久しぶりの再会
翌朝。
病院の個室では、ソラがベッド脇のテーブルに置いたタブレットとノートを前に、通信学習の課題へ取り組んでいた。
画面に表示された問題を読み、ノートへ答えを書き込んでいく。
「……」
数問進めては、また画面を見る。
昨日ゲームの中で起きたことが、時々頭を過ぎった。
グレイヴ岩山。
風の強い蒼風平原。
修復した祠。
そして、そこで話した風神フィルネ。
『《サンダーバード》』
「……」
手が止まる。
雷雲が出ている時だけ、蒼風平原に現れる珍しいモンスター。
しかも、空を飛ぶ。
「……飛ぶ鳥」
もう一度会話を思い返していると、タブレットから小さな通知音が鳴った。
「……」
課題の画面には、まだ問題が残っている。
「あとで」
別に消えるわけでもないのにそう呟き、ソラは少し休憩することにした。
◇
病室を出て、静かな廊下をゆっくり歩く。
午前中の病院は人の出入りこそあるものの、騒がしくはない。看護師や医師が行き交い、時折ほかの患者とすれ違う程度だった。
ソラは窓際まで来ると、何となく足を止める。
外には青空が広がっていた。
少し遠くを、一羽の鳥が横切っていく。
「……」
ソラの目がその姿を追う。
翼を広げ、風に乗って飛んでいく鳥。
「サンダーバード……」
もちろん、普通の鳥だった。
そんなことを考えながら眺めていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「天宮さん?」
「?」
ソラが振り返る。
少し離れた廊下に、一人の男性が立っていた。
整った黒髪に、落ち着いた雰囲気。病院という場所には少し似合わないほどきっちりした服装をしている。
「……零司さん」
「やっぱり君だったか」
久遠零司。
完全没入型VRシステムを開発し、『アルカディア・クロニクル』と最新型のVR機器をソラに贈った本人だった。
零司もこちらへ歩いてくる。
「久しぶりだね」
「うん。久しぶり」
ソラは少し考えてから、続けた。
「ゲーム、ありがとう」
「ん?」
「すごく楽しい」
零司は一瞬だけ目を丸くし、それから表情を柔らかくした。
「それならよかった」
「空、飛べた」
「そうか」
「いっぱい」
「いっぱい?」
「うん」
零司は思わず小さく笑う。
「君が一番やりたかったことだからな」
「うん」
「でも、礼を言われるようなことじゃないよ」
「?」
「あれは僕が勝手にしたことだ。君が『空を飛びたい』と言ったのを聞いて、それなら遊んでほしいと思っただけだから」
「でも、楽しい」
「なら、それで十分だ」
ソラは小さく頷いた。
ふと、気になったことを尋ねる。
「零司さん、なんで病院?」
「ああ、今日は定期的な検査だよ。前に倒れただろう?」
「うん」
「あれ以来、念のため時々診てもらっているんだ。もう検査は終わったから、これから会社へ戻るところだよ」
「仕事?」
「仕事」
「また倒れる?」
「……」
零司が一瞬黙る。
「できれば倒れたくはないな」
「休んだ方がいい」
「君に言われると反論しづらいな」
「?」
「いや、何でもない」
零司は少し苦笑しながら話題を変えた。
「それより、『アルカディア・クロニクル』はどこまで進んだ?」
「Fランク」
「……もう?」
「うん」
今度は本気で驚いたらしい。
「始めてから、それほど経っていないはずだが?」
「うん」
「思ったよりずっと早いな」
「そう?」
「そうだ」
零司は少し興味深そうにソラを見る。
「どの辺りを冒険してる?」
「グレイヴ岩山に行った」
「北か」
「あと、蒼風平原」
「東の先だね」
「そこ好き」
ソラの声が、ほんの少しだけ明るくなる。
「風がいっぱいある。大きい石もあって、上昇気流もあるから高く飛べる」
「なるほど」
「ずっと飛べる」
「相変わらず飛んでるんだな」
「うん」
即答だった。
零司はまた笑う。
「実に君らしいよ」
「?」
「いや、褒めてる」
「そう」
「ところで――」
零司は少しだけ考えるように顎へ手を当てた。
「アステリアの町はちゃんと見て回った?」
「……町?」
「そう」
ソラはこれまで訪れた場所を思い返す。
冒険者ギルド。
道具屋。
武器屋。
鍛冶場。
銀行。
必要な施設には行っている。
「行った」
「町全体を?」
「……」
ソラは考える。
「必要なところだけ」
