなかった。
陸軍第一師団司令部の二階にある会議室では、張り詰めた空気の中、細長い卓を挟んで陸軍将校達と、警察幹部達が向かい合って座っている。
入り口から見て左側には、連隊長である水原中佐と、その部下である龍進や小野少佐をはじめとした大隊長たちが、反対側には、東京警視庁の相原警部と、同じくその部下たちが座っていた。
相原警部は、口ひげを手でいじりながら、不機嫌に言った。
「従前より、外国要人の警備は、我ら警察がその任にあたっている。故に、此度の西蘭共和国女王陛下のご来訪に際しても、我らがその役目を仰せつかるのが当然であろう」
対して、陸軍の水原中佐は苦々しい表情で反論する。
「しかしながら、我が師団への表敬訪問に際してまで、警察が警護の任にあたるのは筋が違う。軍の敷地内では、我々が責任を持って女王陛下の警護にあたるべきと考える」
「これは、海軍の一条大佐もお認めになったこと。本邦に滞在中は、警察が一環して責任を持って対応するのは当然だろう、とおっしゃっている」
「いやいや。我ら陸軍の近江大佐は、是とはしていない。そのようなことが認められれば、統帥権の侵犯にあたるやもしれない、とまで仰せだ」
「詭弁だな」
堂々巡りの議論をよそに、隣に座った小野少佐はあくびをかみ殺しながら、龍進にだけ聞こえる声であきれたように言った。
「いい加減、藩閥意識にとらわれるのはやめた方がいいと思うんだけどなあ」
「それは同感だ」
陸軍と警察の関係は、文明開化からだいぶ時が流れた今であっても、決して良好とはいえない。
近代政府は、岩紫国と南前国が中心になって設立されたものの、その過程において両国間での縄張り争いが絶えなかった。その結果、治安維持機能に関しては、陸軍は岩紫国出身者が主導権を握り、海軍および警察は南前国出身者が実権を握る形で決着。
それゆえ、今でも陸軍と警察の間では、わずかでも意見の相違が生じると、藩閥意識をむき出しにした露骨な衝突が発生するという有様だ。
今回の西蘭共和国女王の来日に際した警備業務の主導権争いにおいても、結局のところ、陸軍=岩紫閥の近江大佐と、海軍=南前閥の一条大佐との「代理闘争」に過ぎない以上、この場で容易に結論が出るはずもない。最終的には、大佐同士の直接会談で決着をつけるしかないだろう。
世界の列強諸国が、東側陣営と西側陣営に分かれ、つばぜり合いを演じている最中、この国は相変わらず内輪もめばかりを続けているというていたらくだ。
小野がため息をついて言った。
「やっぱり権謀術数が渦巻く世界は、好きになれないね。岩紫の恩恵を受けている自分が言う資格はないかも知れないけど、そういう意味では君がうらやましいなあ」
そう言って、龍進を見やった。
如月家は華族とはいえ、元は東北の小さな士族であり、現在の政府設立時の功績をたたえられて下位の爵位を与えられただけの家だ。藩閥政治の余計な諍いに巻き込まれずに済んでいるものの、一方で常に中央政界とのつながり持つことに苦労している。
故に、同家に養子として迎え入れた龍進が、その才覚を見いだされ、こうして陸軍の中枢にいることは、如月家にとって計り知れないほどの恩恵をもたらしているといえよう。
「どのようなことでも、自分の意思とは関係無く、物事を決められるのは苦痛なものだ」
龍進は小野にそう答えながら、叔父の見合い話を断る口実に使った偽りの婚約者――睡蓮のことを思い浮かべる。
ある意味では、自分は如月家の意思から逃れるために、彼女を偽りの婚約者にしたてあげたといえる。無論、彼女が常に本当に婚約者として振る舞う必要までは無い。
だが、それにしては、今朝の彼女の行動は少し奇異なものだった。
午前五時半、龍進が目を覚ますと、台所の方から包丁の音とともに、魚を焼く香ばしい匂いが漂ってくるのに気づいた。
三郎かと思ったが、しかし、彼は料理が不得手だったことをすぐに思い出した。
疑問に思いつつ、着替えて台所に向かうと、そこにはガス式のかまどの前で、前掛けをつけ、味噌汁を作っている睡蓮の姿があったのだ。
小皿で味見をし、小さく頷くと、今度は溶き卵を四角い鍋に流しこんでいく。その所作は手慣れたもので、あっという間に、柔らかそうなだし巻き卵が出来上がった。
龍進は腕組みをしながら尋ねる。
「一体、これはどういう風の吹き回しだ?」
「……ご朝食を用意しています」
「それは見ればわかる。僕が言いたいのは……」
そう言いながら、ふと視線を横にやったところで、思わず言葉を失った。
