風神フィルネ
アステリアを飛び立ったウィンダは、東の森を越え、その先に広がる蒼風平原へと向かっていた。
草原へ入ると、すぐに強い風が翼を押し上げる。
「……やっぱり、いい」
身体を少し傾けるだけで風を掴み、そのまま上昇気流へ乗る。
大きく羽ばたかなくても高度が上がり、眼下にはどこまでも続く草原と、空へ向かって突き出した巨大な石柱が広がっていた。
ウィンダが気に入っている場所。
蒼風平原。
けれど今日は、好きなだけ飛ぶために来たわけではない。
ウェストポーチの中には、モルドから受け取った《綺麗な石の祭壇》と《鉄の燭台》が二つ入っている。
目指すのは、以前見つけた風の止まった場所。
「祠」
高度を下げながら進んでいくと、やがて草原の中に不自然な円形の空間が見えてきた。
周囲では草が風に揺れているのに、そこだけはまるで透明な壁に囲まれているように静止している。
風がない。
ウィンダはその中央へ降り立った。
◇
《風の止まる祠》。
最初に見つけた時は苔と草に覆われ、ほとんど形すら分からなかった小さな祠だった。
前に掃除をしたことで石床や壁は綺麗になっているが、中央にあるべき祭壇は失われたまま。
その両脇にも、燭台を置くための場所だけが残っている。
ウィンダはウェストポーチを開いた。
「これ」
まず《綺麗な石の祭壇》を取り出す。
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《綺麗な石の祭壇》を設置しますか?
《YES》
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ウィンダが《YES》を選択すると、祭壇が淡い光に包まれ、祠の中央へ収まった。
石床と祭壇がぴたりと噛み合い、まるで最初からそこにあったかのように固定される。
「入った」
続けて《鉄の燭台》を取り出す。
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《鉄の燭台》を設置しますか?
《YES》
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一つ目。
祭壇の右側へ。
さらにもう一つ。
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《鉄の燭台》を設置しますか?
《YES》
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二つ目が左側へ置かれる。
これで必要だったものは全部揃った。
「……終わり?」
ウィンダが首を傾げる。
その瞬間だった。
ふわり。
「?」
頬を撫でるものがあった。
風。
今まで何をしても吹くことのなかった、この場所に。
「……風」
もう一度。
今度は反対側から。
そよ、と小さな風が吹く。
祠の外からではない。
祠そのものから風が生まれていた。
ウィンダは翼を少し広げる。
白い羽毛が揺れる。
風は少しずつ強くなり、祭壇の周囲を巡り始めた。
草が揺れる。
止まっていた空気が流れ始める。
「……動いた」
祠の外からも風が流れ込み、それまで切り離されていた円形の空間が、蒼風平原の風と再び繋がっていく。
すると。
祭壇の前に集まった風が、突然一か所へ渦巻き始めた。
「?」
ウィンダが見上げる。
風は目に見えないはずなのに、その中心には淡い緑色の光が生まれていた。
細い風の流れがいくつも集まり、絡まり合いながら球体を作っていく。
やがて。
人の頭ほどの大きさをした、淡い緑色の光球が宙に浮かんだ。
「……なにこれ」
ウィンダが近づこうとした時。
『やっと繋がった』
「!」
声がした。
高くも低くもない。
どこか少年を思わせる、軽やかな声だった。
ウィンダは周囲を見る。
「誰?」
『こっち、こっち』
「……?」
『目の前だよ』
ウィンダは淡い緑色の球体を見る。
「これ?」
『これって言われると、ちょっと複雑だけどね』
「喋った」
『喋るよ』
声の主は楽しそうに笑った。
『初めまして、でいいのかな。僕はフィルネ』
「フィルネ」
『うん。風を司る神、フィルネだよ』
「……神様?」
『そう、神様』
あまりにもあっさりした返事だった。
ウィンダは少しだけ目を瞬かせ、それから淡い緑色の球体をじっと見る。
「神様、丸い」
『本当の姿じゃないよ!?』
「そうなの?」
『そうだよ。今の僕は、このくらいしかできないんだ』
フィルネの声に、少しだけ困ったような響きが混ざった。
『まずは、お礼を言わせて』
「?」
『この祠を直してくれてありがとう』
祠の中を、柔らかな風が通り抜ける。
『ずっと忘れられていた場所だった。祭壇もなくなって、祈る人もいなくなって、僕の力もここにはほとんど届かなくなっていたんだ』
「力?」
『僕たち神は、今は昔みたいに自由に世界へ干渉できないんだよ』
ウィンダは黙って聞く。
『祠や神殿は、僕たちとこの世界を繋ぐ場所なんだ。それが壊れたり忘れられたりすると、その繋がりも弱くなる』
「じゃあ、直したから?」
『そう。ほんの少しだけ、この場所との繋がりが戻った』
淡い緑色の光球がふわりと揺れる。
『ただ、本当に少しだけだけどね。この祠一つを直したくらいじゃ、まだ僕自身がここへ姿を現すことはできない』
「だから丸い?」
『だから風と光を集めて、声だけ届けてるの!』
「なるほど」
フィルネが小さく笑う。