「やっぱり」
「?」
「空を飛んで、目的地まで一直線に移動してるんだろう?」
「うん。早いから」
「まあ、それはそうなんだけど」
零司は苦笑した。
「遊び方は自由だし、もちろん好きに飛んでくれていい。でも、たまには町そのものも見てみるといいよ」
「町そのもの?」
「アステリアは、かなり細かく作り込んであるんだ」
零司は少し楽しそうに続ける。
「大通りだけじゃなくて、細い路地や小さな店、住宅街、普段なら気づかないような場所までね。プログラマーやデザイナーたちが、相当手間をかけて作っている」
「へえ」
「NPCも、ただ立っているだけじゃない。生活してる人もいるし、小さなイベントが隠れている場所もある」
「イベント」
「必ず何かあるとは言わないがな」
「あるかも?」
「あるかもしれない」
ソラは窓の外から零司へ視線を戻す。
「新しいの見つかる?」
「たぶん」
「分かった」
「……その返事、今日すぐ探しに行きそうだな」
「午後やる」
◇
午後。
通信学習を終えたソラは、さっそく『アルカディア・クロニクル』へログインした。
視界を白い光が包み、次の瞬間にはアステリア中央広場の巨大クリスタル前へ立っている。
ベージュ色の旅人服。
白い翼。
鳥の脚。
ウィンダの姿へ戻った。
「……町」
いつもなら。
ログインしたらすぐに飛ぶ。
ギルドへ行くならギルドへ。
鍛冶場へ行くなら鍛冶場へ。
必要な場所へ一直線。
けれど今日は、零司に言われたことを思い出した。
『たまには町そのものも見てみるといいよ』
「歩く」
ウィンダは翼を畳み、そのまま中央広場を歩き始めた。
◇
最初に向かったのは大通りだった。
いつも空から見下ろしている道。
地上を歩いてみると、思っていたより人が多かった。
「いらっしゃい、焼きたてだよ!」
「新しい布が入ったぞ!」
「そこの荷物、倉庫まで頼む!」
店から聞こえる声。
荷車を引くNPC。
大きな木箱を抱えて歩いている男。
店先で商品を選んでいる住民。
「……」
ウィンダはその一つ一つを眺めながら歩く。
今まで何度も、この頭上を飛んでいた。
でも。
何を売っている店なのか。
誰が歩いていたのか。
気にしたことはなかった。
「いっぱいある」
そう呟きながら店先を覗き込む。
特に何かイベントが起きるわけでもない。
クエストが発生するでもない。
ただ。
町の人が生活している。
「……こうなってたんだ」
少し面白い。
そのまま大通りを外れ、住宅地へ入る。
建物同士の距離が近くなり、人通りも少なくなった。
家の前に洗濯物が干され。
窓辺には花の鉢植え。
小さな庭で手入れをしている老婆もいる。
道端には。
「……猫」
一匹の猫がいた。
ウィンダが足を止める。
猫もこちらを見る。
「……」
「にゃあ」
「うん」
「……」
猫は丸くなった。
そのまま目を閉じる。
「……寝た」
少し待つ。
起きない。
「……」
ウィンダもその場にしゃがみ、しばらく猫を見る。
通りかかった住民が、不思議そうにウィンダを見た。
猫とハーピーが無言で向かい合っている。
正確には猫は寝ているので、向かい合ってすらいない。
「……」
数分。
「あとで」
何があとでなのかは本人にもよく分かっていないまま、ウィンダは立ち上がった。
◇
さらに細い路地へ入る。
「……狭い」
左右の建物がかなり近い。
試しに翼を少し開いてみる。
ばさ。
「無理」
すぐ壁へ当たりそうになる。
ここでは飛べない。
少し進むと、どこかから料理の匂いが漂ってきた。
「……いい匂い」
足を止める。
匂いのする方向を見る。
「あとで」
また同じことを言って進む。
やがて、さらに細い路地を見つけた。
「……」
ウィンダはその入口を覗く。
かなり狭い。
大人二人が並ぶのも難しそうだった。
当然。
飛ぶのは無理。
「行けそう」
飛べないことと、行けないことは別だった。
ウィンダは迷わず入る。
細い道を抜け。
曲がり。
また曲がる。
すると、アステリアを囲む巨大な城壁の近くへ出た。
「ここに出るんだ」
ウィンダは城壁を見上げる。
上へ行こうと思えば飛べる。
けれど今日は。
「歩く」
零司に言われたから。
城壁沿いを、そのまま地上で進んでいく。
◇
少し歩いたところで。
「そこのお嬢さん」
「?」
声をかけられた。
ウィンダが振り返る。