卓の上に並べられていたのは、焼き魚や出し巻卵だけではなかった。
鮮やかな紫色の茄子の揚げ煮、生姜の添えられた牛肉のしぐれ煮、金平牛蒡に、水菜のおひたし、色鮮やかな茶碗蒸し、海藻の酢の物……。
二十品以上はあるだろうか。これではまるで料亭だ。
龍進は声が微かに上擦りそうになるのを、辛うじて堪える。
「昨晩、君には、このような仕事はしなくて構わないと伝えたつもりだ」
「私は単に、婚約者としてのお務めを果たしているだけですが」
「とはいえ、ここまでのことは……」
「偽りの契りとはいえ、契約を交わした以上、手抜きはまかりならないと、昔の奉公先に教え込まれましたので」
彼女は炊きたての味噌汁をお椀によそいながらそう答え、大きな瞳で龍進の顔を見上げてきた。
「…………」
その瞳からは相変わらず感情の色はうかがえなかったものの、朝の陽光のせいか、顔色は心なしか良くなっているように思えた。
色々とかみ合っていない気はするが、今、ここでそれを言っても仕方ない。
「……そうか。そういうことなら君の好きにするといい」
「ありがとうございます」
睡蓮は一人分の膳に小鉢を並べると、それを和室へ運んでいき、昨晩、龍進が座っていた席に置く。
そして龍進が座布団に座ると、彼女は一礼し、部屋の隅に下がって正座した。
「君は食べないのか?」
「奉公先では、女中は主人の食事中、傍に控えているのが常でしたので」
「おかしなことを言うな。君は女中じゃない。……そうだな、君が言っているとおり、偽りとはいえ、君は僕の婚約者だ。偽りとはいえ、家族であるならば、食事をともにすべきではないか」
「…………家族?」
彼女は困惑に眉根をひそめる。
「別に毒が入っていることを疑っているわけではない。君の『婚約者としての務め』というものに付き合っているだけだ」
「……かしこまりました」
睡蓮は小さく頷くと、台所から自分の分の膳を運んできて、昨晩と同じように龍進の斜め前に座った。
彼女の作った食事はどれも美味かった。梭子魚の焼き加減は絶妙で、脂の乗った白身にすだちをかけて食べると、甘みが口のなかいっぱいに広がった。
「うまいな」
少女が少し驚いたように箸を止めてこちらを見た。
「どうした?」
「少々驚いただけです。そういうことは、今まで言われたことがありませんでしたので」
「そうか」
二人は黙々と箸を進める。
豆腐の味噌汁は煮干しの出汁がきいているし、金平牛蒡はちょうど良い甘辛さと歯ごたえだ。口の中に入れたしぐれ煮は、甘い牛肉に絡んだ生姜が味を引き締め、ご飯がどんどん進む。
普段の龍進の朝食は、ごくごく簡単なものが多い。納豆ご飯に昨晩の味噌汁の残り、もしくは、食パン一切れといった具合だ。故にこうして、ちゃんとした……、というよりは、豪勢な朝食が出てきた今の状況に、戸惑いを感じざるをえない。しかも、それを用意したのが、目の前にいる人斬りの少女だということも。
と、龍進が何気なく彼女に視線をやったところで、思わず眉間に皺が寄った。
「今、気づいた。君の膳には魚が無いが」
「『秋梭子魚は嫁に食わすな』と言うことわざに従っただけです。婚約者も同じと考えました」
「僕は天邪鬼でね。そう言われると、ますます『将来の嫁』に食わせたくなる」
龍進は箸で自分の塩焼きを半分にすると、彼女の膳に載せた。
彼女は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、黙って梭子魚に箸をつける。
そうこうして朝食を終え、龍進が出勤する段になり、玄関口まで見送りに来た彼女は、両手で風呂敷包みを渡してきた。
「お持ちください」
「……なんだい、それは?」
少女が、無表情のまま龍進を見上げてくる。
「昼のお弁当です」
「…………え?」
弁当にしてはいくらなんでも大きすぎないか?
「もしご不要でしたら、お捨てくださいませ」
「……い、いや、ありがたくいただくよ」
受け取った包みはずしりと重く、困惑する。中身は、普通の弁当箱ではなく、重箱に違いなかった。朝食の皿数から考えるに、かなりの品数が入っていると思われた。
そして睡蓮は、まるで発条人形のように床に三つ指をついて、頭を下げる。
「旦那様、お気をつけていってらっしゃいませ」
だからそこまでのことは……、と言いかけたものの、結局、「行ってくる」とだけ告げ、龍進は家を出た。
1日1~2話のペースで更新していきます。
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