『でも、僕にとってはすごく大きな一歩なんだ。本当にありがとう、ウィンダ』
「名前知ってる」
『そりゃあね。僕の祠を直した子の名前くらい分かるよ』
「へえ」
ウィンダは少しだけ翼を揺らした。
神様。
そう言われても、まだあまり実感はない。
けれど。
この声から嫌な感じはしなかった。
『だから、お礼をしないとね』
「お礼?」
『そう。祠を直してくれた君に、僕から祝福を』
フィルネがそう告げた瞬間。
ウィンダの周囲に風が集まった。
「……?」
優しい風だった。
身体を押すような強さはなく、翼や髪を包むように流れていく。
そして。
ポン。
目の前にシステムウィンドウが現れた。
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『称号《風神の信徒》を獲得しました』
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「信徒」
『僕の祠を蘇らせてくれたんだから、それくらいはいいでしょ?』
「うん」
さらに表示が続く。
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『スキル《環境適応・中》を習得しました』
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「環境適応」
『これから色んな場所へ行くなら、役に立つと思うよ』
「色んな場所」
『暑いところも、寒いところも、普通には動きにくい場所もあるからね』
「へえ」
そして。
もう一つ。
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『光魔法レベル1を習得しました』
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「光魔法?」
『うん』
ウィンダが新しく追加された魔法欄を開く。
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《光魔法レベル1》
《クリティカルレイ》
消費MP:4
小さな光弾を5発放つ。
一発ごとの威力は低いが、通常攻撃よりクリティカルが発生しやすい。
《ヒール》
消費MP:6
対象のHPを20~30程度回復する。
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「……ヒール」
『回復魔法だね』
「使えるようになった」
『君はずいぶん変わった戦い方をしてるみたいだから、少し違う選択肢があった方が便利かなと思って』
「変わった?」
『空を飛びながら蹴ったり、魔法を撃ったり、急降下したりしてるでしょ』
「うん」
『うん、じゃないよ』
フィルネが楽しそうに笑う。
『本当なら、僕は風を司る神だから、風の祝福を与えることが多いんだ』
「風」
『例えば、空を飛ぶための力とかね』
ウィンダは翼を見る。
「もう飛べる」
『そうなんだよ』
フィルネの声に、どこか苦笑するような響きが混ざった。
『君、最初から自分の翼で飛べるし、しかも僕が思っていたよりずっと上手に飛んでるからさ』
「飛ぶの好き」
『見れば分かるよ』
「うん」
『だから飛行の祝福を渡しても、あまり面白くないでしょ?』
「うん」
『即答なんだ』
またフィルネが笑った。
『それなら、今まで持っていなかった力の方がいいと思ってね。だから環境へ適応する力と、光の魔法を渡したんだ』
「ありがとう」
『どういたしまして』
祠の中へ穏やかな風が流れる。
ウィンダはもう一度、新しく覚えた《クリティカルレイ》と《ヒール》を眺めた。
攻撃。
回復。
どちらも今までの風魔法とは違う。
「使ってみたい」
『そのうち使う機会があるよ』
「今は?」
『僕に撃たないでね』
「……分かった」
『今ちょっと迷った?』
「迷ってない」
『本当かなぁ』
淡い緑色の球体が小さく揺れた。
フィルネは楽しそうだったが、しばらくして声の調子が少しだけ変わった。
『ウィンダ』
「なに?」
『もしよかったら、これからも頼みたいことがあるんだ』
「頼み?」
『この世界には、ここみたいに忘れられた祠や神殿がたくさん残ってる』
「フィルネの?」
『僕のものだけじゃないよ。他の神たちのものもある』
「他の神様」
『昔はもっとたくさんの場所で祈りが捧げられていた。でも長い時間の中で忘れられて、壊れたり、誰も近づかなくなった場所も多いんだ』
ウィンダは静かに聞いている。
『そういう場所を見つけたら、できる範囲でいい。直してほしい』
「直す」
『うん。祠や神殿が蘇れば、その場所を通して僕たちも少しずつ力を取り戻せる』
その言葉と同時に。
新しいシステムウィンドウが現れた。
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『シークレットクエストが発生しました』
### 《忘れられた神々の祈り》
世界各地に残された、忘れられた神々の祠や神殿を探し出し、修復してください。
依頼者:風神フィルネ
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「シークレット」
『普通の冒険者ギルドから受ける依頼とは、ちょっと違うからね』
さらに説明が表示される。
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『神々の祠・神殿を修復することで、失われた神々との繋がりが回復します』