建物と建物の間。
少し奥まった場所に、一人の女性が座っていた。
小さなテーブル。
その上には何枚かのカードや、水晶のような球体。
女性は深くフードを被っており、口元しか見えない。
「……」
ウィンダは立ち止まる。
見たことのない人だった。
それより。
「……ない」
「何がです?」
「表示」
プレイヤーなら。
普通は名前などの表示がある。
NPCにも、状況によって判別できる情報が表示される。
けれど。
目の前の女性には何もない。
ウィンダは近づいて、じっと見る。
「NPC?」
「さて、どうでしょう」
「プレイヤー?」
「それも、どうでしょうね」
「……」
答えになっていない。
「どっち?」
「秘密です」
「……そう」
ウィンダは普通に受け入れた。
女性の口元が少し笑う。
「気にならないのですか?」
「気になる」
「では、もう少し食い下がるところでは?」
「教えてくれないから」
「……なるほど」
今度は女性の方が少し困った。
「それで、何してるの?」
「私は占い師です」
「占い師」
「ええ。ほんの少しだけ、これから起こるかもしれないことを覗くことができます」
「未来?」
「可能性、と言った方が正しいですね」
女性はテーブルの上に置かれたカードを指先で撫でる。
「未来は風のようなものです。一つの場所に留まることはなく、少しの出来事で向きが変わってしまう」
「風」
「ですから、私に見えるものも絶対ではありません」
ウィンダは少し興味を持った。
「見れる?」
「あなたの未来を?」
「うん」
「もちろん」
女性はカードを手に取る。
「ここで私と出会ったのも、何かの縁なのでしょう」
「縁」
「占ってみますか?」
「やる」
即答だった。
「では」
女性が静かにカードを切り始める。
シャッ。
シャッ。
カードがテーブルの上で混ざっていく。
ウィンダはじっと見る。
やがて女性は、その中から数枚を選び、順番に並べた。
「……」
「何?」
「少々お待ちを」
「うん」
ウィンダは待つ。
三秒。
五秒。
「……まだ?」
「もう少し待ってください」
「うん」
さらに待つ。
女性はカードを見つめ、やがて一枚へ指を置いた。
「近いうちに」
「うん」
「そうですね。数日以内でしょうか」
フードの奥から。
ウィンダを見ているような気配。
「あなたには、思いがけない出会いがあります」
「出会い?」
「ええ。あなたが予想していない相手との」
「誰と?」
「それは秘密です」
「教えて」
「秘密です」
「……」
ウィンダはじっと女性を見る。
女性も黙っている。
「教えて」
「二回言っても秘密です」
「……三回なら?」
「回数の問題ではありません」
「そう」
諦めた。
女性は少しだけ肩を揺らした。
「ただし」
「?」
「その出会いに繋がるかもしれない道を、少しだけ示すことはできます」
「道?」
「ええ」
女性は席に座ったまま、隣にある細い路地を指差した。
「この道を進んでみてください」
ウィンダはそちらを見る。
先ほど通ってきたものとは別の路地。
「何がある?」
「それは、ご自分で確かめてください」
「また秘密?」
「はい」
「秘密多い」
「占い師ですので」
「そうなの?」
「たぶん」
「……?」
今度は占い師まで曖昧なことを言い始めた。
ウィンダは少し考え。
示された路地を見る。
今日。
零司から言われた。
町を見れば、何か新しいものが見つかるかもしれない。
猫を見つけた。
知らない道を見つけた。
知らない店もあった。
そして。
正体の分からない占い師も見つけた。
「……あった」
「何がです?」
「新しいの」
「それは何よりです」
ウィンダは女性へ向き直る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そのまま示された道へ向かう。
数歩進んでから。
ふと振り返った。
「またね」
女性は少し驚いたように間を置き、それから微笑んだ。
「ええ。またご縁がありましたら」
「うん」
ウィンダは今度こそ路地へ入っていく。
その先に何があるのか。
数日以内にあるという「意外な出会い」が誰なのか。
そんなことは、まだ分からない。
ただ。
空ばかり見ていたウィンダは今日初めて。
アステリアの地上にも。
知らないものがたくさんあることを知った。