『修復した場所や神によって、称号・スキル・魔法・特殊能力などを得られる場合があります』
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「いっぱいある?」
『たくさん』
「どこ?」
『それは自分で探して』
「……教えて」
『全部分かってたら僕も苦労しないよ』
「そうなの?」
『そうなの』
フィルネは少し困ったように笑う。
『僕自身も、今は世界中のことを自由に見るほどの力がないんだ。だから、君たちみたいに実際に世界を歩ける存在の力が必要なんだよ』
「歩く……」
ウィンダが翼を見る。
『飛んでもいいよ』
「うん」
『むしろ君はそっちだよね』
「うん」
ウィンダは素直に頷いた。
「見つけたら直す」
『ありがとう』
フィルネの声が少し柔らかくなる。
『また別の祠が蘇れば、こうして話せる機会も増えると思う』
「また話せる?」
『たぶんね。その時には、もう少し長く話せるかもしれない』
「分かった」
その時。
淡い緑色の球体が一瞬だけ揺らいだ。
『……あ』
「?」
『そろそろ限界かな』
「限界?」
『今の僕じゃ、こうして声を届けるだけでも力を使うんだ』
球体の光が少しずつ薄くなり始める。
「消える?」
『今日はね』
「そう」
ウィンダは薄れていく光を見つめる。
『あ、そうだ。最後に一つだけ』
「なに?」
消えかけていたフィルネの声が、少しだけ楽しそうになる。
『君、蒼風平原が気に入ってるみたいだから、面白いことを教えてあげる』
「面白い?」
『この平原に雷雲が出ることがあるだろ?』
「雷雲」
『その時だけ、珍しいモンスターが現れることがある』
ウィンダの目が少しだけ大きくなる。
「なに?」
『《サンダーバード》』
「サンダーバード」
『雷を纏って空を飛ぶ、とても珍しいモンスターだよ』
「飛ぶ?」
『飛ぶ』
その一言で。
ウィンダの目が明らかに変わった。
『食いつくのそこなんだね』
「戦える?」
『会えたらね』
「倒したら?」
『それは秘密』
「教えて」
『嫌だよ』
「……」
『そんな顔しても駄目』
「何かある?」
『まあ、倒せたらちょっといいことがあるかもしれない、とだけ言っておくよ』
「ちょっと?」
『あとは自分で確かめて』
「……分かった」
『ふふっ。じゃあ、またね。ウィンダ』
「うん」
『いい風を』
その言葉を最後に。
淡い緑色の球体がゆっくりとほどけていった。
光が消え、集まっていた風が祠の中へ解き放たれる。
ふわっ。
ウィンダの髪と翼が大きく揺れた。
そして。
今度こそ。
祠の中からフィルネの声は聞こえなくなった。
「……いなくなった」
ウィンダはしばらくその場所を見つめていた。
けれど、祠そのものは以前とは違う。
止まっていた風が戻り、周囲の草も柔らかく揺れている。
ポン。
---
『サブクエスト《風の止まる祠》をクリアしました』
---
「終わった」
ウィンダは新しく増えたものを確認する。
称号《風神の信徒》。
《環境適応・中》。
光魔法レベル1。
そして。
シークレットクエスト《忘れられた神々の祈り》。
「……神様」
まさか。
祠を直したら、本当に神と話すことになるとは思っていなかった。
それよりも。
今のウィンダの頭には。
もう一つ。
気になるものが残っている。
「サンダーバード……」
雷雲の時だけ現れる。
空を飛ぶ珍しいモンスター。
しかも倒せば、何かあるらしい。
「会いたい」
ウィンダは空を見上げる。
今の蒼風平原に広がっているのは、綺麗な青空だった。
雷雲はない。
「……今日は無理」
少し残念そうに呟いた。
その時だった。
『――ソラちゃん』
「?」
ゲームの外から声が聞こえる。
病院の看護師だった。
『そろそろ夕食の時間だよ。今日はゲーム終わりにしようか』
「……もう?」
『もうです』
「あと少し」
『続きは明日にしようね』
「……分かった」
ウィンダはもう一度、蒼風平原の空を見上げた。
雷雲はない。
サンダーバードもいない。
なら。
続きは明日。
「ログアウト」
操作ウィンドウを開き、ログアウトを選択する。
---
《ログアウトしますか?》
《YES》
---
視界がゆっくりと白く染まり、蒼風平原の景色が消えていった。
◇
目を開ける。
見慣れた病室の天井。
ソラはベッドの上で横になったまま、しばらく瞬きをした。
ゲームの中では風に包まれていた身体も、今は静かな病室の中にある。
「お帰り」
ベッドの横には看護師が立っていた。
「うん」
「今日は何してたの?」
ソラは少し考える。
「神様と話した」
「……神様?」
「うん」
「ゲームの中で?」
「うん」
看護師は一瞬だけ驚いた顔をしたものの、すぐに笑った。
「へえ、すごいね」
「新しい魔法もらった」
「よかったね」
「うん」
ソラの表情が僅かに緩む。
「それで?」
「明日、また飛ぶ」
「はいはい。でも今は夕ご飯ね」
「……うん」
看護師が食事の準備を始める。
その横で。
ソラは小さく呟いた。
「サンダーバード……」
「なに?」
「なんでもない」
明日。
また蒼風平原へ行こう。
雷雲があるかもしれない。
そして。
もしあったなら。
空を飛ぶ、その珍しい鳥に会えるかもしれない。
ソラはそんなことを考えながら、静かに夕食を待った。
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